今日で正月休みも終わり。時の経つのは本当に速い。
法政大学ビジネススクール最終日の翌日からロシア出張に行き、12/29(月)に帰国。翌30日は友人宅で「もんじゃ焼きパーティ」をして大晦日に帰省し、1/3(土)に帰京。何とも慌ただしい半月だった。
帰省中は、今の母(養母)と僕たち家族の他に弟と父方の叔母夫妻とその子どもたちが集まり、何とも賑やかだった。
その翌朝、母が珍しく起きて来ないので、心配になって寝室に行き声をかけると、背中が痛いという。
どうやら、皆で集まる正月のために、老体に鞭打ち、お節料理をつくったようだ。とにかく、人に尽くすのが生きがいのような人なのである。
僕は僕で、強行軍のロシア出張の疲れが出たせいか、微熱があり身体が辛かったが、年末に読んだ宋文洲さんのメルマガの「思いやりとは言葉ではなく、行動である」というひと言を思い出し、久しぶりに、母の首と肩を揉んであげた。
「ここまで頑張るなよ」というほど、凝っていた。
ところで、僕の実家の居間には、父方の祖父母と父母の遺影(4人)が飾ってある。
帰省中のある時、僕らの子供が、その遺影を見ながら、僕に質問をした。
「あれは誰?」。「曾お祖父さん」。「その隣は?」。「曾お祖母さん」。「その隣は?」。「お祖父さん」。「その隣は?」。「死んじゃったお祖母さん」。
「死んじゃったお祖母さん・・・・?」
3才の子供ながらに、何かあると思ったのだろう。首を傾げていた。
そりゃそうである。「お祖母ちゃんの家」に遊びに来ているのだから。
その翌日、また、同じ質問をしてきた。
今度は「死んじゃったお祖母さん」と答えた後、その意味を、3才の彼にも分かるように?説明してあげた。
家族の歴史を感じた一瞬だった。
因みに、理解したのかどうかは分からないが、それ以降は質問して来なかった。
話は変わるが、今日は、子供を連れて明治神宮に初詣に出掛け、その後、新宿御苑に行った。
雲ひとつない青空と冬枯れの芝生が何とも言えない雰囲気を醸し出しており、僕は思わず、芝生に寝転び、空を見上げた。
中東では、イスラエルがガザに侵攻し、罪の無い多くの命が犠牲になっている。
その根源には、ロジックでは解決出来ない「民族問題」があり、物事の複雑さを考えさせられる。
こうして、正月を迎えられることは、幸せであることに疑う余地はない。
明治神宮でひいた「おみくじ」の言葉を大切に、今年一年、一日一日を大切に過ごしたい。