記録より「記憶」。

いつだったか、新庄選手がメジャーリーグで活躍していた頃、「記録はイチロー君に任せて。『記憶』は僕に任せて」という発言をしていたことがある。なかなかおもしろいことを言うなあと思った。

先程、「記録より記憶」というエントリーのブログを読んだ。http://ieiriblog.jugem.jp/?eid=925

ある少年が開発した掲示板に、時間が経つとそのコメントがどんどん薄くなっていって、最後には消えてしまう、という機能が付いていたそうである。

その少年は、不幸にして事故で亡くなってしまったらしい。

<以下、元のブログより引用>
友人、ファンなどから掲示板に寄せられる大量のお悔やみコメント。
そのコメントひとつひとつに一生懸命に付けられるお母さんのレス。

だけど、悲しい事に、少年が実装した掲示板の売りの機能によって、その書き込みは時間が経つ毎にどんどん薄くなり、消えていく。
書かれる側から消えていく。

そうしているうちに訪問者が少しずつ減っていき、書き込む人も減り、残されたコメントは薄れていき、最後には白紙だけが残る。
途中までしか僕は見ていなかったので最後は想像だけど、すごく象徴的な出来事だったので今でも強く心に残っている。
<ここまで>

ある時、インフォプラントの大谷さん(彼は以前、ジャーナリスティックな番組を製作する会社を経営していた)と話しをしていた時、こんなことを言っていた。

「強く主張したい場合は、映像ではなく、むしろ、『写真』を使う。それも、カラーではなく、モノクロ。モノクロの写真の方が、見ている人の『想像力』を喚起する」。

たしかに、そうだと思う。

何でも「コピー」できる時代になり(それこそ、戦略もコピーできる)、モノゴトの価値が希薄化されていく。

「合理は語れない。非合理はストーリーになる」。東京大学大学院の教授をされていた片平秀貴氏の言葉だ。

合理的なことは誰でもが行き着くことなので、結局は「差別化」はできない。

「非合理」なことは「感動」を呼び、人々の「記憶」に深く刻まれる。そして、強いブランドが創られる。ということを、片平氏は言っていた。

インターネットというのは、基本的に「合理的」な世界であり、それ故に、どんなジャンルにおいても必ず、「一強」が表れれる。どこでも基本的に同じなので、そこに修練するからだ。

「記録(数字)」ではなく、「記憶」に残る人間や会社やブランドでありたい。