初めてのグアム。

台風が日本に接近(上陸)している間、幸いにも晴天に恵まれているグアムで過ごし、昨日のフライトで無事に日本に帰ってきた。

グアムの空港からホテルまで送ってくれた現地の旅行会社の運転手さんが言うには、僕らが到着する前日までとても天気が悪かったらしい。また、グアムを出発する日は朝から物凄い雨で、天候に恵まれた旅行だった。

ところで、今日のエントリーを書き始める前に、新潟県中越沖地震で被災された方々に、心からお悔やみとお見舞いを申し上げたい。

さて、初日はホテルにチェックインした後、ホテルの中を散策し、その後、街中に出掛けた。日本からベビーフードを持って行ってはいたが、子供用の飲み物や食べ物などを買うためだ。

僕らが泊まったホテルはグアムの繁華街のほぼ中央に位置しているが、妻の提案で、何かという時に子供に食べさせるもの等をすぐに買いに行けることを重要視しての選択だった。結果として、とても便利だった。

また、これは笑い話だが、部屋にはちゃんとインターネット接続用のイーサーネットケーブルがあった。僕らの泊まったホテルはそこそこのホテルであり、無いはずはないな・・・と思い、改めて見てみると、テーブルの照明の下に用意してあった。

最近、出張で泊まったホテルの場合、必ず、インターネット接続用のケーブルという説明書きの小さなスタンドのようなものがあったので、それを探していたのだが、リゾートホテルのせいか、そのようなものはなく、僕の「固定観念」により、見過ごしていた。でも、妻からは、さすがに休暇に来てまで毎日ネット接続は止めてくれ(子供の面倒を看てくれ)ということで、部屋では一度もネットには接続しなかった。

グアム到着の翌日は、朝食を済ませた後、子供用の浮き輪とライフジャケットを持って、海とプールで遊んだ。というよりうも、子供を遊ばせた。最初は少し怖がっていたが、徐々に慣れてきて、翌日はひとりで泳ぎにならない泳ぎをしており、子供の柔軟性というか学習能力というか環境適応力に目を見張った。

学習能力という意味では、僕らが教えたということもあるが、人の集まる場所に行くと、Hello, Hello と手を振って人々を笑わせていた。また、その場を立ち去るときは、See you. Bye Bye. と言っていた。社交性があるのは、僕に似たのだろうか?(笑)

3日目(帰国前日)は、海やプールで遊ぶ前に、レンタカーを借りてドライブに出掛けた。

グアムは南北に約48キロ、東西は約14~20キロの島だ。

僕らの泊まったホテルは、グアムのメインのビーチ(西側)の真ん中にあり、そこから西海岸沿いを南に下り、最南端を通って東側の海岸沿いを北上し、途中でグアム島を横断して帰ってきた。全部で80~90キロぐらいだろうか。10時半過ぎに出て、途中で何箇所か観光スポットに立ち寄り、ホテルに戻ったのは、15:00頃だった。

ドライブの途中で立ち寄ったヨットハーバーに併設されているレストランでは、グアム基地に勤務していると思われる若いアメリカ兵士達が昼食を食べながら談笑していた。

彼らの姿を見ながら、ある映画を思い出したと同時に、ある意味、今の日本の平和が保たれている背景には彼らの存在があるし、その一方、沖縄での米兵の問題もあり、なんとも複雑な心境に駆られた。以前の僕だったら、同じシーンに遭遇しても、そういうことには思いをはせなかっただろう。

「ブラッド・ダイヤモンド(紛争ダイヤモンド)」という映画のことは以前にも僕のブログで紹介したが、その映画の監督が言っていた「世界は相互に関連しあっている(地球の裏側の出来事に誰も無関心ではいられない)」という言葉を思い出した。

また、走っているクルマにも発見があった。

まず、韓国メーカー「HUNDAI」のクルマがそこそこ走っていることが目にとまった。確実にシェアを伸ばしているようだ。

また、日産車では、MURANO の姿をよく見かけた。

HUNDAI のことで思い出したことがある。グアム滞在中にプールサイドで見かけたカップルの女性の方が、「月刊 朝鮮」という雑誌を読んでいたことが目に留まった。不勉強な僕は、アメリカと北朝鮮に国交があるのかどうかを知らないが、北朝鮮の経済状況を考えると、民間人がグアムに来れるとは思えないので、韓国の人なのだろうか?

また、それ以外では、中国語を話す人が多いことも印象に残った。以前にサイパンに行った時は、韓国語を話す人は多かったが、中国語を話す人はそれほどでもなかったと思う。「BRICs」ではないが、経済力という意味での新興国が、文字通り、経済力を高めていることを実感した。

因みに、グアムの人口は、14万5千人だそうで、5年前は13万人だったらしい。今も増え続けているという(行きのクルマの運転手による)。

僕が、「その人たちはどこから来ているのか?」と質問すると、「中国、フィリピン、ロシア、アメリカ本土」という答えが返ってきた。

さて、ドライブに話しを戻すと、最南端のあたりには、マゼランが初めて上陸したという記念碑が建っていた。一時期、スペインの統治下にあったらしい。

僕は正直に言って、グアムに来るまではグアムのことをバカにしていたが、歴史的な側面もかなりあり、また、島の雰囲気も含めて、かなり気に入った。時差は1時間しかないし、飛行時間も短いし、旅費も安いし、ハワイと違って「珊瑚礁」の島なので砂浜もきれい(砂が白い)だし、費用対効果を考えると、僕にとってはハワイに行くよりもずっといいと思った。とにかく、近いのと時差がないのが個人的には魅力的だ。自然の美しさという意味では、サイパンの方がもっと素晴らしいけど・・・。

さて、もうひとつ、今回の旅行で学んだことは、子供がいると、同じ子供連れの旅行者と仲良くなれるということだ。同じホテルに滞在していたある親子とはとても仲良くなり、彼らの子供(1歳半)と僕らの子供は仲良く遊んでいた。

また、子供ということでは、子供がいると、どうしても慌しくなり(じっとしていないし、機嫌が良くなったり、悪くなったり、くるくると状況が変わる)、ついつい「忘れ物」等をしてしまい、時間のロスが発生することを知った。そういうことも織り込んだ上で計画を立てる必要がある。

今回の旅では、普段の生活では気がつかないことをたくさん学ぶことが出来たが、最後にもうひとつだけ、グアム滞在中に思い出した(学んだ)ことを紹介したい。

今から20年近く前のことだが、当時の勤務先で上司だった林さんという人とニューヨークに出張し、そのまま現地で休暇を取って、サンフランシスコに行った時のことだ。

昔のことなので正確には覚えていないが、林さんがサンフランシスコに着いて暫くした頃、「サンフランシスコの住宅にはエアコンが付いてないな・・・(室外機の有無で分かる)」と言っていた。その前にいたニューヨークは、夏は摂氏で40度を越えることもあり、ほぼ間違いなく、すべての住宅にエアコンがついているが、当時のサンフランシスコでは、エアコンがある家がまばらだったのだろう。僕もその辺の記憶は曖昧である。いずれにしても、林さんは、その差異に目を留めていたということだ。

同じところに旅しても、同じことを経験しても、そこから学べることは、その人によって大きく異なるということだ。

当時の僕は、そんな「観察力」は微塵もなかった。

白髪が増え、髪の毛も薄くなり、体力も衰えてきてはいるが、その分、多少は利口になったと思う。

まだまだ、ゴルフも出来るし(尚且つ、20代30代の頃よりも格段に上達している。これは結構、自慢!!/笑)、こうして子供と一緒に旅行に行けることに感謝したい(している)。