日本社会は「リスク」を取ることを許容するか?

WBSの取材絡みで「リスク」に関することを書いたが、僕自身の「生き方」にとってはもちろん、日本社会にとっても非常に大きいテーマであるので、このタイミングで僕の考えを整理し、僕のブログを読んで頂いている皆さんにお伝えしたいと思う。

前回のエントリーで、銀行融資に関する「個人保証」のことを取り上げた。僕は、この問題はかなり大きいと思っている。

裏を返せば、銀行に「経営者を見極める能力がない」ということにも繋がるのではないかと思う。

僕がインタースコープを経営している頃、社内でこんな議論があった。

公務員でいい加減な性格でお金にルーズな人間と、風俗店で働いている女性でマジメでお金にきちんとしている人とでは、どちらが「延滞リスク」が高いか?

これは、かなり極端な例かもしれないが、要するに、社会的な立場や職業だけでなく、その人の「本質」を見極めることが大切であり、そういう「判別ロジック」を開発できないか?という議論をしていた。

これは、僕の個人的エピソードであるが、同じくインタースコープを経営している頃、旧財閥系の某不動産ディベロッパーが建てたマンションを購入した。

その時、僕は「そうなるんじゃないかな・・・」と予想をしていたが、その不動産会社のグループである銀行(メガバンク)からの融資の審査が通らなかった。

因みに、インタースコープの社員は、何も問題なく「住宅ローン」を借りることができていた。

要するに、こういうことである。

代表者であった僕は、インタースコープの債務に対して「個人保証」をしていたため、既に、住宅ローンの何件分かの「リスク(潜在的債務)」を抱えており、銀行の「ロジック」としては、これ以上、リスク債権を許容できないという理由だったのだろう。

インタースコープの財務状況は「超優良」で、バランスシートには「億単位」の現預金があったにも関わらずである。会社が倒産するリスクは、極めて低かったと言えるし、仮に、清算(会社を解散)して、すべての債務を支払ったとしても、会社にはかなりの現金が残る財務状況であったにも関わらずである。

もうひとつ、別の事例を紹介したいと思う。ソフトブレーンの小松さんのブログで読んだことだ。

~「日本サッカー(日本代表)のフォワードは、他国のフォワードと比べてシュートをしたがらない」との話しがあり、その理由として「失敗を恐れる」からだ、との指摘があった。

そして、その背景として、日本社会が「一度失敗すると、チャンスを与えない」ような考え方があるのではと、元日本代表の福田氏が解説していた。~

僕は、そのような「価値観」や「生き方」が深く根付いている日本は、「ナローバンドな生き方」を善しとし、「ブロードバンドな生き方」は善しとしない国だと思っている。

僕が何故、そのように思っているか?と、僕の言葉で言う「ナローバンドな生き方」と「ブロードバンドな生き方」の定義は、次回のエントリーで説明したいと思う。