30代の記憶。

「30代」は自分の中ではそう遠くない記憶のつもりだが、先月末で44才。もう40代も半ば、50才まであと6年である。

「人生は短い」。35才の時にそう思ってから9年が過ぎた。時の経つのは本当に速い。

さて、先週の土曜日は、リフレクトの佐藤裕氏と2人で千葉県富津市竹岡というところにある「随縁カントリークラブ」に行った。内房の海沿いの小高い丘の上に立つゴルフ場で、天気もよく絶景が楽しめた。東京湾を一望でき、対岸の久里浜辺りがはっきりと見えた。

久里浜には、義理の両親が住んでいた。義理(妻方)の兄夫婦が買ったマンションに両親が住み、大田区の東雪谷にある実家に兄夫婦が住んでいた。

両親が住んでいたマンションは久里浜海岸沿いあり、毎年8月に開催される花火大会の時は、絶好の花火鑑賞スポットだった。妻の誕生日が8月ということもあり、毎年それに合わせて泊まりに行っていた。

久里浜から対岸の金谷港まではフェリーで繋がっており、レンタカーを借りて、館山にあるアクシオン館山というリーズナブルなリゾートホテルに何度か泊まりに行った。貧乏だった僕らの年に1度の楽しみだった。

僕は31才の時に結婚し、39才の時に妻の両親が亡くなった。母が8月、父が12月だった。僕の30代は、妻の両親と過ごした時間でもあった。

話しをゴルフ場に戻すと、最初の5ホールこそ調子が良かったが、強い海風の影響で6ホール目から崩れてしまい、久しぶりに「三桁」を叩いた。

ラウンド後に風呂に入ると、ガラス越しに東京湾が一望でき、立ち上がると正面に久里浜の辺りが見えた。

僕にとっての30代は「辛い時期」だった。特に、30代の半ばは、起業したはいいものの鳴かず飛ばずで、その先の人生に対する展望が開けなかった。当時は、そんなことを考える余裕すらなかったが、今になって振り返ってみると、義理の両親との交流は、先が見えずに経済的にも厳しかった僕にとっての「精神的な緩衝材」になっていたような気がする。

当たり前の話であるが、あの頃には二度と戻れないし、妻の両親と話をすることも叶わない。

僕にとっては大切な「記憶」である。