「決断力」。

昨日のエントリーに対する「坊主頭のりょうへいさん」のコメントは、「決心」というタイトルだった。考えさせられる「言葉」である。

因みに、「決心」と「決断」では、どう違うのだろう?

そう思って辞書をひいてみた。

「決心」 : ある物事をしようと心をきめること
「決断」 : きっぱりと心を決めること

「強さ」の違いがあるのだろうか?

どちらにしても、自分の「心」を決めることには間違いないだろうが、「断」という字が入っていることで、「決断」というのは、何かを「決める」に際して、そのことに「邪魔」あるいは「不必要」なものを「断つ」という概念が含まれているのだと思う。

「決断」の使われ方に、「雑念を振り払い『決断』する」という事例が載っていたのは、そういう意味だろう。

「リスク」を取る、という意味合いもあるように思う。

そういえば、今朝、出掛けにちらっとめくった「相田みつを」の本に、こんなことが書いてあった。

「男が勝負をする時は、捨て身じゃなければいけない。損得などを考えず、そこに何も求めない」。

つまり、「負けることを覚悟しなければ、勝てない」という意味だと思う。

何とも深い言葉である。

今朝の日経一面に掲載されていた「YENの国際化」にしても、要は「決断」が出来なかったということだ。

「YENの国際化」や「強いYEN」にはメリットがあるが、そのことによるデメリットもあるわけで、メリットを取るために「デメリットを甘受する(覚悟する)」ことが出来なかったということだろう。

政治家であれば、そのデメリットを国民に説明すると「票」を失うとか、その政策を受け入れるとデメリットを受けることになる省庁があるとか、そういうことだ。因みに、僕は「強いYEN」の歓迎派である。

何事もトレードオフはあるわけで、結局は「何を良しとするのか?」が大切ということだ。

個人でも企業でも政府でも国家でも、「理念」が大切な所以である。

常に、「自問自答」していこうと思う。

「坊主頭のりょうへいさん」に「感謝」。