「原点」に返る。

昨日は、僕がインタースコープ時代に大変お世話になったETICの山内さんと久しぶりにお会いした。

ETICも新たなステージに向けて挑戦をしようとしているらしく、そのことに関して、僕の意見を求められた。多少なりとも役に立ったようであれば嬉しく思う。

ところで、彼との会話の中で、自分の「原点」を思い出すひと言があった。

彼は、僕がインタースコープとしてETICからインターンを受け入れていた理由を今でも憶えており、ETICの事業を説明する際に、いつも、その「言葉」を使っている(紹介してくれている)という。

とても嬉しく、光栄なことだ。

「僕は、27才で初めて会社を設立し、28才になってすぐに起業したが、その当時、どこの馬の骨だか分からない若造に『リスクを取って仕事を発注してくれた人たち』のお陰で、今までやって来れた」。

「その恩返しの意味も含めて、今度は、僕が取れる範囲のリスクを取り、やる気のある学生の方々にチャンスを提供したい」。

そう考えて、インターンのみんなと一緒に仕事をしていたことを思い出した。

山内さんのそのひと言を聞いて、「そういう姿勢を忘れていた」ことに気がついた。

ところで、話は変わるが、先週の実家での法事の際、母が「原点に返れ」という意味だよと言った出来事があった。

僕の実家は、福島県郡山市で、人口34万人の典型的な地方都市だが、それでも日々、変化している。

お墓参りに行くために久しぶりに通った道に信号が付いていたりして、それに気を取られて僕が道を間違えたのだが、一緒だった叔父に、そこからお墓への道案内を頼んだ。

すると、冒険心いっぱい(チャレンジャー)の叔父は、なんと「田んぼの畦道(あぜみち)」に毛が生えたレベルの道をクルマで入っていった。

ケイタイで「大丈夫ですか?」と聞くと「大丈夫だ」との返事があり、僕も仕方なく、叔父の後に続いたが、結局、途中で断念して、元の道に戻った。

しかし、元の道に戻ること自体、とても大変だった。あわや、タイヤが脱輪しそうな状況だった。

何とか無事、一般の道路に戻れた時、母が「原点に返れという仏様の思し召しだよ」と言ったことが、とても印象に残った。

間違ったと思ったら、すぐにその過ちを認めて、「あるべき姿(自分の原点)」に返る。

母の話とETICの山内さんの話とでは趣旨が異なるが、自分の「原点に返る」ということを改めて考えさせられた。