彼女は、結婚記念日を憶えていない。

2006年4月から書き続けていたブログを2ヶ月強、更新することができなかった。ここ最近は、1ヶ月にせいぜい1~2回しか書けなかったが、4月5月と1回も書けなかった・・・。単純に忙しくて時間が無かっただけである。

ところで、昨夜帰宅後、妻と口論をした。かなり激しく・・・。原因は決まって次男(2歳4ヶ月)のことだ。今にして思うと、長男(小3)は、手が掛からなかったと思う。

次男は最近、とにかく駄々をこねる。特に最近、お風呂に入らない!と言って泣き喚く。「小児喘息」の彼は、湿度が高くなり気圧が低くなる梅雨や台風シーズンは、かなり辛いらしく、夜もよく眠れない。昨夜は夜中の3時過ぎから4時過ぎまで、ソファーで彼を抱いていた。

妻と僕が口論をする姿を見て、長男は「喧嘩はやめて!」と言って泣き出す。子供は親が喧嘩をするのは、「自分のせい」だと思うのだという。なので、両親の仲が悪い子供は不良になる確率が高くなるのだろう。要するに、自分の存在は悪だと思うということだ(自己の存在を肯定できなくなる)。

長男が生まれた時、僕は42歳、妻は30代だったが、今の僕は51歳、妻も40代になっている。

一言で言えば、子育て、それも「男の子2人」を育てるには、僕たち夫婦はあまりに高齢であり、体力的に無理がある。尚且つ、僕は国内外の出張が多く留守がちであり、妻も仕事をしており、僕は福島県の出身で、妻は東京育ちではあるが両親は既に他界しており、近所に身寄りがいない。

おまけに、妻はメニエル病が再発し、唯でさえ、体調が悪い・・・。

そもそも、僕たちの条件で二人の子供を育てるのは無理があるということだ。

それは分かってはいたが、子供が二人になり、単純に2倍どころではない忙しさになり、僕の仕事は以前に増して多忙を極め、尚且つ前述のとおり、国内出張は毎月、海外出張も2ヶ月に1回のペースである・・・。しかし、体力は如実に衰えている・・・。

僕は、ソファーを蹴飛ばし、大きな声で怒鳴った・・・。長男は大きな声で泣きだした。

でも、そんなことをしても、何も変わりはしない。

眠い目をこすりながら、Innovation Weekend Tokyo の写真をアップロードし、キッチンにあった洗い物をした。

すべてを及第点にするのは無理なので、何かを捨てる必要があるが、仕事ではシリアル・アントレプレナーでいたいし、シードアクセラレーターそれも「グローバル」シードアクセラレーターでいたいし、子供たちにとっては良い父親でいたいし、妻にとっては良い夫でいたい。

話は変わるが、お世話になっている弁護士の古田さんにお招きいただき、ヨットに乗せてもらった時、船上で「充実した人生を送るには、時間とおカネと体力が必要ですね(古田さんは、そのすべてを持っているという意味)」という会話をしたということを妻にしたところ、「平石さんは3つとも無いね・・・」という、なんとも彼女らしいリアクションが返ってきた。

仰るとおりである。

因みに、そういう彼女は、結婚記念日を憶えていない。

拙著「挫折のすすめ」の出版祈念パーティの日は、実は「結婚20周年」の記念日だった・・・。

そういう彼女だから、20年も結婚生活が続いているのである。

「人生はすべて必然」。

僕は密かに、お年玉の額で親戚を格付けしていた… :-)。

実家で弁護士事務所を経営している次男、世田谷に住む末弟家族、僕たちの養母(父が再婚した母)、そして我々家族。

40年前は、僕たち兄弟が「子供」で、両親と父方の祖父母という構図だった。

40年前の日本のGDPは134兆円。第一次オイルショックで一時的に経済が落ち込んだものの、それまでの10年間でGDPの伸長は100兆円。

しかし、小学生だった僕たちには、そのような事実は知る由もなかったし、そんな実感は無かった。

僕は1963年、東京オリンピックの前年、まさに日本が高度経済成長期に入った時、福島県郡山市に生まれた。

当時の我が家は「昭和の大家族」で、父方の祖父母、父母、父の妹2人のところに僕が生まれた。

その2年後、次男が生まれ、さらにその5年後、三男が生まれた。

父が生きていた頃は毎年、父の兄弟が我が家に「里帰り」に来て、賑やかなお正月だった。

僕は密かに、お年玉の額で親戚を格付けしていた… :-)。

母は僕が15歳の時、父は24歳の時、亡くなってしまい、僕たち兄弟は心細い想いをしながら人生を歩んできたが、こうして子供たちが楽しく遊んでいる姿を見ると、着実に時間が流れたことを実感する。

祖父母も父母も亡くなってしまったが、多少、それが早かっただけで、それが自然の摂理ということだ。

これからは、自分たちが、父母、そして祖父母の役割を担っていくことであり、その幸せに感謝しよう。

そう想ったお正月だった。

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堀江さんが「ジジイなりに頑張る」なら、僕は「ジイさん」なりに頑張ろう!

