「選べなかった経験」の恩恵。

実は、このタイトルでブログを書こうと思ったのは数日前のことで、今こうやってPCに向かってみると、その時に何を考えていたのかを正確に思い出せないでいる。

記憶用のメモ書きに「僕の産みの母は」というフレーズがあったので、きっと、どんな両親のもとに生まれるかは自分の意志では選択できない(選べない)ということを書こうと思ったのだろう。

以前にもこのブログに書いたが、僕の「産みの母」は高校を卒業後、一度は民間企業に就職したがすぐに退職し、大学に入学した。そして、大学卒業後は小学校の教師をしていた。

僕が小学校の高学年の頃だっただろうか、時々、テストの採点を手伝ったりしていた。テストの採点をしながら、上手な字を書く子供と字が下手な子供がいることを、同じ子供ながらに理解し、やはり、字はきれいな方が相手に良い印象を与えるということを実感した。

父は、地元の総合病院で事務長をしていた。とても勤勉な人で、家には経済関連の書籍がたくさんあった。何故か、週間ダイヤモンドを購読していたのが、とても印象に残っている。

僕がゴルフをするようになったのは、父の影響があるように思う。人から聞いた話しでは、40才を過ぎてからゴルフを始めた父のハンディキャップは「18」だったそうなので、平均スコアは「90」ということになる。まだまだ、父のレベルに達していないということか・・・。

父が勤務していた病院は、従業員数が2,000人ほどの全国的にも有名な病院だった。財団法人という組織で経営されていたが、病院経営で利益を上げる(営利を追求するという意味ではなく、健全な経営をするという意味)のは大変なことだ(ますます利益を確保し難くなる)と言っていた。

いつ頃からかは記憶が曖昧だが、僕の価値観形成には、亡くなった両親の「職業」が大きく影響していると思うようになった。自分の職業、今の僕の立場では「事業」を考える際に、「利益」だけではなく、どうしても「社会的意義」を考えてしまうのは、ふたりが営利企業のサラリーマンではなかったことと無縁ではないだろう。

なりたい自分になる(目指す)のではなく、「なれる自分」になる(目指す)、違う表現をすれば「自分という素材を活かす=自分を知る」ことが大切であり、成功への近道(充実した人生)のように思う。