日本社会は「リスク」を取ることを許容するか?(続編)

昨日は22:00過ぎに会社を出て、ワールドビジネスサテライト(WBS)を観た。ほんの10数秒だったと思うが、確かに僕のことが紹介されていた。

しかし、最初の起業をして数年経った頃、当時の売上の7割を占める事業を止めたことで、その翌年から2年間は「世帯年収300万円で、死にそうでしたよ」という発言が使われていたのは、やられた!!!と思った(笑)。

でも、記者の「最近の起業率の低下をどう見ているか?」という質問に対して、「ネットバブルとその崩壊を目の当たりにし、また、堀江さんの事件等も見てきた今の若い人たちは、起業の醍醐味もそのリスクも、そして、成功する人は極々一握りであることもよく理解しており、一発、やってみるか!?というような「少年ハート」では起業は出来ないと思いますよ」という僕の発言を紹介していただいたことは、僕の言わんとすることが伝わった気がして嬉しかった。

記者の方には、この場を借りてお礼を申し上げます。

ところで、昨夜のWBSを観て、僕が感じたことを、忘れないうちに書いておこうと思う。

「テレビとインターネットの融合」ということが叫ばれた時期があったが、僕はずっと疑問に思っていた。その想いが、今回の取材を受けて、より強くなった。

ソフトブレーンの小松さんと僕が受けた取材は、実は「3時間」以上だった。

しかし、番組で使われたのは、その中の「数カット」。小松さんと僕を合わせて、せいぜい30秒程度だろう。つまり、それだけ「お金をかけている」のである。そして、それだけのお金をかけるからこそ、質の高い番組が創れるのだとも思う。

インターネットの世界では「Web2.0」という潮流のもと、膨大なCGM(Consumer Generated Media)が出現しているが(僕のブログもそのひとつだ)、それは、権力も財力も何の力も持たない一般市民に「情報発信力」というパワーを与えたという点で、とても大きな意味を持つと思う。

しかし、それは、必ずしも「質を担保する」ということにはならず、それなりのコンテンツを創るには、それなりのお金、つまり、自分ひとりの経験や知恵だけではなく、様々な「プロフェッショナル」の知恵や番組製作のための「高価な機材」が必要だということだ。

話しが長くなるので詳細は割愛するが、ある時、NHKの紅白歌合戦の舞台裏を紹介するドキュメンタリー番組を観ていて、別の理由により、テレビとインターネットの融合はそう簡単ではないと思ったことを思い出した。

さて、そろそろ本題に入りたいと思う。

日本社会は「リスク」を取ることを許容するか?

ひと言に要約するのは難しいが、今の時代に限れば、保守的な傾向になってきているのは事実だと思う。

昨夜のWBSでも紹介されていたが、小学校の児童だったか中学校の生徒だったか約30人に、「将来、社長になりたいか?(起業したいか?)」と質問したところ、「なりたい」と答えた子供は、たったの「1人」だった。

その人数(確率)もさることながら、なりたいと思わない理由が「リスクが大き過ぎる」ということだったことに驚いた。

将来を夢見るはずの「ティーンエイジャー」が、「夢」どころか「リスク」を先に考えているのである。世知辛い世の中とは、こういう時代を言うのだろう。

ところで、先日のエントリーで僕が言った「ナローバンドな生き方」という意味について、説明しようと思う。

仮に、東大法学部を卒業し、三菱商事(三井物産でも住友商事でも伊藤忠でも構わない)に就職し、それなりに仕事をこなし、若手のホープとして期待されつつある28才の男性がいたとしよう。

その彼が、会社を辞めて起業すると言ったら、周囲の人たち、特に「上司」は何と言うだろう?

おそらく、「(起業するのは)止めておけ!!」と言うだろう。

統計的に言えば、起業して4年後の生存確率は「3割」。10年後のそれは「1割未満」である。

お前は、その「1割未満」に入れるのか?そう言いたいのだと思う。

地べたを這いつくばり、泥水をすすりながら努力をし、幸運にも恵まれて、その「1割未満」に入ると、「あいつは運がいいだけだよ」と妬まれ、統計的なマジョリティに入ると「ほらみたことか!!」となり、再チャレンジを支援するどころか「失敗者のレッテル」を貼る。

つまり、物凄い「成功者」も創出しようとしないが、その代わり、物凄い「落伍者」も出さないようにする。

要するに、せっかく「エリート(狭き門)」という「バンド(帯域)」に入ったのだから、その「ナローバンド」内で生きてけというのが、日本社会なのだと思う。

経済合理性だけを考えれば、それは正しい。昨今の資源バブルで潤う総合商社に勤務する40代の方であれば、年収1,700~1,800万円が相場であろう。

あと10年いれば得られるであろう、その「年収」を捨ててまで、君は「1割未満」の可能性に賭けるのか?

そういうことだと思う。

このような考え方は、エリートとは程遠い人間である僕の「僻み」かもしれないが・・・。

因みに、まだ、「はじめに」しか読んでいないが、小沢一郎氏の著書である「日本改造計画」の「はじめに」に、似たようなことが書いてある。