人生に「退屈した時」。

社会からどのようなイメージで見られていようとも、仕事に「意味」を与えるのは、それに携わる「当人」である。

しかし、現代に生きる人間はしばしば、「人生」に確かな「意味」を見出すことが難しくなる時がある。

それは「退屈した時」である。

上記は、一言一句は別として、僕が今までに読んだ本の中で最も影響を受けたと言ってもよい「希望の見つけ方」という本の一節である。

ところで、良くも悪くも、現代社会は「忙しい社会」であり、また、忙しさは「現実から目を背ける効果?」もあり、多忙にしていることで、本当の問題を棚上げしておくことができる。

でも、本当にやらなければならないことは案外少なく、捨てるものを捨てて時間を持て余すと、むしろ、不安になったりする。

でも、時には立ち止まって考えることも必要である。

何に意味を見出すかは、その人の「自由」であり、それは「意志」の問題である。

その人の人生の意味は、その人でなければ定義できない。

他人の尺度で考えているうちは、本当の意味での「心の平穏」は訪れない。

遅まきながら、最近になって、ようやく、少しだけ、そう思えるようになった。