父親の帰宅時刻。

はやいもので、僕たちの子供は、今月で4歳になった。

彼が生まれてから丸4年が経ったわけだが、遥か昔のことのように感じられる。

彼の誕生前と後とでは、僕の人生自体が別のものになったような感覚である。

その彼は最近、僕が何時頃、帰宅するかと尋ねるようになった。

彼が寝る前に帰ると言うと、「やったー!」と言って喜んでいる。

自分が眠りにつく前に、親が帰ってくる(会える)のを嬉しいと感じるのは、子供の自然な感情なのだろう。

でも、僕にはそれが新鮮である。

幸か不幸か、僕には、僕が彼の年齢だった頃の記憶がなく、父親の帰りを楽しみにしていたという記憶がない。

彼の人生に対する責任を感じている。

朝青龍のガッツポーズ。

「朝青龍」が4場所ぶりの優勝を飾った。無条件に素晴らしい。

さて、その朝青龍、嬉しさのあまり、ガッツポーズをしたことが、また、問題視されているという。

相撲は「礼儀」を重んじるスポーツであることは勿論わかるが、一生懸命、それも、人並みならぬ努力が報われたことを素直に表現するのが、それほど「礼儀」に反するのだろうか?

僕には、どうしても受け入れ難い。

日本人の奥ゆかしさや感情を表に出さないところは美徳なのかもしれないが、自分の感情を素直に表現してはいけないという社会的風潮は抑圧を生み、ストレス過多社会に繋がっているのではないだろうか?

大切にすべき伝統や慣習があることは理解できるが、「相撲」が既に「国際的スポーツ」になっている以上、もっと柔軟に考えてもいいような気がするのは、僕だけだろうか?

嬉しさを身体で表現してはいけない(押し殺す)というのは、不健康ではないだろうか?

ジェントルマンのスポーツと言われる「ゴルフ」では、ガッツポーズをする選手に苦言を呈するとは聞いたことがない。

「JAL」は好景気でも「赤字」だった。

2005年度から2008年度までの「JAL v.s. ANA」の「純利益(連結)」を比較すると下記のとおりとなる。

         JAL   ANA
2005年度  -47,243  26,970
2006年度  -16,267  26,722
2007年度   16,921  32,658
2008年度  -63,194  64,143

(単位:百万円/各社財務諸表より)

上記が物語っているのは、JALは、好景気の時期も「赤字」だったということだ。
即ち、「経営責任」以外の何物でもない。

その間、ANAは、きれいに黒字。

そんなお粗末な経営をしてきた「JAL」を、公的資金、つまり、我々国民の「税金」で「救済」する必要があるのか?

僕は、そんなことのために、貴重な税金を納めているわけではない。

百歩譲って税金の話は引っ込めたとして、では、きちんと黒字を計上してきた「ANA」の経営陣・従業員は、どう思うだろう?

そんな「ハンディ」をあげるほど、JALは無くてはならない存在なのだろうか?

「ハンディ」を背負って参入してきている「空のベンチャー」もいるのである。

JALが無くなって困る人は、はたして、誰なのだろうか?

そこを考えれば、自ずと答えは決まっていると思う。

追伸:マネックスの松本さんも、「私の税金はどこへ行く?」というタイトルで、同じようなことを書いている。是非、ご一読を。

秋分の日の「東京湾」。

個人的には好きな呼称ではないが、シルバーウィーク最終日の昨日は、子供を連れて「ららぽーと豊洲」に出掛けた。

自宅からクルマで20~30分の距離にあり、確実に駐車場に入れるし、雨天でもそれなりに過ごすことができるため、2ヶ月に1度ぐらいのペースで出掛けているだろうか。

さて、その「ららぽーと豊洲」だが、東京湾に面しており、クルーザーというか水上バスというか、お台場や浅草に向かう船と、レインボーブリッジの辺りまで行って戻ってくる、東京湾を「周遊」できる船が出ている。

子供が乗ってみたいというので、ランチを食べた後、チケット売り場に向かうと、13:15の便は、ちょうど満席になり、次は、14:15になるという。

ランチの前に、どういうコースがあるのか確認に行っているので、その時に、混雑するので前売り券を買った方がよいと言ってくれればそういうことにはならなかったのにと思ったが、今さら何を言ったところで13:15の船に乗れるわけじゃなく僕は黙っていたが、妻は腹に据え兼ねたらしく、ひと言、文句を言っていた。

ところで、その「周遊コース」、一周約40~45分のコースだが、秋風が心地よく、なかなか快適だった。

連休中の遊び疲れが溜まっていたせいか、乗船して15分もすると、子供は僕の膝の上で眠ってしまった。

エンジンの音で書き消されてしまう解説を聞き流しながら東京湾の岸辺を眺めていると、色々な産業や仕事があることがよく分かった。

僕の個人的問題なのかもしれないが、ベンチャー、特に、ネット系のベンチャーの世界にいる(今はそうでない部分もあるが)と、重工業や港湾労働、橋梁等の産業とは接点が皆無となり、どうしても、視野が限定されてしまう。

先進国の仲間入りして久しい日本には様々な職業があり、経済レベルも知識水準も価値観も異なる1億2,000万人を統治していくというのは途方も無く大変な仕事であり、八方美人の政策では無理だということを、岸辺の景色を見ながら考えていた。

様々な課題を抱えながら始動した「鳩山政権」。

一年後、日本はどういう国になっているのだろう?

