ドブ川の匂い

今日の午後3時過ぎ、僕が社外取締役を務めるラソナでの経営会議を終えて、渋谷区役所の恵比寿出張所に向かうために明治通りと並行して流れるドブ川を渡った。季節柄か、橋の上を通ると生臭い匂いがした。

その匂いは一般的には良い匂いではないと思うが、僕はその匂いを嗅いで、子供の頃のことを思い出した。それは、近所のドブ川で「ザリガニ獲り」をしていた時に、いつも嗅いでいた匂いだった。そして、その瞬間、悠生(僕らの子供)のことを思い出した。

あと数年もしたら、一緒に野外で遊ぶようになるのかと思うと、言葉には表せない感情が沸き上がってきて、胸が詰まった。悠生が生まれなかったら、その川を渡っても、その「匂い」には気づかなかったと思う。

子供の頃は、毎日遅くまで、日が暮れるのも忘れて遊んでいて、一日がとても長く感じられたことを思い出した。あれから、30年もの時間が経過しているにも係らず、なぜか、つい昨日のような気がする。

年齢は43才になっているが、僕はその頃に感じた「感情」を今も鮮明に覚えている。精神年齢が変わっていないのかもしれない。

20代の時に勤めていたODSというコンサルティング会社の社長に、「あなたは理想主義者だ。あなたが40才になっても、今と変わらずにいることが出来たら、その時、僕は初めてあなたを尊敬する」という「嫌み」を言われたことがある。その時は、それが「嫌み」だとは気づかないほどに精神的に幼稚だった。

しかし、結果的には、僕は、その時と何も変わっていない気がする。

話しは変わるが、昨日、2001年から通っている代官山にある「セラピア」というリラクゼーションのお店に行った。以前は毎週必ず通っていたが、今は諸事情により毎週は通えないが、それでも月に2~3回のペースで通っている。そこの鈴木さんという人に整体でお世話になっているのだが、彼がこんなことを言っていた。

「(以前の)平石さんの身体は、何か『怒っている』のがヒシヒシと伝わってきましたが、今はそういうものが無くなって、不思議と力が抜けていますね」。

確かに、あの頃は色々なことが大変で、常に精神的に「緊張」を強いられていたし、自分らしさを出せていないところが多々あった。人間の身体とは正直なもので、精神的なストレスが身体にも表れるということだろう。

子供が生まれ、インタースコープを退任し、新しい会社を立ち上げている最中で、経済的には極めて不透明な状況にあるにも係らず、今の方が、精神肉体ともにリラックスしているということなのだろう。

それで、ドブ川の匂いで子供の頃のことを思い出したのかもしれない。

ドブ川を渡りながら、もうひとつ、思い出したことがある。それは、「ヒート」というハリウッド映画のワンシーンだ。

ご覧になった方も多いと思うが、「ヒート」は「アル・パチーノ」と「ロバート・デニーロ」の共演によるものだ。

僕が思い出したシーンというのは、警察との銃撃戦で負傷したヴァル・キルマーが、警察に追われているのを承知の上で妻と子供が警察に匿われている家の近くにやってきて、子供を抱きながらベランダに立っていた妻の顔をみて、何とも表現できない嬉しそうな表情を見せたシーンだ。そして、妻は「囮(おとり)」として、わざとベランダに立って(立たされて)いたのだが、夫の顔を見て目に涙を浮かべながら、右手の人差し指を右に振り、「これは囮(おとり)捜査よ」と教えたシーンだ。

そこには、切ない「家族の愛情」が描かれていて、それが「ヒート」という映画を単なるアクション映画に終わらせていない所以だと思う。

以前のポストにも書いたが、電通の和田さんという女性が、「平石さん、子供を産むのを諦めてまでする仕事は無いよ」と言ったことや、ここ数年親しくしている、ある欧州系の著名企業の社長を退任し、苦労しながら自分でビジネスを立ち上げている米国人が、「自分にとって仕事はとても大切なものだが、家族に勝るものはない」と言っていたことの意味が、今は実感として理解できる気がする。

悠生は残念なことに、僕の産みの両親とも、妻の両親とも会うことは適わないわけだが、もし、双方の両親が生きていたらと思うことがある。

年齢的にギリギリのところで子供を授かった僕らは、幸せである。

そして、その悠生のためにも、「3度目の起業」を絶対に成功させたいと思う。

追伸:サッカー日本代表の初戦は残念だった。最後まで諦めずに頑張って欲しい!!!