これからは「右脳」の時代

僕が20代の頃に勤めていたODSというコンサルティング会社がある。

ODSには、類い稀な天才肌の「三浦さん」という方がいた。僕が所属していた部署の担当役員をしていた人で、ソニーの出井さんと親しかった。ソニー以外にも、錚々たる会社のトップから信頼されいたが、2004年の冬、亡くなってしまった。まだ、56才だった。

当時は珍しかった「人材紹介会社」に登録していた僕のレジュメに三浦さんが関心を持ってくれたのがきっかけで、僕はODSに入社することになった。三浦さんから「薫陶を受けた」三浦チルドレンのひとりである。

その三浦さんと最後に会ったのは、2004年の夏だったと思うが、その時に三浦さんに言われた言葉が印象に残っている。

それは、「右脳は弱い。だから、(組織として)守る(大切にする)必要がある」というものだ。

いつだったかのポストで書いたが、ここ10年ぐらいの日本社会は、ロジカルシンキング真っ盛りで、「論理思考が出来ない人=ビジネスが出来ない人」という「ロジック」だったが、違う視点でみれば、「右脳的センス」のない人=「マーケティングセンス」がないとも言え、その「弱点を補うための手法」であったとも言えると思う。

僕は元々は極めて「右脳」人間であるが、仕事柄、一生懸命に「訓練」をしたことによって、それなりの論理性を身につけたと思っている。論理というのは、右脳的「閃き」がない人が「合理」でもって新しいアイディアを考えたり、あるいは、大組織において、マジョリティ(過半)の人に「納得」してもらうために、誰でもが「理解」できる方法で「説明責任」を果たす際に必要な手法であり、スキルであると思う。つまり、最大公約数的に「理解」を得るための方法ということである。

しかし、そこには、大きな落とし穴がある。

短期的には「経済合理性」に反する行動も、長期的に見れば「経済合理性」があると見ることができる事象もあるが、人間はそもそも「感情」の動物であり、時として「経済合理性」に反する行動を取ることがある。左脳的アプローチである「論理性」だけでは物事は解決できないことが多々ある。

今朝(5/25)の新聞に、大前研一氏が翻訳された「ハイ・コンセプト」と題する本の広告が掲載されていた。

一言で言えば、これからの時代は「右脳タイプ」が活躍するということだ。自分が「右脳」人間だからというわけではなく、そう思う。

随分昔になるが、クリティシズムの国、米国では、MBAを揶揄して「Murder of Brand Assets(ブランドの殺人者)」と言ったそうだが、要するに、「BS に載らない資産=定量化が難しい資産(=Intangible Assets)」は理解できないということを指している。

大前氏が訳した書籍には、

第一部: 1.なぜ、「右脳タイプ」が成功を約束されるのか  2.これからのビジネスマンを脅かす「3つの危機」  3.右脳が主役の「ハイ・コンセプト/ハイ・タッチ」時代へ

第二部: 1.機能だけではなく「デザイン」 2.「議論」よりは「物語」 3.「個別」よりも「全体の調和」 4.「論理」ではなく「共感」 5.「まじめ」だけではなく「遊び心」 6.「モノ」よりも「生きがい] という項目が、「六つの感性(センス)」として、あなたの道をひらくと書いてある。

インタースコープの共同創業者である「山川さん」は、極めて優秀なエンジニア故、左脳的能力が優れいているのは論を待たないが、実は「右脳」的に優れていると思うのは僕だけではないと思う。何故なら、彼の「開発」は、すべて「インスピレーション(閃き)」に基づいており、彼から理屈(論理性)で攻めて行って何かを開発したという話は聞いたことがない。

こんな話もある。インタースコープの株主であるグロービスが提携していたApaxという国際的なVCがあるが、その創設者のアラン・パトリコフ(といったと思う)が来日した際に、グロービスの投資先経営者を集めた会合があった。そこで、僕が彼に対して「投資判断は?」と質問したところ、「インスピレーション(閃き)」という答えが返ってきた。

彼のエピソードの後に僕の話をするのは大変おこがましくて恐縮だが、僕が何社か投資しているベンチャー企業に関しても、もちろん財務諸表や事業計画は見るが、最終的な判断は、その起業家が信頼できるかどうか?相手の「目」を見て決めている。要するに、事業に投資するのではなく、「人物」に投資するのである。

