Russian Tea Room(New York の超高級レストラン)

僕たち家族にとって、今年の「成人の日」を含む3連休は、とても静かな連休となった。

一昨日のブログで妻の具合が悪くなったことは書いたが、やはりというか、案の定というか、僕も具合が悪くなり、尚かつ、治ったと思った子供が、またしても発熱してしまったので、おとなしくしている以外にはなかった。

ところで、中途半端な知識や理解で「政治や経済」に関するエントリーを書いているので当然のことなのだが、今回も、一昨日のエントリーに、僕が直接知っているある方からコメントを頂戴した。

その方のコメントの趣旨を正確に理解できているわけではないが、上記のとおり、中途半端な知識故、僕が的外れなことを書いている可能性もあるし、僕の表現力の稚拙さ故、誤解を招いてしまっている可能性もあると思う。

しかし、こうしてコメントを頂戴するということは、自分の理解や考えを改めて熟考する良い機会になるので、今後もまた、これはと思う疑問やテーマがあった時は、稚拙なことは承知の上で書いてみようと思っている。

その方のコメントは、一昨日のエントリーのコメント欄に書いてあるが、要約すると「380円で昼食が食べられたり、100円ショップで色々なモノが買えるのは、企業や個人の努力の賜物であって悲観することではない。悲観すべきは、労働者が搾取される傾向にあることだ」というものだ。

後者の部分に関しては、彼が社会のどの部分を指して言っているのかが分からないので何とも言えないが、前者、つまり、物価の部分に関しては、なるほど、そういう考え方もあるな・・・と思った。

しかし、僕が一昨日のエントリーで、友人の発言まで引き合いに出しで言いたかったことは、そういうことではないので、僕が実際に経験したことをもとに、改めて説明してみたいと思う。

1986年2月、僕は初めて「New York」を訪問した。

昨年の3月(だったと思う)に「上海」に行った時も同様なインパクトがあったが、今から22年前、当時22才だった僕にとって、その経験は「衝撃的」であり、物凄いインパクトがあった。

街全体から感じるエネルギー、誰もが「よそ者」であり「New Yorker」であるという「懐の深さ」、とんでもない(商業的)成功と挫折が隣り合わせにあり、チャレンジする人なら誰でも受け入れる、そんな街のように感じた。

人種の坩堝(るつぼ)と言われるように様々な国・地域の人々が集まっており、肌の色も背格好もまちまちであることも、僕がそのように感じた大きな理由でもあった。

New York には約3週間ほど滞在したが、その8年後、僕らの結婚式で立会人を務めてもらうことになる元H2Oの赤塩正樹氏(当時、マンハッタンに住んでいた)と、東京で知り合っていたアメリカ人の友人宅(マンハッタンから車で30~40分の距離)とその彼の友人宅(Queens)に泊めてもらっていた。学生の僕には、ホテルに泊まる余裕は無かったのである。

当時の為替レートは、1ドル=「200円」ぐらい。1985年9月22日の「プラザ合意」から半年ほど経っていたが、今の「倍」ぐらい、円に対してドルが高かった。つまり、当時の僕にとっては、とても「高い」旅行だった。

因みに、僕のアメリカ人の友人の「初任給」は、4万7,000ドル。当時の為替レートで計算すると、なんと「940万円」である。

「知的専門職(多くが大学院卒)に就く高給取り」のことを、当時の言葉で「Yuppie(Young Urban Professional)」と呼んでいたが、彼らはまさしく、そういう人たちだった。

しかし、1ドル100円になると、話しは変わってくる。アメリカ国内にいる分には関係ない話しかもしれないが、海外に行こうとすると、同じ年収にも係らず、彼らの「経済力」が全く異なってくる。

僕の友人達は、その後の「円高ドル安」時代以降、一度も、日本に来ていない。

因みに、その間、23~31才の頃、僕は「財政赤字(借金をして)」での話しだが、15~16回ほど、New York に行っている。

僕は経済学を学んだことがあるわけでもなく、残念ながらきちんと説明出来るだけの知識は持ち合わせていないが、通貨としての「円」の「価値」は、実質的には「プラザ合意」前の水準にまで落ち込んでいるらしい。購買力平価でみた国民ひとり当たりのGDP額や経済成長率等、日本の経済力が、相対的に目減りしてきているということだろう。

