「政治家」は、国民のレベルを代表する。

今日のタイトルに書いたことは、以前から思っていたことだが、その「フレーズ(言い方)」は、ソフトブレーン創業者の宋 文洲さんのメルマガのタイトルに倣ったものだ。

僕は、日本の民主主義のレベルは、決して高いとは言えないと思っている。

その原因は、僕を含めて、多くの日本人が、自国の「政治・経済・行政」に対する「知識・理解」が足りないことにあると思っている。

最近はようやく、それは「悪(無駄使い)」だという認識が得られるようになってきたが、数年前までは、殆どクルマが通らない場所にまで「高速道路」を建設したりと、「族議員、ここに極まれり」的な状況が脈々と続いてきた。

でも、それは、地元の経済には「公共工事(国民の税金)」が欲しいがために、そういう政治家に投票する有権者がいたからに他ならない。

その構造を改革するアプローチのひとつとして、財源を地方に移譲し、「地域国家」なる概念のもと、「道州制」を導入するべきだというのが、大前研一氏の主張なのだろう(そのことに対する僕の考えは、別の機会に書こうと思う)。

話は変わるが、数週間前の「週刊現代」によると、堀江さんが「ニッポン放送・フジテレビ」の件で社会の関心を集めていた時、ライブドアの提案に抗するフジテレビの日枝会長を説得して欲しいと、トヨタの奥田会長(当時)にお願いに行ったそうだが、その際に、奥田さんは「頑張れよ。(フジテレビには広告を)出さないって決めたんだよ。(番組が)下らな過ぎる」と仰っていたそうだ。

それがどこの局かすら僕は知らない(興味がない)が、最近の「おばかキャラ」を売り物にしているタレントを起用して番組を制作しているテレビ局には、僕も甚だ呆れている。

かれこれ10年以上も前に、テレビは「1億 総白痴」時代をもたらす、というような議論があったが、まさしく、そのような時代になったと感じる。

話が「政治家」のレベルから「テレビ番組(局)」のレベルに変わってしまったが、要するに「視聴者」や「有権者」が、「テレビ番組(局)」や「政治家」のレベルを規定する、つまり、僕たちに責任がある、ということである。

僕は、ニュースとドキュメンタリー(子供が生まれてからは、NHK教育テレビも)以外は殆ど見ないので、最近の「おばかキャラ」タレントは殆ど知らないが、「国民(日本の将来)」に多大な影響力を与えるメディアの責任として「視聴率さえ取れればそれでいい」ということではないと思うし、「政治家」に関しては「票(特定業界)」のためでいい筈がない(もちろん、素晴らしい政治家の方もいるし、素晴らしいテレビ番組もある)。

世界的な経済危機、地球温暖化問題、北朝鮮のミサイル発射、日本においては人口減等、それこそ、先行き不透明極まりない時代に、我々は生きている。

国民ひとりひとりの「意思と行動」が、「日本の将来」を決めるのである。

そして、「国民のレベル」を向上させていくには、何にもまして「教育」が大切である。

では、日本はどんな国を目指すのか? そのために、どんな教育をするのか?

「子を持つ親」として、大きなテーマである。