ところが、組織(VC)になると、投資委員会に諮らなければ投資が出来ないので、自ずと「左脳的」説明が余儀なくされるのである。しかし、JAFCOやJAIC等の大手VCも、数年前から一定金額までは「チーム判断」で投資ができるように権限委譲をしており、チームリーダーの「才覚と責任」で投資が出来るようになっている。非常に良いことだと思う。

「右脳」という能力に対する僕の「定義」は、「全体を俯瞰する能力」であり、「パターン認識力」であり、「感受性」である。

つまり、実際には「ロジカル」に整合性が取れていることであっても、それが「無意識」であるが故に、「論理的説明能力」がないと人に伝えられないので、「右脳だけ」の人は、組織では理解され難いし、いわゆる「出世」は難しくなるのである。

三浦さんは当然のことながら、そのことを理解していたので、「右脳は弱い。だから、(組織として)守る(大切にする)必要がある」と言ったのだろう。

ODSの頃は、なかなか「論理思考」というスキルを習得できず、とても苦労をしたが、そのお陰で今の僕がある。

自分の「右脳的」閃きを「論理的」に説明することができるようになってからは、だいぶ仕事ができるようになった。

「パーソナリティは最高戦略」の意味

この言葉は、ETICが主催する「STYLE」という「ソーシャルアントレプレナー(社会起業家)ビジネスプラン・コンテスト」の最後に、審査委員長を務める田坂広志さんが「書いた」メッセージだ。

各審査委員がその日一日(ほぼ一日がかりのイベントであり、毎回、僕も審査委員のひとりとして参加させて頂いている)を通じて感じたことを、参加者の皆さんに対するメッセージとして発表するというセレモニーで、田坂広志さんが書かれたものである。

田坂さんがその言葉を提唱されたのは、フェアトレードをテーマにコロンビアからコーヒー豆を輸入し、カフェ・スローというお店を出していた(出そうとしていた?)「藤岡さん」という大学生(だったと思う)のピュアで飾らない「パーソナリティ」に、周囲の大人達が魅せられてしまい、自分から「おせっかい(支援)」を買って出てしまうという姿をみてのことだった。

ドリームビジョンのお披露目レセプションで、アレンさんが僕のことを見ていて同じことをイメージしたということは、僕という「大人」は、大人のくせに「危なっかしく」て、周囲が「おせっかい」をやいてしまうということだろう。

実は、「パーソナリティは最高戦略」ということを僕の脳裏により強く焼き付ける話があった。それは、昨日の講演会で聴いたアントレプレナーセンターの福島さんの話である。

福島さんの話(講演会)を聴くのは2度目だが、初めて福島さんに会ったのは、彼が、まだ30代の頃、「就職予備校(その後、アントレプレナーセンターに改称)」という会社を経営されていた時だった。月並みな話で恐縮だが、時の経つのは速いもので、僕の記憶が正しければ、あれから既に13年になる。

福島さんは「シルベスタ・スタローン」にまつわる逸話を教えてくれた。

シルベスタ・スタローンは売れない役者時代に、役者志望の友達から飲みに誘われても、「明日、ハリウッドの超大作への映画出演の依頼が来るとも限らないので、早く帰って(演技の)練習をする」と言って、一度も?飲みに行かず、毎日練習していたらしい。

ある時、その話を聞きつけた大物映画プロデューサーが、「それはおもしろい。そのまま映画にしよう」と言って出来上がったのが「ロッキー」だそうだ。

そのストーリーは、いつか世界チャンピオンと戦うことを夢見て、毎日、ボクシングの練習に打ち込む青年がチャンスを得て、実際にチャンピオンと試合をし、結局は敗れ去る(僕はロッキーを観ていないので正確なストーリーはわからない)というものらしいが、シルベスタ・スタローンは「大根役者」であり、ロッキーは「演技ではなく」、彼の「素」のままだというのである。

シルベスタ・スタローンの「パーソナリティ」をモチーフにしてボクシングという世界を題材にし、演技が下手な彼が「地」で臨んだ映画を撮ったことが、人々の感動を呼び、商業的成功を生んだということだ。

