「子供という存在」の大きさ。

雨の日曜日。今日は我が子の保育園友達が、彼の両親と共に遊びに来た。

友達がドアを開けて入ってきた瞬間からお互いに興奮状態。仲がいいんだか悪いんだか分からない、喧嘩したり一緒に遊んだりの数時間を過ごした。「家庭」というものを実感する時間でもある。

ところで、我が子の友達のお父さんは、僕が良く知る会社の方であることが判明。共通の知り合いも多く、不思議な縁を感じた。自分たち夫婦だけだったら間違いなく知り合うことのない関係である。

こうして、子供を起点として親同士の付き合いが増えていく。

子供たちのことを考えると、ずっとこの街に住んでいたいと思う。

こうして、自分たちが住んでいる地域に対する愛着が育まれていくのかもしれない。

「子供という存在」の大きさを感じた。

子育て「適齢期」。

代々木から恵比寿に向かう山手線の中で、女子中学生の2人組と一緒になった。

たまたま恵比寿で一緒に降りたので彼女達の制服を見ると、Aoyama Gakuin(青山学院)と書いてあった。

青学の中等部は、かなり偏差値が高かったはずである。たしかに頭の良さそうなふたりだった。

ところで、45歳の僕にとっては、彼女達ぐらいの娘がいてもおかしくない。僕の出身地(福島県郡山市)の友人達は、むしろ、そういう子供を持っている方が普通である。

でも、もし、今の僕に、15歳の娘なり息子がいたら、彼らを受け止められるだろうか?

その精神的余裕は無い・・・な。まだまだ未熟である。

起業も子育ても、人によって「適齢期」は異なるように思う。

「生きる勇気」。

子供も3才近くなると、だんだんと色々なことが分かってくるようだ。

最近は朝、着替えを嫌がり、「保育園嫌い!!行かない!!!」などとダダをこねることが多い。

実は、本人は保育園が嫌いなわけでも行きたくないわけでもない。

親の存在が分かって来て、僕らと別れるのが嫌なのである。

「いい子にしていると、お父さん帰ってくるの?いい子にしてないと、お父さん、帰って来ないの?」と保育園に行く途中で僕と別れた後、妻に聞いていたらしい。

子供は僕たちに「生きる勇気」を与えてくれている。

育児は「育自」。

昨日の日経新聞の夕刊に、元横綱「貴乃花光司」氏のコラムが載っていた。

現役時代の晩年は、実兄の花田勝氏との確執等により、それまでの輝かしい実績に泥を塗った感があるのが残念だが、昨晩のコラムには、とても素晴らしいことが書いてある。

タイトルは「息子がくれた勝つ執念」。

「子供が励みになった」という、ある意味、よく聞く話しだが、通算優勝回数で歴代3位?の逸材の言葉ゆえ、説得力がある。

日経新聞を読んでいない方のために、少しだけ、内容を紹介したい。

「パパは相撲部屋を守るから、君は家族を守って欲しい」。
長男が中学生になった先月、入学式の朝に初めて男の約束をした。13歳の少年には酷かもしれない。だが、幼いころから相撲に懸ける私をみてきたからか、大人びて見える。妻や二人の妹の心の支えになれるはずだ。息子が「分かりました」と答えてくれたのがうれしかった。

負けて帰ると息子が「立ち合いのタイミングが合わなかったね」などと幼いながらも必死に敗因を分析してみせる。その真剣な顔を見ていると逃げられない。もっと強くならなければならないと思った。
(中略)無口だった父(元大関・貴乃花)にとっても私は勝利の力になっていたのだろうか。

長男に接するときに心がけているのは、信じることだ。彼は小学校の相撲大会に参加していたが、負けることが多かった。そんな時もあえて知らんぷり。負けてから立ち直る強さを見につけてほしいと思ったからだ。

もっとも、彼は相撲の道に進むつもりはないらしい。私も賛成だ。(中略)大関で引退した父の夢は、私が横綱になって果たしたと思う。花田家として相撲界に残すものはもうないとも思う。好きな道を歩めばいい。

