TIME & STYLE

さて、予告編では、今日はもうひとりのほぼ創業メンバーである「松本知之」のことを書くことになっているが、その前にどうしても書いておきたいことがあり、順番を変更することにした。

東京都目黒区八雲に「TIME & STYLE」というインテリアショップがある。

2005年の3月、僕が初めて家具らしい家具を買った店だ。

それまでの僕は、狭く、しがない賃貸生活で、とても家具どころではなかったが、初めて住宅(マンション)を購入することになり、妊娠中だった妻とふたりで、東京の様々なインテリアショップを回ったなかで、最も気に入った店が「TIME & STYLE」だった。

昨年末のエントリーで、僕の人生は「苦労の缶詰」のようだったと書いたが、その中身をどうしたかは別として、幸運にもその缶詰を開けることができ、お気に入りのBMW Z4で何度も何度も通ったことを思い出す。最近は、またしても、缶詰に逆戻りのような気がするが・・・。

その「TIME & STYLE」が10周年を迎えたということで、彼らに縁のある30人余の人たちが、それぞれの「人生」や「TIME & STYLE」について語っている一冊の本が昨年10月、僕のところにも送られてきた。

お正月の3日に、今の母親と次男と末弟夫妻と彼らの子供(僕にとっては甥)を自宅に招くにあたり、掃除や書類の整理をした際に、その本が出てきて目を通したというわけだ。

僕を直接知っている人には「えっ(リアリティがない)」と思われるかもしれないが、僕は、JAZZ の演奏が楽しめるインテリアショップ兼カフェのようなものをやりたいと思っている。

そのインテリアショップ兼カフェの名前は、「SFIDA」と決めている。

イタリア語で「挑戦」という意味で、ドリームビジョンの投資事業にとって記念すべき「第1号案件」であるイミオが展開するブランドの名前でもある。というか、彼らに投資をすることになり、知った単語である。

話しは逸れるが、僕が20代の頃に務めていたODSというコンサルティングファームでの上司だった林さんという人に、唯一評価されていたのが「チャレンジ精神」だった。それ以外は「圧倒的勉強不足」「ガキっぽい」「お前は世界一バカだと思え」とコテンパンだった。

たしかに、僕に取り柄と言えるものがあるとすれば、いい年をして、また、スクラッチから会社を立ち上げようとするような「バカ」なところであり、それをカッコ良く言えば「チャレンジ(挑戦)精神」ということになるのかもしれない。

そして、僕が何故、チャレンジする人たちが好きなのかというと、彼・彼女たちの「生き方」に「感動」を覚え、挫けそうになった時、前に進む「勇気と自信」をもらえるからなのだと思う。

そんな僕にとって「TIME & STYLE 」は、そのデザインテイストはもちろん、カフェが併設されていることも、そして、JAZZ レーベルを有しており、10周年を記念してアルバムをリリースし、ライブを開催したことなども含めて、憧れのお店であり、会社であり、人々である。

さて、TIME & STYLE「10周年記念」の本の最後に、TIME & STYLE を運営するプレステージジャパン代表取締役である「吉田龍太郎」氏の写真と挨拶が載っている。

彼の表情と文章から、吉田氏はとても「人間臭い人」であり、魅力的な人であることがわかる。きっと素敵な人だ。

彼は、20歳の時に単身ドイツに渡り、1990年にベルリンで創業したらしい。そして、1997年に目黒の八雲で「TIME & STYLE」1号店を開店した。僕が最も貧乏だった頃だ。

僕が大好きな「TIME & STYLE」のインテリアは、決して安くはないが、そこそこの値段で、とても質感が高く、実際にその家具を使う人たちの「暮らし」をイメージし、そこに「愛情」を注いでいることが、静かに無言で伝わってくる。