「パーソナリティは最高戦略」とは、「自分らしさを思いっきり出す」ということである。そのことが人々の感動を呼び、人でもモノでも「ブランド」に繋がる、ということだろう。

「戦略」という概念については、もうひとつ、とても印象的なことを田坂さんはご自身のメルマガで紹介している。

「戦略」とは「戦い」を「略す」と書く。つまり、戦いを「避ける」ことを意味するということだ。

マーケティング的に言えば、自社なり自社の商品の「USP(Unique Selling Proposition)」を明確に打ち出し、独自のポジショニングを構築することができれば、そして、そのUSPが「魅力的且つ顧客が求めているもの」であれば、他社との「戦いは無くなる(顧客から選ばれる)」のである。

かのマイケル・ポーターが言う「選択と集中」とは、そういうことも含んでいるのだろう。

What’s the USP of Dreamvision ? This is what I’ve been thinking of.

経営は科学か? 愛情か?

結論から言えば両方が必要だ。

2~3年前、インタースコープの戦略を見直すに際して、株主であるVC(ベンチャーキャピタル)にインタースコープの評価を聞いたことがある。

その時に、あるVCの担当者から、「御社は(しっかりとした)経営はされている。但し、ベンチャーの創業から数年は、もっとメンタルな部分でのグリップが重要だと思う」というコメントを頂いた。

インタースコープの経営理念は、「科学的アプローチと徹底した人間主義により新たな価値を創造する」というもので、経営においても「科学的なアプローチ」がされていたということだと思う。

話は変わるが、先週と今週と2チームに分けて、僕が社外取締役を務めるラソナのマネージャークラスの人達との懇親会を行った。

ラソナは今年が10年目にあたる会社で、今までは外部資本は殆ど受け入れず、創業者であり社長である岡村氏のリーダーシップのもと頑張ってきた会社である。

岡村氏は「画家」出身で、また、彼のオーナー企業としてやってきたということも手伝い、今までのラソナの経営は、決して科学的と言えるものではない。

そのラソナの最大の「資産」は、岡村氏の人柄によるところが大きいのだろうが、主要メンバーが皆、合理性を超えたところでラソナが好きだという点である。これが、あるVCの担当者が言っていた「メンタルな部分でのグリップ」ということだと思う。

その一方、外部資本を受け入れておらず、管理会計や予実管理を厳しく言われる環境ではなかった為、非効率な経営が為されているとも言え、40人を超えたこれからは、科学的な経営が必要である。しかし、科学的視点や手法は「手段」であり、それが目的ではない。そこを間違えると組織に歪みが生じてしまうように思う。

またまた話は変わるが、昨日、僕が20代の頃に働いていたコンサルティング会社で一緒だった友人と、久しぶりにランチを食べた。

彼は先日、僕と同い年にも関らず、ある上場企業の社長に就任した。素晴らしいことである。

「起業」は、そこそこの才能とやる気さえあれば誰にでも出来ると言っても過言ではないが、組織で上り詰めて社長になるというのは、誰にでも出来ることではない。確かに、一般的には、創業社長とサラリーマン社長とを比べれば、その迫力や会社に対するコミットメントには大きな差があると思うが、僕が尊敬する伊藤忠商事の丹羽宇一郎氏のような人もいる。

因みに、僕の友人が社長に就任した会社の前社長は、何事も「論理とパワーと経済合理性」で進めるタイプの人だったようであるが、そのことが災いして社内に歪みや摩擦が生じたらしく、それで退任となったそうだ。

僕は経営を語れるほどの経験も力量も持ち合わせていないが、やはり、何事も根本は「愛情」だと思う。それがなければ、常識の範囲内のアウトプットしか出てこないだろう。何故なら、そこまでして頑張る必然性がないから。経済合理性だけであれば他にオプションはいくらでもあるはずであり、組織にロイヤリティは生まれないだろうから、長期的にみれば生産性が下がると僕は考えている。

ドリームビジョンは、科学的視点と共に、一緒に働く人やお客さんに対する愛情を併せ持っていて、そこで働く人が「物心共に充実した生活が送れるような会社にしたい。もちろん、科学と愛情の順番は逆である。ベンチャー企業では、10年来の友人である鉢嶺氏が経営するオプトは、僕の理想に近い会社である。