桜咲く。人生はすべて必然。

桜咲く。人生はすべて必然。

マイナーコードの曲が好きなのは、自分自身を「夢破れた人」と認識しているからなのかもしれない。でも、そこに希望を見い出しているのは、今風に言えば、まだワンチャンあると思っているからだろう。でも、残された時間は決して多くはない。人生は短い。正確に言うなら、時間はあっと言う間に過ぎ去る。花の命は短い。

忘れないように書いておくと、他力本願かもしれないが、中学高校時代の「教師や環境」が大きく影響していると思う。皮肉かもしれないが、それが僕が教育に関心を持つようになった理由でもある。

人生はすべて必然」というのは、僕の自作の座右の銘の2番目の言葉だ。

長男と次男のダブル受験は無事終了。今年の2月は我々家族にとって忘れられない季節になった。

長男は第一志望の国立大学の第二志望の学部には合格したが、第一志望の学部の合格は手にすることができず、私立の第一志望、全体では第二志望の大学に行くことにした。合格した国立大学は難関校なのは事実であり、その大学に合格したことは、彼にとってはコンプレックスを払拭する材料になったという。そんなこともあり、自分の興味に合致する第二志望の私立大学に行くことを前向きに捉えている。素晴らしいことだ。

次男のことは「梅の花は咲いたけど・・・」で書いたが、都立の中高一貫校に進学することになった。彼はバランス感覚に優れた人間で、長男のようなコンプレックスを抱えているわけでもなく、一定水準以上の学校に行ければ問題はないと考えていたようだ。合格に対して、長男ほどの高揚感は見せず、むしろ、喜んでいたのは親の方だった。

One Broadway, Cambridge MA

ところで、武蔵野大学アントレプレナーシップ学部(通称:EMC=Entrepreneurship Musashino Campus)の仕事で、選抜された学生5人(女子4人!+男子1人)を連れて、3/3 (日)に成田を出発、ボストン、ケンブリッジ、そしてニューヨークを訪問し、3/9 (土)に現地を発ち、3/10 (日)に帰国した。

僕と懇意にしてくれている方はご存じのとおり、EMCという日本で初めての「アントレプレナーシップ学部」の創設に参画した。声を掛けてくれた羊一さんに感謝である。

EMCは学部名のとおり、起業家精神(entrepreneurship)を育むことを目的とした学部であり、教員は僕自身を含めて、ほぼ全員、実務家だ。起業家、投資家、新規事業責任者、NPO経営者、デザイナーなど多様である。

今年はボストン大学バブソンカレッジで授業を見学させていただいただけでなく、5人の学生たちが自分自身の問題意識や起業アイディアについてプレゼンし、それに対して教授や学生たちからのフィードバックをいただき、Q&Aを行った。

プレゼンもQ&Aも当然、英語。プレゼンは事前に用意していたものの、英語は殆ど話せない学生もいて、Q&Aは僕が手伝った。印象に残っているのは、ボストン大学でのプレゼンで、ある学生のQ&Aで、彼女が目に涙を浮かべながら真剣に答えようとしていた瞬間。彼女は留学経験があり、英語は堪能だが、異国の地で自分自身と向き合うことになり、感極まったのだろう。さらに僕が驚いた(とても嬉しく思った)のは翌朝、ホテルで朝食を摂りに降りて行ったところ、彼女がロビーでプレゼンスライドをスクラッチから作り直していたことだ。その前向きな姿勢がとても嬉しかった!

5人とも頑張っていたが、もう一人、紹介したいのは、唯一の男子として参加した多田采広(ただ あやひろ)という学生のこと。彼は小学校から高校2年生まで、サッカーづくめの人生を送って来ており、プロのクラブから、それも2つのクラブから声を掛けられるほど才能に恵まれていた。しかし、プロ契約をするにあたり、身体検査を受けたところ、脳にとある障害が見つかり、そのままサッカーを続けると命の危険があるということでドクターストップが掛かり、彼のサッカー人生は幕を閉じた。

彼にとって、どれほどの喪失感だったかは想像に難くない・・・。

EMCに入ってきても、彼は自分が情熱を傾ける対象を見つけられず、もがいていた。おそらく、そんな自分が嫌で終止符を打ちたかったのだろう。殆ど英語も話せないにも関わらず、今回の選抜プログラムに応募してきた。

学部長の羊一さん、同僚の津吹さん、そして僕の3人で議論を尽くした結果、彼を今回の研修に参加させることにした。ところが、それから3ヶ月、彼は本当に参加するのだろうか・・・と思わせるような状況に陥った。でも、彼を選抜して本当に良かった。5人それぞれにレポート(noteで公表)を書いてもらったので、宜しければ是非、読んでみて欲しい。

Rie さんを囲んで彼女の今までの人生とNYCでの生活について話を聞く at セントラルパーク。

ところで、ボストンからNew Yorkに移動した翌朝、古くからの友人であるRieさんという日本人女性起業家と学生5人を会わせるため、セントラルパークで待ち合わせをした。

New Yorkは、一週間いると、ここは自分の街だと思えるようになる街だ」と彼女は言っていたが、僕にとって6-7年ぶりのNYCは「帰ってきた・・・」という感じがした。

大学4年生の時、New York 郊外の友人宅に約1ヶ月滞在させてもらい、アメリカ人の学生たちと交流した経験は、その後の僕の人生に大きな影響をもたらした。NYCはもちろん、アメリカは初めてだったが、僕にとっての「着火剤」になった。それ以来、かれこれ、30回ぐらい、NYCを訪れている。でも、その火をもっと大きく育てて来るべきだった・・・と後悔している。

もちろん、何事にも「トレードオフ」はあるわけで、その分、経験して来たこと、得てきたことはたくさんあるわけだが、選択しなかった「B面」に未練というか消化不良を感じている。年齢のことを話すのが本当に嫌な年齢になったが、還暦を迎えた今からでも遅くないし(2週間後は61歳だ!Time flies always!)、できることはあるので、何らかの形で具現化しようと思っている。

このまま終わるわけにはいかない・・・!

Times Square, New York, NY
911 memorial, New York NY