2013年9月27日(金)22:10。東京の青山一丁目にある Startup Base Camp という、サイバーエージェント・ベンチャーズが運営するインキュベーションオフィスの僕のデスクで、このエントリーを書き始めた。

10/1(火)@大阪にて、「成功と挫折。そして、再チャレンジ!」というタイトルで講演をするので、その準備をしていた。

実は、このタイトルは、某出版社から、どんなに遅くても今年中には出る予定の、僕にとっては「2冊目」となる本のタイトルである。

講演の準備が終わり、ふうーっという気分でチェックしたメールで、堀江さんの「ゼロ」という著書のティーザー原稿?のようなコンテンツを読んだ。

そう、失敗してもマイナスになることはなく、ゼロに戻るだけであり、失敗を怖がる必要はないというのが、堀江さんのメッセージだ。

むしろ「なによりも危険なのは、失うことを怖れるあまり、一歩も前に踏み出せなくなることだ」と。

たしかに、それは僕にも心当たりがある。というか、僕はそういう人間だ・・・。

堀江さんと較べたら、足元にも及ばないし、鼻くそみたいなものだが、インタースコープとウェブクルーの成功の後のドリームビジョンでの失敗で、僕は「自信」を失った。

でも、小川先生に拾ってもらって法政大学の経営大学院で教え始めたことで、僕は少しずつ、自信を取り戻した。

そう、決してマイナスになったわけではなく、尚且つ、堀江さんがいう「ゼロ」になったわけでもなく、1か2か知らないが、まだまだ残ったものがあった。

大切な家族も素晴らしい友人も、僕が失敗しようが何しようが、変わらず、僕を受け入れてくれていた・・・。

話を堀江さんに戻すと、彼は40代になった自分を「ジジイ」と書いていたが、となると、50歳になった僕は「ジイさん」だ・・・w。

でも、堀江さんが「ジジイなりに頑張る」なら、僕は「ジイさん」なりに頑張ろう!

ところで、「ゼロ」という堀江さんの著書のティーザー原稿を読んだのは、cakes というサイトだった。

そして、その「cakes」を運営している「Piece of Cake」という会社の仕事をしている、ある方は、僕が人生で初めて会った「ベンチャーキャピタリスト」である。

その彼と先週、数カ月ぶりに会い、食事をご一緒した。

「人生はすべて必然」。

市ヶ谷の「野菜カレー」。

「新宿中村屋のカレー」以外に、もうひとつ、僕が好きなカレーがある。

市ヶ谷のお堀沿いにある「Nord Kudan(ノールド クダン)」というお店の「野菜カレー」がそれで、法政大学の小川先生に連れて行ってもらったのがキッカケだった。

それ以来、大学院の中間発表(年2回)と最終発表の時には、必ずと言っていいほど、そのお店の「野菜カレー」を食べている。昨日も今日も食べにきた。このエントリーもカウンターの席で書いている。

そもそも、ルー自体に野菜がたくさん使われているし、それに加えて、大きな野菜がたくさん入っており、とても健康的である。

ところで昨日は、法政での中間発表会後、19時頃には帰宅し、久しぶりに家族と夕食を共にした。

「今日は早く寝よう」と思ったのも束の間、次男がぐずり出し、そうこうしているうちに、吐いてしまった。小児喘息の次男は、痰が絡みやすく、それは分かるのだが、そのまま泣き騒ぎ、妻も僕も、昨夜はあまり眠れず…。

口の中が痛いらしく、食事ができないようなので、今朝、病院に連れて行ったのだが、長男はまだ小2でひとりで留守番をさせるにも限界があり、日曜日は習い事もあるため、妻がひとりで長男を連れて病院に連れて行こうとすると、色々な無理が発生する。

今日も法政の中間発表会があったのだが、仕方なく、事務局に連絡をし、午前中は欠席させてもらい、次男を病院に連れて行った。

診断は「手足口病」。

数週間前にも手足口病らしき症状になり、ようやく治ったと思ったら、また、手足口病…。

ウイルスの型が違えば、同じ年に2回かかっても不思議ではないらしい。

問題は、明日からの長男のサマースクールである。

朝は僕が送っていくとしても、夕方は妻が迎えに行く必要があり、次男が保育園に行けないとなると、ベビーシッターさんにお世話にならざるを得ない…。

2人以上のお子さんがいらっしゃる方は、よくお分かりのとおり、子供が一人と二人では、子育ての負荷の次元が違う。

実は、郊外にあるサマースクールは、幾つかの最寄り駅まで送迎バスを出しているのだか、最初の保育園で一緒だった友達も同じサマースクールに通うことになっており、彼と同じバスにすれば良かったじゃないか… という話になる。

