子を思う親の気持ち。

今日は、日本社会は「リスク」を取ることを許容するか?の続きを書くつもりでいたのだが、そういう気分ではなく、別のテーマでのエントリーを書くことにした。

3連休を郡山で過ごした後の今朝は、僕が子供を保育園に送って行った。毎週火曜日は、妻が精神病院でボランティアで働いており、朝早くに家を出るので、僕が子供を保育園に送る当番になっている。

この3連休中、僕たち夫婦(子供にとっては両親)と彼の祖母(僕の今の母)、僕の弟夫妻とその子供達、そして、僕の叔母夫婦たちと入れ替わり立ち代わり過ごしていたので、今朝は僕が保育園を出る際、これが今生の別かというぐらいの騒ぎで泣きじゃくっていた。

連休明けの保育園の朝は、いつもそうだが、今朝は今までに増して凄い形相だった。

考えてみれば、僕は幼稚園の初日、何十人かの入園児童の中で「ただひとり」、家が恋しくて泣いてしまった子供だった。

その僕の子供なわけで、そう考えれば無理もない。

彼の泣きじゃくる顔を見ながら、血は争えないという言葉を改めて感じた。

彼には、僕のような神経質な大人にはなって欲しくないが、それは叶わぬ想いなのだろうか?

子を思う親の気持ちというのが、少しずつ、分かってきたような気がしている。