「社会起業家」が必要とされる理由。

昨日のエントリーでは敢えて「社会起業家バブル」という表現を使い、玉石混淆が懸念される現状に警鐘を鳴らした(苦言を呈した?)が、「社会起業家」という言葉や定義はさておき、ソーシャルな活動をミッションとする人と組織が必要なことは間違いない。

むしろ、その必要性はますます増大するだろう。

その「理由」を詳細に知りたい方はドラッガーの本を読まれることをお勧めするが、少々乱暴に整理すると、

・農業社会から工業化社会を経て「知識社会」へと変化してきたことにより、人々の流動性が増大し、「地域のコミュニティ」が機能しなくなってきたこと。

・ドラッガーの言う「知的労働者」の増大は、「知識」が「生産財」になったことを意味し、「知識労働者」は、自分自身の「生産性」と「自己実現」を「最大化」できる「組織」を求めるため、どうしても「人材の流動性」が高まる。

・また、「知識労働者」をベースとする「知識社会」では、それぞれの組織が「専門特化(限定的な機能に特化)」するようになる。

という社会構造の変化により、「社会共通の課題については、誰が面倒を見るか?」という問題が発生し、その「新たな担い手」つまり「社会セクター(NPO)」が必要とされるからである。

また、肥大化し高度化した社会では、政府のすることは遠くの出来事であり、個々人の「社会参加(社会に対する影響力)」は極めて限定的(実感が得難い)で、「投票」と「納税」ぐらいしか影響力を行使する手段がない。

しかし、NPOなり社会起業家として「社会共通の課題」に取り組むことで、「市民性の創造」という、さらに重要な役割を担うことになり、そこで働く人々に「世の中をより良い方向に変えることができる」という充実感をもたらすことが、心ある人々に「社会起業家」としてのキャリアを選択させているのだろう。

「病児保育」に取り組む「フローレンス(駒崎氏)」や僕がボランティアとして関わっている「日本中退予防研究所(山本氏)」の活動は、まさに「社会共通の課題」への取り組みである。

但し、問題は「収益化が難しい」という点。

結婚し、子供を育て、家庭を築こうとすると、どうしても一定水準以上の「経済」が必要となる。

そういう意味では、夫婦の両方が「社会起業家的な生き方」をすることは、現実的ではないかもしれない。

僕にとってのテーマでもある。

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