自分を見失うとき。

何年ぶりだろうか?

ある年齢以上の人であれば誰でも知っていると思うが、老舗の「金庫」メーカーである「クマヒラ」の創業家のお嬢さん(三代目かな?)の熊平さんという方と久しぶりに会った。たまたまふたりとも恵比寿に移り住んできたこともあり、恵比寿にあるイタリアンレストランで食事をした。

熊平さんとは、「頭の体操」という本で有名な多湖輝先生を介して知り合った。1997年のことなので、そろそろ10年になる。そう思うと感慨深いものがある。

実は熊平さんは、僕の2度目の起業にあたるインタースコープを創業する際に出資もして頂き、一時期は取締役にもなって頂いていた。

久しぶりに熊平さんと会って話したことは、熊平さんが今、どんな仕事をしているのか?と、僕が新しく始めた会社で何をしようとしているのか?だった。

知り合った頃からそうだが、熊平さんは、組織を改革するためのコンサルティングやモチベーションの高い組織を創るための研修を請け負ったりしている。経営や組織改革という領域におけるイノベイティブなことが好きで、とても強い意志とパッションを持った人だ。彼女と話すと、いつも学ぶことが多い。

僕らがインタースコープを創業した2000年頃も、熊平さんからは色々なアドバイスを頂いていたが、その時は「理屈」の上では分かっていたが実際には分からなかったことが、今は「皮膚感覚」というか、「実感」を伴って理解できる(している)という話しをした。

今日(6/7)の熊平さんとの話しで印象に残ったことは、2つ。

そのうちのひとつは、「どうして、マーケティング(コンサルティング)の仕事を辞めてしまったの?もったいない」と言われたことだ。

更にいうと、自分自身でその「理由」を掘り下げていないと、これから僕がやろうとしている、他人の「自己実現」や「気づき」を支援することはできないよというアドバイスだ。確かにそうだなと思い、その場で、改めて何故、僕がマーケティングコンサルティングの仕事をやめようと思ったのか?その「理由」なり「動機」を分析し始めた。

色々と理由はあるが、結論は、そのこと以上にやりたいと思うことがあったから、ということだ。決して、マーケティングコンサルティングの仕事が嫌いになったわけではない。

事実として、ドリームビジョンとして手掛けていこうと思っている事業にも、マーケティングコンサルティング的なことや事業企画開発支援的な要素は色濃く注入されることになる。

僕は何かのキッカケがあってマーケティングコンサルティングに興味を持ったわけではなく、学生の頃からそういう「志向性」があった。因みに、卒業論文は、「マガジンハウスと光文社の比較~その戦略と編集内容~」というような内容だった。

ふたつ目は、組織改革や個人のイノベーションを行う場合、その組織風土や人々のタイプの「アセスメント(評価)」を行うが、そのベースには「ユング」等の心理学を使うらしく、その評価尺度が参考になったことだ。ドリームビジョンの事業にも取り込めそうだと思う。

そのアセスメントの尺度とは、

1. 外交的 v.s. 内向的
2. 概念志向 v.s. ディティール志向
3. 論理的判断 v.s.自分や相手の信条や感情に基づく判断
4. 計画性 v.s.柔軟性

という4つだそうだ。

僕は、「外交的」「概念志向」「自分や相手の信条や感情に基づく判断」「柔軟性」だ。

脳医学的には検証されていないらしいが、いわゆる典型的な「右脳」タイプ」だ。

物議を醸し出すといけないので結果は書かないが、インタースコープ共同創業者の山川さん、大谷さんや杉本さんなどの僕が親しくしている創業経営者を分析してみると、なかなか腑に落ちる結果になっていた(笑)。

組織で仕事をする場合、当然のことながら、相手は自分とは異なるので、相手の行動を自分の立場(尺度)で判断すると、どうしても「理解できない」ことやギャップが発生してしまったり、自分の言わんとすることが「逆の意味」で伝わってしまったりする。組織を活性化したり、意思の疎通を図るためには、まずは、そのことを理解する必要があるということである。

ところで、今日のBlogのタイトルである「自分を見失うとき」であるが、熊平さんとの会話とは直接は関係ない。ただ、彼女との会話をしながら、何故、自分がインタースコープを退任しようと思ったのか?何故、マーケティングコンサルティングの仕事を辞めようと思ったのか?どうして、ドリームビジョンを始めたのか?という一連の「問い」に対して自問自答することで、自分という「人間性」を「再確認」できたのは、特に、この時期においては大きかった。

「自分を見失いかけていた」という意味では、ライブレボリューションの増永さんから、プレジデントビジョンの取材を受けた時は、実は、そういう状況だった。

しかし、増永さんの取材に答えていくうちに本来の自分を再確認することができて、心の中のもやもやが一気にクリアになり、低下気味だったモチベーションが回復したことを覚えている(増永さん、ありがとうございました)。

彼の取材を受けても、その時点では、僕の知識や能力やスキルは何も変化していない。

しかし、「考え方」や「意識」は確実に変わった。そのことにより、僕は大きく変わったと思う。何より、それからは、悩まなくなった。

そのような自分の体験から、ドリームビジョンとして提供していこうと思っていることは、テクニカルなことではなく、「気づき」なのである。

人間を変えるのは、「思い」や「気づき」や「気持ち」だと思う。

追伸:熊平さんのご子息は、中学3年生になったそうだ。最後に会った時は、小学校の中学年だったので、それこそ、別人のようになっているだろう。時の経つのは速い。人生は短い。