「ファンド資本主義」を生き抜く。

ここのところ何度も紹介している日経ビジネス・オンラインの1周年記念セミナーで、「ファンド資本主義を生き抜く」というテーマのセッションを聴く機会があった。

そのセッションの講師は、M&Aアドバイザリー「ロバーツ・ミタニLLC」創業者の神谷秀樹氏、企業法務・渉外弁護士の中村直人氏、リップルウッドで新生銀行の再生等に関ったことのある岩瀬大輔氏(現ネットライフ企画 取締役副社長)の3人で、それぞれ、とても示唆に富んだ話しをされていた。

機会があれば他の方の話しも紹介したいと思っているが、今日は「岩瀬氏」の話しを中心に書きたいと思う。

岩瀬氏が所属していたことのあるリップルウッドは「買収ファンド(バイアウトファンド)」であるが、彼は買収ファンドと並んで資本市場で大きな影響力を持つヘッジファンドとの対比をしながら、両者の構造とそこで働く人の評価基準(モチベーション)をもとに、その違いをとても簡潔明瞭に説明してくれていた。

買収ファンドは文字どおり、企業を買収し、企業価値を高めた上で、その会社(の株式)を売却することにより利益を出す。買収してから売却するまでの期間、買収した企業の経営に積極的に関与する。株式の保有期間は、4~5年が一般的だろう。

一方、ヘッジファンドは「ポートフォリオ」の一環として、株式や通貨等の売買を行う。それらの保有期間は短く、長いものでも数ヶ月から1年程度だろう。そのような構造故、株式を保有する企業の経営に積極的に関与することはない。あるとすれば、投資対象の企業の「遊休資産(主に不動産)」等を売却することによりROAを向上させ、株主価値を高めろというようなプレッシャーをかけるということだろう。

また、企業価値を高めるために必要なことは、「売上を上げる(収入を増やす)=トップライン重視」か「コストを削減する=ボトムライン重視」のいずれか(もちろん両方もある)であるが、前者は「事業を創る」ということなので、地道な努力が要求されるし、とにかく大変である。買収ファンドの立場で、より短期的且つ効率的に「利益(ボトムライン)」を出そうすれば、コスト削減をするのは当然である。そして、買収ファンドで働く人は、いくらのリターンを出したかで評価されるので、ファンドの満期が近づけば近づくほど、売却に動くことになる。

一方、ヘッジファンドで働く人の評価は、毎年のポートフォリオの「パフォーマンス」らしい。尚、ここでいうパフォーマンスの定義が「実現益」なのか「含み益(計算上の利益)」でもいいのかは、僕は知らない。

岩瀬氏が両者の構造的違いをもとに言っていたことは、相手がどういう立場であるかを理解することが、相手の行動を理解する(予測する)ことに繋がるわけで、相手の「モチベーション」と「行動様式」を理解した上で付き合う必要があるということである。

世の中の風潮としてファンドの存在を否定したり、悪者という見方があったりするが、それは短絡的だということである。

では、岩瀬氏はファンドの存在を全面的に肯定していたかというとそうではない。

アメリカでは昨年度、年収が「100億」だか「1,000億」だかを超えたファンドマネジャーが「7人」だったかいるらしいが、その一方で、日本では考えられないような「超貧困層」が「3,000万人」もいるという。

そのことを紹介しながら、資本主義的な「経済合理性」だけを求めることの先行きがどうなるか?それを日本社会が求めるべきか?ということの問題提起をされていた。

もうひとつ追加すれば、クライスラーをファンドが買収したが、以前にもクライスラーは経営危機に見舞われたことがあり、その度に「政府が助けてきた」わけだが、何年後かにファンドがクライスラー株を売却し、利益を上げるとすれば、「ファンドとその出資者」の利益は、国民の「損失(税金負担)」ということとも理解できる。

さて、今日のエントリーは結論のないものになってしまったが、ファンドや投資というものに接することの少ない方にとって、今後の社会構造を考える上で、少しでも参考になったようであれば幸いである。

話しは変わが、インタースコープに出資していただいたVCの方々、特に、JAICの新家さんとグロービスの小林さんは「トップライン(売上=事業を創る)」ことを一緒になって考えてくれ、尚且つ、実行面の支援もしてくれていたわけで、そのことの「意味(ありがたさ)」を改めて感じている。

ドリームビジョンとして「新しい事業」を立ち上げつつ、ラソナの社外取締役として「新規事業」の立ち上げと「既存事業」の強化を支援しているが、世の中に認められる「価値(事業=売上)」を創っていくというのは大変なことである。

どうも僕は、大変なことが好き?なようである。妻に言わせれば、自分から好んで「大変なこと」をしているらしい。

損な性格かもしれない(笑)。