自分らしい生き方

僕がインタースコープを経営していた頃、インターンとして働いてくれていた金子くんという人がいる。

彼のお父さんは、ある有名なミュージシャンのプロデューサーをしていたらしい(今もそうかもしれない)が、経済的に不安定で、子供の頃は苦労をしたという。

そのせいもあり、彼は職業に関しては、とにかく「生計を立てる」ことを目的とし、自分の好きなことを仕事にすることは「絶対にするまい」と思っていたそうだ。

その彼とインターン歓迎会か何かの席で、たまたまお互いに正面に座り、「職業」に関する話しで真剣に議論をしたことがある。酒席はそれが初めてだったにも係らず、彼から「説教?」をされた。その時のことは今も印象に残っている。

「平石さんは自分の好きなことで身を立てようとしているんですね。そういう人の中で成功する人っていうのは、どのぐらいの確率でいると思いますか?」

「100人中1人ぐらいじゃない」

「じゃあ、平石さんは、その一人を目指しているんですね?」

「そういうことになるかな・・・」

「本当になれると思っているんですか!!!」

「・・・・・・」

「でも、だんだんとそれに近づいて行っているんでしょうね」

「そうありたいね・・・」

こんな感じだった。

その彼から、久しぶりにメールが届いた。

就職も決まり、今は修士論文で忙しいらしい。

その彼からのメールに、こんなことが書いてあった。

「そして私事ではありますが、『自分が父親の遺伝子を持っていること』を感じずにはいられない日々を送っています」。

彼は、非常に頭脳明晰であるが、父親譲りの「クール」なクリエイティビティを持っており、僕は「早晩、彼は自分自身の中に宿る、父親譲りのクリエイティビティに気づく時が来るだろうな」と思っていたが、どうやら、その時が来たらしい。彼のメールを読んで、そう思った。

すると、その瞬間、僕の瞼の裏に「悠生」の顔が浮かんできた。

そして、一瞬、目頭が熱くなり、涙がこぼれそうになってしまった。

この感情は自分でも何と表現していいか分からないし、言葉に表すことができない。今までの僕の人生の中では感じたことのないものだ。

「3度目の起業」とかとカッコいいことを言っているが、自分が思ったとおりには事業が立ち上がらず、苦労をしているわけだが、悠生にはそんなことは当然のことながら分かるはずもなく、僕の顔を見れば、屈託のない笑顔を返してくる。

そんな悠生を、僕は本当にちゃんと育てていけるのだろうか?生計を立てていけるのだろうか?

そんなことを思うと、何と言っていいか分からない感情にかられてしまう。

そんな僕にとって、金子くんのメールにあった「自分が父親の遺伝子を持っていることを感じずにはいられない日々を送っています」という一言には、とても勇気づけられ、励まされた。

ところで、僕が2001年から通っているセラピアという整体がある。

そこの鈴木さんという方にお世話になっている(かれこれ5年になる)のだが、今週の日曜日に整体をしてもらった時、彼がこんなことを言っていた。

「最近の平石さんの身体は、以前のような何かに対する怒りや漠然とした不安や焦りといったものが無くなっていますが、その反面、力がなくなってきています。失礼かもしれませんが、少し枯れてきているとも言えます。これから冬に向かうので、自然と言えば自然なのですが・・・」。

昨日のブログにも書いたが、ここ最近は「オポチュニティ」よりも「リスク」の方が気になる(見えるようになった)ようになっており、以前のように我武者羅に前に進む勇気をもてなくなっている自分がいるが、きっと、そういう精神的な面が身体に表れているのだろう。

以前、何かの機会にインタースコープ創業メンバーの整(久恒 整)と話しをした時に、彼が「あの頃(創業期)のような生活(毎日午前様 or 会社に泊まり込み)は、二度としたくないじゃないですか?」と言っていたことがあり、僕は「そうかな?(また、やってもいいじゃん)」と思っていたが、今にして考えると、僕よりも彼の方が「現実」が見えていたのだと思う。要するに、僕はあまり頭が良くないということだろう。

もうひとつ、精神面の変化という意味で、印象的なことがある。

日本人で唯一、ワールドカップに8年間出場し続けた世界的なプロウインドサーファーだった「飯島夏樹さん」が生前に語っていたことである。

彼は同じプロのウインドサーファーの女性と結婚したと記憶しているが、その方との間に子供ができた時、

「今までの自分は、(プロのウインドサーファーとして)常に何かと戦っている人生を歩んできたが、そろそろそういう生き方(戦う生き方)をやめて、別の生き方をする時期にきているのではないか・・・?」

と思ったそうである。

そして、プロウインドサーファーを引退し、グアムで日本人観光客を相手にした旅行事業を始めた。結果的にその事業は大成功し、家族みんなで裕福な暮らしを送っていたという。

しかし、とても残念なことに、彼は「細胞ガン」という極めて難しい病気にかかってしまい、グアムの事業を売却し、日本に帰ってきて治療に専念したそうである。

そして、本当に残念なことに、2005年2月28日に38才の生涯を終えてしまった。

彼が言っていた「常に何かと戦っていた」という気持ちが、今の僕には分かるような気がしている。

20代30代、具体的に言えば、最初の会社を創めてからインタースコープを創業してしばらくするまでの僕の原動力は「コンプレックス」であり、社会=エスタブリッシュメントに対する「反骨心」だったが、3流大学しか出ていない僕でも、一生懸命に頑張れば、それなりのことが出来るんだということを証明できたと思うようになってからは、そういう思いは薄れてきた。

そして、悠生が生まれたことと関係があるのか、今までのように自分の「プライド」や社会からリスペクトされるために「戦う生き方」ではなく、彼との時間を大切にしながら、自然体で「自分らしく」生きていきたいと思うようになった。

それが、43才の身体を「枯れたもの」にしているのかもしれない。

正直、「枯れてきている」と言われれば、人間として、男としてショックでないと言えば嘘になるが、肉体の老化は避けられないことであり、それを受け入れた上で、この先の人生を送って行けと神様が言っているのかもしれない。

でも、2年間のレッスンのお陰で、最近になってゴルフの飛距離は「3番手」も伸びた(笑)!!!
素直に、とっても嬉しい出来事である。

「リスク」や「恐怖」というのは、自分の才能や能力を遙かに超えるものに挑もうとするから感じるものであり、社会的評価や立場や名声等を忘れることができれば、ありのままの自分で出来ることをやっていくことができれば、そういうものは感じなくなるのかもしれない。

そうは言いつつも、今の自分は、心のどこかに成し遂げられなかった「株式公開」ということや、それを成し遂げた起業家仲間に対して、引け目を感じているのは事実である。

そこから完全に自由になれた時に初めて、「自分らしい生き方」ができるのかもしれない。