ひとつだけ息子に望むのは揺るがない信念を持ってほしいということだ。私がなんとかやってこられたのは、何があっても土俵は裏切らないという覚悟があったからだ。息子も信念を持ち日本の将来に役立つ仕事に就いてほしい。

「親」という漢字は、「木、立つ、見る」の組み合わせ。
少し離れたところから見守り、助けが必要な時にすぐに手をさしのべる。そんな父親になりたいと思っている。

追伸:このエントリーのタイトルは、当社の女性スタッフ(働く母親)から教わった言葉である。
その2:「私」ではなく、「私たち(兄弟)」と書いてあったら・・・と思ったのは、僕だけだろうか。

亡き父の愛情。

今朝、妻が子供の身支度をしていた時、彼の腕が脱臼した。数ヶ月前にも右腕を脱臼したことがあったが、今日は左腕を脱臼した。

彼女には申し訳ないと思っているが、僕は彼女を強く叱責した。僕は、子供のことについては、どうしても完璧を求めてしまう。

急遽、子供をクルマに乗せて、以前に脱臼した時に看てもらった整形外科に連れて行ったが、妻と子供を降ろした後、亡くなった父親が、僕たち子供のことになると、母親に、かなりうるさく言っていたことを思い出した。

当時は、その意味は分からなかったが、それほど、僕たちに愛情を注いでくれていたのだということが、子供を持った今はよく分かる。

話しは変わるが、整形外科に向かう途中、スーツを着たお母さんと小奇麗な洋服を着せられた子供の姿をたくさん見かけた。

幼稚園の入園式なのだろう。

3年前の僕は、その姿に気づきはしても、心を動かされることはなかったと思う。

人間は、当事者になってみて初めて分かることがある。

でも、そうならずして、相手のことを理解できる人もいる。

簡単なことではないが、僕も、そうなれるよう、努力をしていこうと思う。

Kids are big move. 子供ができるのは、大きな変化だ。

先月で大学院を修了した妻は、今月から「臨床心理士(予定)」として働き出した。

カッコ書きで「予定」と書いたのは、臨床心理士の資格を得るには、今秋の試験に合格する必要があるからだ。でも、まあ、大丈夫だろう。

ところで、僕らの子供は2歳半を少し過ぎた。

ここ1ヵ月ぐらいで、言葉の習得レベルがまた一段上がったような気がする。

それは嬉しいことなのだが、感情の起伏が激しく、理由がよく分からないことで泣いたりする。感情の起伏が激しいのは、僕に似たのかもしれない。

また、何でも大人(僕たち)と同じことをやりたがり、それができないと「できない!!!」と言って泣く。

でも、僕がたまに21時過ぎぐらいに帰ると、玄関のドアが開く音で分かるのだろう、「お父さ~ん!!」と言って走ってくる。

僕が帰ってくると子供が興奮して寝付かないので、妻からは、20時前に帰るか、22時過ぎにしてくれと言われている。雨の日は大変である。

たった2年半で、僕たち夫婦の生活は大きく変わった。信じられないくらいに・・・。

僕のアメリカ人の友達が、Kids are big move.(子供ができるのは、大きな変化だ)と言っていたことを思い出す。

でも、振り返ってみると、こういう日常が幸せなのだろう。毎日を大切にしたい。

ビットバレーも子育て中。

今日は、病児保育をしてくれる渋谷区の児童館を見学に行った。

今月で妻が大学院を卒業し、4月から臨床心理士(資格取得予定者)として働くので、子供の具合が悪くなった場合に預ける場所を確保しておく必要がある。今日は、そのための下見だった。

そこで、何とマーケティングジャンクションの千田さんとアイスタイルで働く勝並さんに会った。ふたりとも、ネットベンチャーで働きつつ、子育て中である。

また、僕らの子供が通っている保育園で一緒の人たちにも会い、子育てのコミュニティのようなものの存在を感じた。

仕事での人間関係だけでなく、子育てを中心とした人間関係が築かれて行く。

人生の深まりを実感する。