「為替レート」ということでは、円に対して、ユーロやポンド、ルーブル等がここ数年、高くなっており、ロンドンで「天ぷら定食」を食べようと思うと、4,000~5,000円は覚悟しないといけないとか。

「資源バブル」に沸くロシアの「モスクワ」では、まともなホテルに泊まるには「5~6万円」、安いところでも治安を考えると「2~3万円」は覚悟する必要があるらしい。

残念ながら、円とルーブルの為替トレンドは探せなかったが、円とポンドの「10年間の為替トレンド」をみると、2000年後半に「150円」だったものが、昨年には「250円」をつけており、ポンドに対する「円の価値」が「40%」下がったということになる。

僕は行ったことはないが、ロンドンの地下鉄の初乗り運賃は「3ポンド」とのこと。ということは、昨年の秋あたりに行っていた場合、3ポンド=「750円」。今の東京の「タクシーの1メーター(初乗り料金=710円)」よりも高いという計算になる。ひょっとしたら、ロンドンやモスクワが高いのではなく、TOKYO が安いと思った方がいいのかもしれない。

ところで、今日のタイトルの「Russian Tea Room」は、New York の6th アベニューと7th アベニューの間で57th streetにある、80年も続く(1927年開店)超高級レストランである。初めてNew Yorkに行った時に、友人に教えてもらった。もちろん、入ったことはない。

当時の為替レート(1ドル=200円)だと、コーヒー1杯が「1,400円(7ドル)」。今のレートだと、750円ぐらいか。同じ10万円を持って行っても、その価値が違う。

因みに、最近では「高いルーブル」を味方につけて、銀座の高級ブランドショップのお得意さんはロシア人という話しも聞く。例えば、同じルイヴィトンのバッグを買うにしても、自国の通貨の「レバレッジ」が利く「日本」で買った方が安いということだろう。

たしかに、日本の代表的産業である自動車メーカーや家電業界にとっては円安の方が円換算した場合のメリットがあるが、エネルギーや食料の大半を「輸入」に依存する日本という国の構造を考えると、自国通貨が「高い」方がよいのではと、僕は思っている。

ところで、そもそもの話題の「ランチ」であるが、僕は高校生か大学生の頃、定食屋に行くと「卵丼」をよく食べた記憶がある。「鶏肉」が嫌いな僕にとって、親子丼よりも安い「卵丼」は嬉しいメニューだった。お店によっても異なるが、たしか「380~450円」ぐらいだったと思う。今は、いくらぐらいするのだろう?

たしかに、今の東京で「380円」で食べられるランチはあると思う。

でも、それはマクドナルド等のファストフードや極端に安い定食屋での話しであり、それが平均値ではないだろう。大戸屋でも、それ以上はすると思う。

また、100円ショップで売っているモノの殆どは中国や東南アジア製であり、それらの国が経済力をつけ、また、円の価値が下がり続ければ、100円では売れなくなる。事実として、一部の100円ショップでは、商品によっては「値上げ」をしたと聞いている。

いずれにしても、僕は自分が生まれ育った日本という国が好きだし、1963年という「高度経済成長期」に生まれ育ち、僕は殆ど恩恵に与らなかったが「バブル経済」も、その崩壊も目の当たりにし、その後のネットバブルでは運良くネットビジネスを興すことができ、具合が悪いにも係らず、こうして、1円にもならないブログを書くことが出来ている僕は、自分の子供の世代の日本が「貧しい国」や「食えない国」になっていて欲しくない。

そのことを言いたかっただけである。

もうひとつの「労働者が搾取される傾向・・・」に関しては、別の機会に僕の考えを述べてみたい。

追伸:1/8(火)の日経新聞に、元産業再生機構(現 経営共創基盤 代表取締役)の冨山和彦氏が、「後世への富継承こそ品格~鎖国型再分配脱せ~」と題して、とても示唆に富んだ提案をされている。興味のある方は是非、ご一読されることをお勧めする。