そんな家具を造れたら幸せだろうなと思う。

さて、TIME & STYLE(プレステージジャパン)代表の吉田さんの挨拶文には、こんなことが書いてある。

「離ればなれで暮らしていた12歳の息子、武士(たけし)が一人でベルリンから僕の所にやってきた。もう離れて暮らして8年になる。5歳の時から毎年、夏休みになると一人で飛行機に乗って僕の所を訪れていたが、この8月から一大決心をして僕と日本で生活することを決めた。武士は日本語が全く話せない。父親がどんな生活をしていて、どんな毎日を送っているのかも知らないのに勇気ある決断だ。日々飲んだくれて、よろよろになっている僕のとんでもない日常も知らずに。そんなことで僕は武士の決断を心から嬉しく思いながらも、これから訪れるであろう彼との右往左往の毎日を思うと、親としての責任と自分自身に対する不安でいっぱいになっていた。8月27日、武士の日本での新たな学校生活がスタートした。朝5時半に起きる、そして朝飯を作る、ほとんどはコーンフレークに牛乳をかけただけ、6時には武士を叩き起こし、朝食を済ませ、駅までの25分の道のりを二人で歩く日々が始まった。残暑の蝉と烏の鳴き声、澄んだ空気と木々の匂い、東京の朝がこんなにも気持ち良いことを初めて知った。晴れの日も、雨の日もこれから毎朝、武士と歩く駅までの25分は僕にとって、心が安らぐ大切な時間となった。二人で歩く駅までの時間、本当にくだらない冗談、お寺の境内のラジオ体操の老人達を横目に二人で歩きながら僕は武士との何気ない会話を楽しんでいる。
 スクールバスが6時50分に駅に到着する少し手前で僕たちは別れる。彼がスクールバスに乗り込むまで、なぜかそこを離れられない。バスが出て行くのを見届けて帰り道を一人で歩く一瞬、何とも形容しがたい心に染み入るような感情がこみ上げてくる。これまでの僕の人生で初めて味わうような幸せな気持ち。何気ない日常に潜む思いがけない感情との出会い。思い返すと僕は無責任に家庭や仲間を省みず、自分のやりたいことだけに奔走し、仕事を言い訳にして人間らしい感情や人への思いやりのかけらも無かった。この歳になって初めて日常の生活の中に在る一つ一つの目立たないささやかなことの味わいを知った。

~中略~

今年の春に僕の大好きな友人を失った。僕はこの20年間に幾度となく、迷った時や何かを決める時、彼のもとを訪ね、夢や未来を語り合った。
 彼は病床でも最後まで未来に向かって夢を持ち続けていたし、最後まで僕のことを心配してくれた。時々、彼の笑顔や声を思い出す。この本に出て語って欲しかった。
 今を生きることをより大切にしたいと思うようになった。武士との1日1日を、家族との1日1日を、仲間との1日1日を。
 朝、武士と別れて寄り道をする目黒不動尊にて天国の親父と友人に向かって、皆の幸せと安全を祈る」。

この本に書かれていることから推測するに、彼は僕よりも少し若いように思う。身体は、僕の方が少しだけ締まっているようだけど(笑)。

ところで、正月早々に申し訳ないが、僕のところに訃報が届いた。

僕が高校受験に失敗して予備校に通っていた頃に知り合った友人で、翌年、高校に入学し直した後、彼とはバンドを組んだりしていた。最後に会ってから、もう10年近くなるだろうか。

数学や物理が出来ない僕に、それこそ、幼稚園生に教えるような口調で、丁寧に「家庭教師」をしてくれたこともあった。僕が一生懸命にバイトして買ったギターを借りたまま返さない奴だった。一緒に散々、悪さもした。万引きをして捕まったこともあった。

彼の遺品の中に、僕からの年賀状があったらしく、一度も会ったことのない彼の奥さんが、「お正月早々に申し訳ありません」と言って、僕に電話をかけてきた。

明日は早起きをして、大阪までご焼香に行くことにした。

「人生は短い」。