「東京タワー」と「恵比寿ガーデンプレイス」と」「ホテルオークラ」と「川嶋あい」。

初めて東京タワーに上ったのは、中学3年生の時だった。当時、福島県郡山市に住んでいた僕は、修学旅行で東京に来た。悠生が物心がついたら、連れていこうと思う。

その東京タワーのふもとにある東京プリンスホテルは、僕が高校生や大学生の頃、帝国ホテルやホテル・オークラとは違う意味で、憧れのホテルだった。

その東京プリンスホテルで昨晩、ネットベンチャー仲間のリアラスの井手さんのお父さんの「お別れ会」があった。

井手さんのお父さんは、たしか競輪関係だったと思うが、「新橋商事」という会社を、文字どおり「新橋」で経営されていた。地元の経済会にかなり影響力があった方だったようで、お別れ会には、約1,300人の方が参列されたという。

会場には、お父さんの若かりし日々の写真が飾ってあったが、事業家のにおいがプンプンする、楽天的で社交家な感じの笑顔が似合う方だった。子は親の鏡とは、こういうことを言うのだろうと思った。ご冥福をお祈りしたい。

ところで、悠生はすっかり良くなったが、看病疲れから、妻が発熱してしまった。

元気で所狭しと動き回る悠生の面倒を看ていると彼女が休めないので、今朝は10時前から近所の恵比寿ガーデンプレイスに悠生を連れて散歩に行った。

ガーデンプレイスの入り口にあるカフェに入り、コーヒーを頼んだ。外国人のお父さんが男の子を連れて散歩に来ていた。アメリカ人のようだった。彼との会話(アクセント)から、そう思われた。とても気さくな人だった。子供は子供が好きのようで、彼の子供(もうすぐ2才になるらしい)も、悠生に微笑みかけている。

彼らが店を出ると、今度は黒ブチの眼鏡をかけたオシャレなお父さんと女の子が入って来た。やはり、外国人親子だ。場所柄、外国人が多い。日本語でコーヒーと食べ物を注文していた。

次は、サングラスをした金髪のお母さんと3人の娘が入って来た。ここは日本だというのに、英語で注文をまくしたてている。発音が典型的なアメリカ人だ。「少しは日本語を覚えろよ」と心の中でつぶやいた。

夜はインタースペースというアフィリエイト事業を行っている会社の東証マザーズ上場記念パーティにお招きいただいており、ホテルオークラに行った。ネットベンチャーの上場記念パーティとしては、非常に重厚な演出だった。

ふっと横を見るとミクシイの笠原さんが立っていた。「久しぶりですね」と声をかけたところ、僕が眼鏡をかけていたせいか、最初は分からなかったようだった。眼鏡を取って、「元インタースコープで今はドリームビジョンという会社を・・・」と言うと、「そうでしたね」という表情をされた。二言三言挨拶をして、その場を立ち去った。

妻の熱が下がらないので、乾杯の後、そうそうに失礼しようと思い出口へ急ぐと、リアラスの井手さんから声をかけられた。彼とは縁があると思う。

「お疲れ様でしたね」と挨拶をしていると、今度はサイバーエージェントの西條さんと投資担当の鈴木さんとお会いした。

しばらく、4人で話しをした後、「今日は所用があるので・・・」と言って会場を出た。

家に帰ってくると、悠生は元気で遊びまわっており、妻はぐったりした表情をしていた。悠生をお風呂に入れ、食事をした。悠生はその間もはしゃいでおり、食事をするのも一苦労である。

ようやく悠生を寝かしつけて、テレビをつけた。スポーツニュースでゴルフの結果を確認した後、テレビ東京にチャンネルを合わせると、「川嶋あい」という歌手の特集をやっていた。

九州から上京して堀越学園に入学し、歌手デビューを目指したが、現実は厳しかったという。九州の母に泣きを言うと、「九州女やろ。もう少し頑張りや」と励まされたという。因みに、血は繋がっていないらしい。彼女は養女ということだ。

その母と「路上ライブを1,000回やる」と約束したそうだ。3年間かかって、その約束を実現した。しかし、その途中で、お母さんは亡くなったそうである。

1,000回の路上ライブを達成する前に、苦労が実ってプロでビューを果たしていた。それでも、母親との約束を守るべく、路上ライブは続けたという。

もうひとつ、母親と約束したことがあったらしい。「渋谷公会堂でライブをすること」。2003年だったか、2005年の3月30日に、それも、実現させたらしい。僕の誕生日である。

そういえば、川嶋あいの特集の前に、僕の好きな「伊達公子」の特集をやっていた。

この週末は色々なことを考えていた。ドリームビジョンのこと、自分のこと。そして、家族のこと。

自分のエネルギーを何に集中(フォーカス)させるべきか?

すべての答えは「自分の中にある」。

そんな話しを何かで読んだことがある。

勇気をもって前に進みたい。