今回の米国出張中、同じ話しを2度聞くことがあった。
それは、日本は「教育に対する投資」が少ないということ。
その話しをしたのは、吉川さんと僕の叔父(日系人)のふたり。
吉川さんの話しは、正確には「伊藤穣一氏(通称 JOI)」が「日本は道路にお金をかけて、肝心の教育にお金をかけない」という話しをしていたということを聞いたということ。
日本の教育投資は、GDP(国内総生産)に対する比率でみると「3.5%」で、「経済協力開発機構(OECD)」各国の平均(5.0%)を下回っている。
また、叔父が言うには、学校教育だけでなく、社会人教育も含めると、米国はGDP比率で「15%」もの金額を「教育」に投資しているという。
もうひとつ、それに関連する話しとして、米国や中国は、旧ソ連が崩壊した直後、仕事にあぶれた「ロシア人の科学者」を、それぞれ「500人」招き入れたそうである。つまり、移民の費用を負担して「頭脳」を輸入したということだ。
それに対して日本は、なんと「1人」だという。
そこにあるのは「恐怖」だろう。
ロシア語は分からない。ロシア人を受け入れて、自分たちの仕事が奪われてしまうのではないか?
本当にそうだろうか?
米国は(おそらく中国も)、旧ソ連が崩壊する「正確な日」まで事前に把握しており、崩壊の翌日に、既に500人にオファーを出したそうである。
ということは、事前にオファーを出す「リスト」を確定していたということだ。
日本には、そういう強かさが足りない。
ところで、日本の道路予算は、1964年以降、GDP比2.0~2.5%で推移してきている。GDPが20兆円台のころも500兆円のころも同じ比率である。
対GDP比率で言えば、教育費が道路建設費を上回っているとは言え、経済の発展に比例して、リニアに道路建設の必要性が増すのだろうか?
経済が「高付加価値化(第三次産業比率が高まる=経済が成熟する)」すれば、その過程で社会インフラ(道路等のハード)は既に整備されており、道路建設費の対GDP比率は自ずと下がるはずである。
随分前のエントリーで、クルマが走らないところに、何十億円もかけて「不必要な高速道路」を建設しているという批判を書いたが、それが「40年間」も続いているということだ。
つい最近、道路特定財源の一般財源化で国会が揉めたが、本当に、そろそろ真剣に「国民の税金」の使い道を考えて欲しい。
しかし、そういう政治家を選出しているのは、他ならぬ「国民」であり、日本をモダナイズしていくためには、国民の「政治経済・行政に関するリテラシー(知識・理解)」を高めるしかない。
すなわち「教育」が大切である。
社会的価値を生み出す源泉は、元を辿れば「人間」である。
その人間に「投資」しない国に、明るい未来はないと思う。
ところで、今日はつい先程まで、NPO法人ETICの山内さんと、弊社の泉谷と僕の3人で、日本の教育問題や行政の在り方について、熱い議論をしていた。
僕は、僕が生まれ育った日本という国が大好きだし、これからも日本が世界的に影響力のある国でいて欲しいと思っている。
そのために、僕にできることは何か?
大きなテーマである。