確かに、妻の言うとおりなのだが、長男の友だちと同じバスの場合、集合時刻が08:25で、自宅を07:30に出る必要がある。

躊躇した僕が悪かった。

50歳の夏は、想定外にハードである。

でも、乗り越えていくしかない。仕事も家庭もね。どちらか一方の人生はあり得ないのだから。

「忙し過ぎる時」の処方箋。

先々週末と先週の月曜日は、妻が学会出張で留守。子供2人の面倒を看るのでヘトヘト。

そのまま火曜日は「大阪出張」で、大阪市が運営する「Osaka Innovation Hub」というインキュベーション施設のオープニングイベント。

Telepathy One を開発中の井口さんが「本邦初公開!」で、実機を持ってきてくれて、参加者の中から抽選で10名の方に Telepathy One の体験をプレゼント!

その日の最終で東京に帰り、翌日は、ベンチャーキャピタリストが個人投資家や機関投資家等に市場動向や自社の戦略をプレゼンする「VCLP」なるセミナーで講演。

水木金は、アポのラッシュで時間が取られ、メールをチェックする時間もない。

そうこうしているうちに、日頃、泊まりがけの出張などなく、慣れないスケジュールで疲れたのだろう、土曜日は、妻がダウン・・・。

さすがに僕も、平常心を保つのが難しくなる。

でも、焦っても急いでも、状況が改善するわけではない。

そう言えば、NHK教育テレビの子供向けの番組で、こんな歌がある。

「走っても歩いても、地球のスピードは同じです。焦ってものんびりでも、ちゃんと明日は来るんです。急ぐ時ほど口笛吹こう。悲しい時ほどにっこり笑顔。幸せはいつも後ろから追いついてくるよ。
だからここらでそよ風を。青空を。ちょっと深呼吸」。

こうしてブログを書くことも、心の整理になり、「前向きな諦め」の境地になる・・・。

さて、ひとつひとつ、仕事を片付けよう!!

iPhoneからの投稿

「仕事の成功」と「家族の幸せ」。

3月最後の日曜日。今日は長男のヒップホップのリハーサルがあり、西早稲田の会場まで送って行った。

その後、妻と1歳2か月の次男と僕とで、いつものスーパーに来たのだが、その途中ギャンギャン泣き騒いでいた次男は、スーパーの駐車場に着くと、眠ってしまった。

昨日で満50歳。僕が子供の頃と比べて、今の50歳は格段に若いが、やはり、その数字の意味は大きい。

ここ10年、誕生日のプレゼントなどくれたことの無かった妻も、さすがに考えたのだろう。想定外にもプレゼントをくれた。

30代までの僕は典型的な「Live to work」で、仕事での成功が僕の人生の95%だったが、子供できてから、僕は大きく変わった。

確かに仕事での成功は大切だが、本当に大切なことは、何かに「挑戦する姿」を見せることで、子供に「人生で大切なもの」、そして「自分らしく生きる」とはどういうことか?を身を以て教える、そのための手段でしかないと思うようになった。

とある仕事で、とある方から「内部の改革(イノベーション)ができずに、どうやって外部の改革を推進できるでしょうか?」というコメントを頂いたことがある。

「家族の幸せ」を大切にできない人間が、仕事で関わる人たちの幸せやより良い社会の実現を主張しても、それは「詭弁」だろう。

「日常の些細なこと」こそ「大切」だと思うようになった。

近況報告 just 1 day before becoming 50 years of age!

ここ最近はすっかりブログの更新ができなくなっているので、僕の重大!な誕生日の前日を記念?して、近況報告をしたい。

先月から始まった VentureNow「THE FOUNDER 6th」での連載(計12回)は、昨日で5回目を迎えた。

読んでいただけたら嬉しい。

インタースコープ創業とIPO断念
http://www.venturenow.jp/founder/006hiraishi/20130228019862.html

M&A、そして失敗
http://www.venturenow.jp/founder/006hiraishi/20130307019958.html

最高の充電期間 – 何もやりたいことが無かった
http://www.venturenow.jp/founder/006hiraishi/20130314020040.html

シリコンバレーに「日の丸」を立ててやる
http://www.venturenow.jp/founder/006hiraishi/20130321020111.html

ネットバブル前夜。原宿コーポ別館
http://www.venturenow.jp/founder/006hiraishi/20130328020202.html

あと7回、頑張って原稿を書きます!!!