ほぼ創業メンバーの「泉谷光一」。

今日は、久しぶりにウェブクルー創業者の渡辺さんと会った。

彼の本拠地である六本木ヒルズにあるグランドハイアットのロビーで待ち合わせ、食事をして、その後、JAZZの演奏が楽しめるバーに寄った。

渡辺さんと会ったのは、昨年の3月末に一緒にゴルフをして以来だったが、とても元気そうだった。

さて、今日のエントリーでは約束通り、ドリームビジョンのほぼ創業メンバーと言っていい「泉谷光一」との出会いと彼のひととなりを紹介したいと思う。

彼は1975年生まれで、僕とはちょうど「ひとわまり」違う。

彼と初めて会ったのは、インタースコープが入っていた池尻大橋のオフィスだった。2005年の秋だったと思う。

彼は当時、母校である早稲田の大学院に通いつつ、週に3~4日、インタースコープでアルバイトとして働いていた。

成績優秀な彼は、早稲田の「公費留学」の聴講生として、シアトルにあるワシントン大学に留学することになっており、それまでの間、大学院で学んでいることの実務への適用を自分の目で確かめたいと思い、ネットで検索してインタースコープを発見し、自分からアルバイトとして働きたいと問い合わせてきたらしい。

最初は給湯室等で顔を会わせるだけの関係でしかなく、「彼はどこのチームで働いているのかな・・・」と思っていたが、ある時、僕にとってインタースコープでの最後の仕事となった、あるクライアントの新規事業開発に際するフィージビリティスタディを一緒に進めることになり、それが縁で今日に至っている。

その仕事は、現場を離れて久しい僕に、久しぶりに「ご指名」を頂戴した仕事だったが、インタースコープの通常ラインの仕事ではなく、コンサルティングファーム的な知見が求められる仕事だったため、コンサルティングファーム出身の泉谷に声をかけたのだった。

その仕事のクライアントは、当時(きっと今もそうだろう)のインタースコープにとって、とても大切なクライアントだったこともあり、半ば彼を「ひっぺがした」ようなものだったため、彼が所属していたチームの責任者からは、こっぴどく文句を言われた。そのせいで、それから1年ぐらいは、その彼女とは疎遠になってしまったというおまけ付きの仕事だった。

さて、その泉谷であるが、今も週に1.5日ぐらい、早稲田の大学院で学んでいる。

とても頭脳明晰な奴で、僕は持ち合わせていない、物事を多角的に分析し、オポチュニティとリスクを分かり易く整理する能力に長けている。

まだまだチッポケなドリームビジョンには、彼の能力を存分に発揮してもらえる仕事はないにも係らず、また、彼の持ち味をそのまま活かせるコンサルティングファームなり、それなりの会社の経営企画なりにアプライすれば、ドリームビジョンで得ている報酬の倍は固いだろうにも係らず、苦労を厭わず、会社とは言えない会社で働いてくれている。とてもありがたいことだ。

彼と仕事をするようになったお陰で、僕は、僕が考えていることを客観的且つ「数値」におきかえられる(泉谷が置き換えてくれる)ようになり、仕事の幅や能力が少しずつストレッチされているように思う。本当にありがたいことである。

そんな泉谷の「夢」は、「投資育成」事業を軌道に乗せ、フローでの利益を出すのではなく、ドリームビジョンを、バランスシートに載っている「資産」が「利益」を生み出すような「BSドリブン」の会社し、40才にして、セミリタイヤし、沖縄に移住することだという。

その「夢」を実現するためには、おそらく、いや、間違いなく、相当な苦労を覚悟する必要があると思うが、その苦労を「ドリームビジョン」でするのか?それとも、違う組織なり環境でするのかは、彼の自由である。

人間は最終的にはすべて自己責任であるが、僕の誘いを受け、こうして一緒の船に乗ってくれていることとに感謝をしていると共に、掛け替えのない人生を、それも尚かつ、彼の人生にとって、とても大切な時期である「30代」という時期を、ドリームビジョンという船を立派にすることに費やそうとしていることに、言い出しっぺとしての責任を感じている。

DeNAの南場さんが先日の日経新聞のインタビュー記事で、赤字続きの時期に、「人を巻き込んでいるわけなので、とても怖くなった」と言っていたが、彼女の心境が分かる気がする。

プレーヤーとしては、既に峠を越えて久しい僕に出来ることは、泉谷や安田や松本という30才前後の優秀な人間が、持てる力を存分に発揮し、充実した人生をおくれるよう、少しばかりのお金を出すことと、今までの経験を通じて学んだ少しばかりの知恵を出すこと、そして、僕がお世話になってきた方々のご支援を取り付けることだと思っている。

こうしてブログを書いている僕自身が不安で仕方がないが、10年後、みんなで楽しいお正月を迎えられるよう、はやる心を抑えて、ひとつずつ、今の自分に出来ることをやっていこうと思う。