蝉の脱殻

5連休の初日、子供の体調がいまひとつで、保育園を休ませた。

調子が悪いと言っても、鼻水が出るのと、やや熱が高めというだけで、あとはいたって元気であり、昼食を兼ねて、近所の公園に出掛けた。

都会のマンション暮らしだと、普段は3輪車に乗せる機会がなく、公園で3輪車で遊ばせた。両足で漕ぐことは、脳の発達にいいらしい。

お昼を食べた後、また、公園で遊んでいると、入れ替わり立ち代り、いろんな子供達がやってくる。

ある兄弟が、「蝉の脱殻」を探して遊んでいるのが気になったらしく、我が子も、その「お兄ちゃん達」について、蝉の脱殻を探し始めた。

最初は、相手にしてもらえなかったようだが、そのうち、自分でも探せるようになり、一緒になって遊んでいた。

僕が子供の頃は、近所のお兄ちゃん達に混じって遊びを教えてもらっていたわけで、都会であっても、今の世の中であっても、子供の本質は変わらない。

そういう触れあいの中で、ケンカをしたり、仲直りをしたりしながら、子供は、社会性を身につけていくのだろう。

「過保護」はイケナイ、ということを感じた瞬間だった。

久しぶりの「小田急線」。

昨日は、大学時代に毎日お世話になっていた「小田急線」に、久しぶりに乗車した。

渋谷から「井の頭線」で「下北沢」まで行き、小田原方面行きの「小田急線」に乗り換えた。

新宿と下北沢の間は、過去数年で、一度や二度は乗車したことがあったと思うが、「成城学園」以西に向かったのは、記憶にないほど前になる。

「登戸」の駅がとてもキレイになり、「相模大野」に関しては、東横線の日吉のような感じになっており、隔世の感を覚えた。

でも、あれから「20年」以上も経っているわけであり、考えてみれば、当たり前のことである。

ところで、久しぶりに「小田急線」に乗ったのは、某電鉄グループ(ぼかす意味はないのだが)のある会議にお招きいただき、そこで講演をするためだった。

その会議は、各グループ企業の支店長や営業部長の方々が集まり、各グループの近況を共有し、懇親を深めることを目的としているものだった。

そこで、僕が話をさせていただいたことは、以下の3点である。

・組織にはなぜ、「目的」が必要か?
・「カルチャー(価値観)」は、組織の意思決定にどのような影響をもたらすか?
・「劣後順位(なすべきではないこと)」の決定はなぜ、難しく、なぜ、重要か?

本来、僕のような人間に話ができるようなテーマではないのだが、今回の講演内容を考えるプロセスにおいて、インタースコープはなぜ、あそこまで行ったが、あそこまでしか行けなかったのか?ドリームビジョンではなぜ、自分の思うような事業展開が出来ていないのか?を整理することができ、自分自身がもっとも勉強になった。

また、一個人として、日常生活において電車を利用していはいるが、「鉄道」というものを基盤とした「事業」に関しては、まったくの門外漢であったため、自分自身の「予習」として、主要な「鉄道グループ(4社)」をピックアップし、各社の財務諸表や決算資料等をもとに収益構造を分析したものを、講演の冒頭にお話させていただいた。

「鉄道」というものを基盤としつつも、グループによって、収益構造は大きく異なり、それはすなわち、マネジメント(経営戦略)の違いによるものであることを実感した。

話は変わるが、最近は死語となった感もある「Web2.0」時代を迎えて、「知識」の持つ価値が低下し、「知恵」がますます重要になるという論調があるかと思うが、僕は、それは、ミスリードのリスクが大きいと思う。

僕は、「知識」を入手するための「難易度」と要求される「努力」水準が低下したというべきだと思う。

むしろ、「知識=知見(成果を得るために必要な情報)」とするのであれば、その重要性はますます増大しており、それ無しには、いかなる「知恵」も持ち得ないと思う。

例えば、今の僕が持っている「知識」をもとにインタースコープなりドリームビジョンを創業したならば、結果は大きく異なっていたはずであるし、その自信がある。

ビジネススクールが提供する価値は、そこ、つまり、必要となる知識の「事前取得」にあるのだと思う。

しかし、個人差が大きいとは思うものの、その「知識」のもつ「意味」を、ビジネスなり経営の経験を踏まえずに、文字どおり「事前」に学ぶことと、それらの「経験を踏まえて学ぶ」のとでは、その理解と吸収力に大きな違いがあるように思う。

因みに、今回の講演の準備をしながら、巨人の「堀内投手(現役最後の頃)」が、デビュー間もない「槙原投手」に、「今の俺に、お前のスピード(150キロ)があったら、年間30勝はできる」と言っていたことを思い出した。

プロスポーツの世界であれば、肉体の衰えは如何ともし難いと思うが、ビジネスにおいては、経験から学んだ「知識」を活用することによって、加齢とともに衰えたものを補って余りある成果を出すことが、充分に可能だと思う。

ドラッガーが言うように、知識社会においては、ひとつの「事業の定義」が有効なのはせいぜい「10年」であり、組織の寿命よりも、(知識労働者としての)個人の寿命の方がはるかに長いわけであり、誰しもが「セカンドライフ」を必要とし、生涯に渡っての「学習」が必要である意味がそこにある。

ところで、マクロミルが、子会社の再編を含めて、事業構造を変えるという。

インターネットリサーチがビジネスになって約10年。

「顧客の情報収集(調査)に関わる時間とコストを激減する(スピードと低コスト)」という「事業の定義」が、それが達成されたが故に、陳腐化したのだと思う。

では、これからのインターネットリサーチ業界に求められるものは何か?

インターネットリサーチ業界発展の恩恵を受けたひとりとして、考えてみたいと思っている。