深夜の「救急病院」に垣間みる日本社会の現実。

昨日19時33分。キャリアデザインに関して相談に来られている方との面談の最中、ケイタイ電話に着信があった。

普段であれば、もちろん、面談中に電話を取ることはしないが、昨夜の方は、インタースコープ時代のインターン生からの紹介で、打ち解けた雰囲気だったため、ひと言、断っ���上で、電話を取ろうとした。

すると、もう何年も会っていない、でも、僕がとてもお世話になった方からの電話だった。

彼ら夫婦には、僕にとって初めての会社を細々と経営していた時、実力の無さ故に経済的に窮した際にお金を貸して頂いたり、山川さんと一緒にインタースコープを創業した時は、個人株主として出資して頂いたりと、一方ならぬお世話になってきた。

その奥さんが、コンビニで倒れて、救急車で運ばれたという。

New York にあるコロンビア大学のMBAを極めて優秀な成績で卒業された、普段はとても冷静沈着な彼が物凄く動揺していることに、僕も動揺した。

彼ら夫婦は岐阜に住んでいるのだが、奥さんが、ある国家試験の受験のために上京してきており、救急車で運ばれたのだが、どこの病院に運ばれたのかが分からず、東京にいる僕に、状況を調べて欲しい(これから新幹線に乗って東京に行くから)ということだった。

さすがに、面談を途中で放棄するわけにはいかず、面談終了後、警察や消防署に電話をし、彼女の行方を探したが、「個人情報の保護」ということもあり、どこの病院に運ばれたのかは確認できなかった。

もう少し、状況を確認する必要があると思い、もう一度、彼に電話をしたところ、救急車で搬送した方が、彼女のケイタイ電話を調べて電話をかけてくれたらしく、担ぎ込まれた病院は確認できたとのことだった。

そんなことで仕事を切り上げ、急遽、都内の某大学病院に向かった。

幸いにして大事には至らず、容態も回復し、予想はしていたが、彼女は、医者の反対を押し切り、翌日の試験を受けると言い張り、入院せず、深夜にその大学病院を出た。僕のクルマでふたりをホテルまで送り、家に帰ってきた。

ところで、昨夜の一件で、僕がお世話になった彼の教え子にあたる人と、約9年ぶりに再会した。現在、あるVCで働いており、僕に電話をしたのと同じように、彼に電話をしたらしい。

彼女が倒れたことにより、結果的には、何年ぶりかでの彼らとの再会が実現したわけで、不思議な縁を感じた。

一昨日の堀水の件も含めて、古い付き合いの人たちとの仕事なり、再会なりが続いた。

何かの意味があるように思う。

ところで、昨夜、僕より先に病院に到着していた彼によると、その大学病院の救急病棟では、インターンか正式に医師になってまだ数年と思しき若い人たち(3人)が、彼女の診察にあたっていたらしい。

そこに、今の日本の医療が抱える問題と現実があるように思う。

急速に高齢化する社会と増え続ける医療費、過酷な医療の現場故に引き起こされるミスと米国的になった訴訟社会、それ故に、リスクの高い治療をさけ、また、安全を期して(保険をかけて)様々な医療を行うことにより保険財政を圧迫する。

また、仕事がキツく、場合によっては命に関わることから、なり手がなく、医師の数が減っていく産婦人科や小児科。その一方、どう考えても、こいつは医者か?と思わせるような輩もいる。

そして、ベテランで優秀な医師は、様々な理由により、救急病棟には回されず?回らず?、経験がない若い医師が現場にあたっている。

「税金」を投入すべき領域と即刻、取り上げるべき領域があり、本当に投入されるべきところにお金が回るようになれば、今の財政問題もかなり解決されるのではないかと、勉強不足ながら思ったりする。

そう言えば、先日、ある省庁で働く方から、官庁の現実と政治と行政のメカニズムを伺う機会があった。

機会をみて、その話しも紹介しようと思う。