他人という鏡に映った自分でなく、自分の心の中の鏡に映った自分を見る。

一昨日のワークショップの帰りの電車の中で、例によって読みかけだった篠塚建次郎さんの本を読み終えた。

ご自身の今までのラリー人生を綴った本で、難しい話しは何もなかったが、得るものがたくさんあった。

特に、最後の章で彼が語っていた「これから(60才以降)の人生は、まだ、20年もある。先のことは分からない。今を一生懸命に生きるしかない」という一言が心に響いた。

僕は現在、44才。もう44才という思いもあるが、仮に、64才まで現役で働くとすると、あと20年もあることになる。社会に出てから22年目になるが、それと同じぐらいの時間がある。

20代や30代の頃のような「瞬発力」は衰えてきているのは事実だが、持久力というか、ペース配分を考えながら仕事をするコツがわかってきたし、洞察力や判断力は間違いなく向上していると思う。

そう考えれば、今までとは違った意味で「楽しい20年」を過ごせるような気がする。

篠塚さんも「今までは『勝つ』ことしか頭になかったが、パリダカには、他にも様々な楽しみがあることを知った」と言っている。

ところで、読み終えた本の表紙をめくってみると、そこには「2007年6月27日」という文字と共に篠塚さんのサインが書いてある。

先日のエントリーで、今年の夏休みは実際の日数よりも長く感じられたと書いたが、篠塚さんとの出会いは、何故か、つい先日のことのような気がする。

「透明感のある瞳と笑顔」が素敵な人である。

ところで、タイトルに書いた言葉は、ある人から言われた言葉である。

「他人の評価に一喜一憂していては、本当の【自由】は得られない」という意味だ。

一昨日のワークショップでの久保さんも相田みつをも同じことを言っている。何事にも「普遍的」な理があるということだと思う。