NGOという「生き方」。

アフガニスタンで拉致され亡くなられたNGO「ペシャワールの会」職員の伊藤和也さんが、無言の帰国をされた。

彼のお父様は「和也は伊藤家の誇りです」と語られたそうだが、その心境を思うと言葉がない。
心から伊藤さんのご冥福をお祈りしたい。

ところで、NGOというと、僕にはある記憶がある。

インタースコープ創業間もない頃、インターンとして入社し、翌年4月に新卒入社予定だったある女性が、以前から興味のあったNGOで採用枠が出来たとのことで、インタースコープの内定を辞退して、あるNGOへの就職を選んだことがあった。

彼女にとっては、ネットビジネスよりも、収入よりも、「NGO」という「生き方」の方が魅力的だったということだ。

少子高齢化が社会問題となり、人口減による経済規模の縮小が課題となったとは言え、今尚、経済的に豊な国であることは間違いない日本において、経済的レベルアップではなく、NGOという「生き方」を選択する若い人がいることは、そこに、人生を懸けるに値する「何か」があるということである。

プリミティブ(原始的)な次元で「人の役に立つ」ということに、自分の「存在意義」を感じるのだろう。

「豊かさ」が当たり前となった日本において、彼・彼女たちの「人生の選択」は、何かを物語っているような気がする。

ところで、今日から9月。今年も残すところ、あと4ヶ月。

毎日を大切にしたい。