浅田真央の「涙」。パート2

はやいもので今日から3月。あと1ヶ月も経たないうちに「桜」の季節がやってくる。一年は短い。

さて、世界が熱狂したバンクーバー・オリンピックも終了。

金メダル「ゼロ」に終った日本だが、色々と考えることがあった。

ところで、その「金メダル」を獲った「キム・ヨナ」の引退説があるらしい。

「荒川静香」がトリノでの金メダルを花道に引退し、プロ・スケーターに転向したように、それは十分にあり得る話だと思う。

実際のところは知らないが、ここまでの「道のり」が「壮絶」なものだったことは想像に難くない。

本人は勿論、五輪で金メダルを目指すのは「家族全員の闘い」である。

ところで、「銀メダルに涙した」浅田真央が、今週号のアエラの表紙を飾っている。

今日の午後、青山一丁目から乗った銀座線の「中刷り広告」でそのことを知ったが、僕の目の前に立った50歳ぐらいのオバさんが、そのアエラを持っていた。

そういう僕も買ってしまった。かなり売れただろう。

何でも「経済効果」に置き換えるのはいかがなものかと思うが、それだけ、人々を虜にしたということだ。

さて、引退観測が流れる「キム・ヨナ」に話を戻すと、もし、本当に彼女が引退したら、「浅田真央」は、むしろ、精神的に辛くなるように思う。

先日のエントリーで「セナ v.s. プロスト」のことを書いたが、プロストが「4度目のワールドチャンピオン」を花道に引退した後、ひとりでF1界を引っ張っていた「セナ」が、レース中にプロストと無線で会話した時に、「アラン、(君がいなくなって)寂しいよ。戻ってきて欲しい」と言っていたことが印象に残っている。

キム・ヨナが引退すれば、「銀メダル」を取った「真央ちゃん」は、追われる立場になる。

16歳で4位に入ったアメリカの「長洲未来」など、若手の台頭も想定される。

「他人の人生についてあれこれ書く暇があったら、自分の人生の心配をした方がいい」とも思うが、「キム・ヨナ」と「浅田真央」という2人の天才は、それだけ人々の人生に「勇気と自信」をもたらしているということだ。

そして、閉塞感の漂う日本だからこそ、「浅田真央」や「上村愛子」に「期待」してしまうのだろう。

複雑な想いに駆られるが、そう考えると、「ドリームビジョンの企業理念」は、ビジネスでなくても実現できるということだ。

ビジネスだろうがスポーツだろうが芸術だろうが、人々に「勇気と自信」をもたらすのは、その人の「生き方」であり、それが「物事の本質」である。

追伸:トリノで金メダルを獲った後だったと思うが、「荒川静香」選手のことも、このブログで書いたことがある。あれから4年近く経つということだ。時の経つのは本当にはやい。