「国民の品格」。

藤原正彦さんが書かれた「国家の品格」を読んだのは、約2ヶ月前。かなり考えさせられるものがあった。

つい先日、リンクアンドモチベーションの小笹さんから、ご自身の著書である「会社の品格」という本を贈呈いただいた。こちらは、まだ、目次に目を通しただけだが、何を訴えたいかが伝わってくる。

さて、国家にしても会社にしても、それを構成しているのは「国民」である。

僕は、すべてのことは「国民のレベル」に帰結すると考えている。

あれから、1ヶ月ほど経ったのだろうか? 安倍総理の辞任について、僕は「安倍首相ひとりの責任か?」というエントリーを書いた。

最近で言えば、「亀田親子」の事件に関しても、同様なことを感じる。

彼らが取った行動は、スポーツ選手以前に、人間として認められるものではない。

しかし、彼らがあのような行動を取った背景には「国民の品格」という問題があるように思う。

言葉を選ばずに言えば、彼らは、学歴もない、教養もない。それを前提として社会で伸し上がるには、普通の人には出来ない、ある意味で特異な分野で勝負するしかないだろう。それが彼らにとってはボクシング(格闘技)だったということだ。

マスコミは、彼らを「商売のネタ」として祭り上げた。そして、実際にかなりの商売をしただろう。しかし、それが成り立ったのは、それを求める「国民(視聴者)」が存在したからだ。

これは突飛な論理かもしれないが、亀田親子が、いわば、国民的スターのような存在に祭り上げられた背景には、今の日本の社会構造に対する不満があるように思う。

つまり、「割を食っている」と思っている人達が、自分の「才能」だけで伸し上がってきた、社会に対する謙遜もなく不遜な態度をとる若者を支持することで、「権力者」に対する溜飲を下げていた。そして、それを煽るようにマスコミが取り上げた、ということではないだろうか?

人間は期待が大きければ大きいほど、その期待が裏切られた時の反動が大きい。亀田親子の「記者会見」に対して、抗議が殺到しているのは、そういうことだろう。

支持した層は異なるかもしれないが、ある意味、ライブドアの堀江さんが支持されたことと似ているような気がする。