創業メンバー。

このブログのタイトルのように、僕は今までの人生で「3度の起業」をした。それを含めて創業に携わったのは「6社」。

つまり、僕にとっての創業メンバーも、僕が創業メンバーの立場になったことも、それぞれ3社ずついるし、ある。

今日は、ドリームビジョンの創業メンバーである「安田 裕」という人物のことを書こう(紹介しよう)と思う。

彼とは、僕がインタースコープを経営していた2002年の夏、知り合った。法政大学の学生だった安田くんが、インターンとしてインタースコープに入ってきた時だった。

ドリームビジョンを創業したとほぼ同時に、法政大学のビジネススクールと提携をして講座運営を始めるなど、法政大学とは縁があるように思う。

話しを安田くんに戻すと、僕がインタースコープ時代に受け入れた50人ぐらいのインターンの中で、彼は珍しく「リサーチャー」や「研究開発」指向ではなく、「事業やビジネス」をどうやって「運営」するか?に興味のある学生だった。類は友を呼ぶのか、彼と同時期に入って来たもうひとりの学生も同じような指向性を持っていた。

彼がインタースコープで働いていた頃は、それほど一緒に仕事をしたわけではなかったが、インターンを卒業し就職をした後も、頻度は高くなかったが交流は続いていた。

彼はインタースコープに来る前、映画の配給会社でバイトをしていたり、舞台演出の仕事をしたりしていたらしい。外見は今風で普通だが、結構な変わり種だし、頑固な人間である。そして、将来は「起業」をしたいと思っていたそうである。

しかし、どうすれば起業できるのか?そのためには、どんな能力が必要なのか?ということが分からず、ETICの起業家育成ゼミのようなものに通ったりもしていたと、ETICの方から聞いていた。

それらのことを意識していたわけではないが、2005年の夏、僕の将来構想を誰かと議論をしたいと思い、食事に誘ったのが安田くんだった。

それから半年ぐらい議論を重ねるうちに、彼が当時、勤務していた会社が、組織変更や分社化や出向うんぬんという時期と重なり、彼としても、僕と一緒に起業するなら今だと思うようになったらしく、僕よりもむしろ彼の方が、積極的に、僕らの構想の具現化を急ぐようになった。自分の20代の頃を見るような気がしていた。

当時の僕は、僕から頼んで田部さんにインタースコープの社長になってもらった経緯もあり、また、創業者として投資家から億単位の資金を調達してきているという責任もあり、そう簡単にインタースコープを退任するわけにはいかず、また、正直に言って、40才を超えて「3度目の起業」をすることの「リスク」に躊躇してもいて、踏ん切りがつかずにいた。そんな僕の背中を押したことのひとつが「悠生」の誕生であることは、以前にもこのブログに書いたとおりである。

それでも、インターネットリサーチ業界はもちろんのこと、ネットビジネス全体においてもそれなりの認知度になったインタースコープを去り、もう一度、スクラッチから事業を立ち上げるという決断をすることは、そう簡単なことではなかった。

正直な話し、ドリームビジョンを立ち上げて4~5ヶ月経った頃から、28才で起業してから一度たりとも計画通りに行ったことのない事業計画が、「想定の範囲」の内か外かは別として、またしても、自分が考えたとおりには行かないことが分かり、希望よりも「不安」の方が先に立つようになっていた。

もっと具体的に言えば、20代や30代での失敗と異なり、40才を超えて事業に失敗することの意味やダメージをリアルにイメージできるようになり、事業の成功イメージではなく、失敗した時のダメージが僕の頭を支配するようになっていた。

それまでの僕は、大企業に勤める人達が組織を飛び出すことを恐れたり、40才を超えるとリスクを取れなくなるという「心情」を理解できずにいたが、そのお陰で身を以て理解できるようになった。

そのトンネルは、ここ数ヶ月(3ヶ月ぐらいだろうか?)続いていたが、人間とは不思議なもので、あるひとつの出来事がきっかけで、思考のパラダイムを変えることができるようである。

何が僕の思考パラダイムをシフトさせたか?については、またの機会に書こうと思うが、考えてみれば、今までの起業家人生の中で、そのようなことは幾度となくあった。

さて、話しを安田くんのことに戻すと、彼の良いところ、才能や能力があると思うところは、

・物事を機能に分類して、プロセス設計をしようとするところ。
・そのことを、組織運営に落とし込もうと思案するところ。
・コスト意識が非常に優れているところ。
・常に物事の優先順位を考えて仕事をしているところ。
・やりたいことではなく、やるべきことを優先する(やる)。
・他人を頼らず、常に自分自身で考え、行動するところ。
・精神的にタフ(心が強い)で、常に安定しているところ。

である。

その中でも、特に「精神的にタフ(心が強い)」な点は「持って生まれた資質」だと思うが、彼の今後の職業人としての人生の中で、最も大きな「強み(武器)」になると思う。

精神的に不安定で「心が弱い」僕に、彼のような「精神的な強さ」があったら、インタースコープは上場できていたかもしれないと思う。

また、常に、自分がやりたいことではなく、今の自分が、今の立場と状況において「やるべきこと」だと考えたことをやる「意志の強さ」がある。これは、とても素晴らしい姿勢であり、能力である。常に、やりたいことを優先してしまう僕に最も欠けているところである。

一方、ここは改善した方がいいだろうと思うところは、何事も他人を頼らず自分で考え自分で判断し行動する、つまり「自立」しているが故に、物事を自分の中でギリギリまで溜め込んでおり、こちらが何か不満があるだろうなと思い話しをすると、その時点で初めて、クリティカルな話しをする点である。

その内容は僕自身の欠点に関することが殆どなので、僕としても、対応が難しいことが多い。先日もそのような話しになり、今後は、遠慮せずに早め早めに「アラート」を出して欲しいという話しをした。

僕が20代の頃に働いていたODSというコンサルティング会社のモットーのひとつに「言わないことは聞こえない」というものがあったが、僕自身も彼と仕事をする中で、常日頃からお互いの考えを確認することが極めて重要であることを、ODSのその言葉の意味を、改めて勉強させられた。

人間は誰しも、自分の思考プロトコルで考え行動しているので、相手が自分と同じような思考プロトコルを持つ人間でない限り、自分が考えていることは「言葉」にして言わなければ相手に伝わらない。

話しは変わるが昨晩、マーケティングジャンクションの吉澤さんと会っていた時に「創造性というのは、異なる遺伝子(種)が交わる(配合)ことによって起こる」という話しを伺ったが、ここ数週間で僕の中で起きたパラダイムシフトは、僕とは異なる安田くんという遺伝子と一緒に仕事をしてきたことにより生まれたと思っている。

僕の強みは、日常の些細な出来事であっても、そこに何らかの「意味」を見出し、それを「メッセージ」として対外的にアウトプットできる能力にあると思っているが、そういう僕の能力と、実務に優れた安田くんの能力を「配合」すれば、きっと、素晴らしいアウトプットを生み出せると思っている。

あとは、その「仕組み(組織的構造)」をどう造るか?である。

右脳オリエンテッドな僕と、左脳オリエンテッドな安田くんと、そのふたりを上手く「繋げる人」が表れれば、ドリームビジョンはテイクオフすると思う。

というより、そういう人を「本気で探して連れてくる」ことが、出来は悪いが、経営者である僕の仕事である。