「スティーブ・ジョブス」と「劣後順位」。

僕のブログを読んで下さいっている方々も、さすがにもう、浅田真央ちゃんの話は食傷気味だと思うので、今日は別の話。

アップル創業者の「スティーブ・ジョブス」のスタンフォード大学卒業式での「スピーチ」は、ご存知の方が多いと思うが、その中で彼は、こう言っている。

「朝、鏡の前に立ち自分の顔を見て、『今日が人生最後の日だったとして、今日の予定はそのまま実行したいことだろうか?』と自分に訊いてみる。毎日毎日そんなことをしていると、ある日、今日の予定は自分にとって本意ではない、と気づくときがある。そんな日が数日続くようなら、それは、そろそろ人生を変えた方がよいというサインかもしれない」。

彼が言わんとすることは理解できるが、それが「どういう心境なのか?」はイメージできなかった。

それが最近、ホント、ここ最近、「こういうことなのかもしれないな?」と思う出来事があった。

誤解の無いように説明しておくと、僕は今の自分の生活がつまらないと言っているのではない。

このアポは、自分にとって、本当に必要なものなのか?と考えることがあったという意味である。

もちろん、不要なアポを入れることはなく、すべてが何らかの意味があるアポなのだが、どこかで妥協をしていたり、動機にやや不純なものが混じっていたりと、ピュアではない要素があるということだ。

そのことに気づいた。

ドラッガーの言う「劣後順位」でもある。

ところで、我が子が新しい保育園に移ってから、丸2ヶ月が過ぎた。

昨日は、保育園でダダをこねることもなく、初めてすんなりと母親とバイバイできたという。

今朝は僕が妻と彼を送って行ったが、今日も泣いたりせず、元気に登園したらしい。

さて、子供を保育園に預けた後、今度は、妻を仕事場まで送っていった。

目的地に向かう車中で、彼女がおもしろい?ことを言っていた。

それは「人間は、締切がないと、時間を用意しない」ということである。

彼女は「臨床心理士」を目指すと決めた後、予備校に通い、大学3年への「編入受験」をし、大学院の「受験」をし、その次は「臨床心理士」の「資格試験」に合格するための勉強と、常に「締め切り(試験日)」があり、子育てと仕事の合間を縫って、とにかく「まとまった時間」を創ることに一生懸命だったのだが、昨秋、めでたく臨床心理士の試験に合格した後は、日々の仕事と子育てに追われて、春休み(大学で働いてる)になったらやろうと思っていたことが「何もできていない」と言っていた。

「春休み」になってからの方が「時間がある」のは間違いないのに・・・である。

人間は「締め切り」がないと、時間を有効に使えないのかもしれない。

考えてみると、当たり前のことかもしれない。

何故なら、何事も「有限」だと思えば大切にするし、「無限」だと思えば浪費しがちになるだろうから。