「田町」行きのバス。

首都圏に住む方以外には、何のことだか分からないと思うので、補足説明をしたい。

渋谷駅と「田町駅(山手線の駅)」を結ぶ都営のバスがある。

僕は20代のある半年間、毎朝、そのバスに乗って仕事に行っていた。

ODSという独立系のコンサルティング会社を辞め、外資系の広告代理店に転職した頃だった。

ODSは、青山の骨董通りにあり、周囲にはオシャレなお店が立ち並び、華やいだ場所で仕事をしていたが、転職した外資系の広告代理店は、「魚藍坂(ぎょらんざか)」という、周囲に電車の駅がない、不便な場所にあった。

不便な場所という意味では、西麻布や南青山7丁目あたりも不便なエリアだが、「魚藍坂」は単に不便なだけでなく、正直に言って、みすぼらしいエリアだった。

ODSを辞め、その外資系の広告代理店に転じる際、その選択は正しいものではないと僕の「直感」が訴えていたが、そのままODS(コンサルティング会社)に留まりやっていく自信も持てず、間違っていると知りつつ、転職をしたという経緯があった。

そういう背景が、バスに揺られて通勤しなければいけない不便さを「惨め」に感じさせていて、僕にとって「田町行き」のバスは、未熟だったあの頃の「傷心」の思い出そのものである。

そんな当時の僕を支えてくれたのは、結局は「仕事」だった。

場所がオシャレじゃないだけでなく、自由闊達なODSと違い、歴史と伝統があるワールドワイドの広告代理店は、市場分析においても戦略立案に際しても、独自のメソッドや細かな決め事があり、自由演技と試行錯誤を善しとされて育った僕にとっては、苦痛で苦痛で仕方なかったが、とにかく仕事に専念することで、周囲、特に、上層部が認めてくれて、それなりにおもしろい仕事を担当させてもらっていた。

しかし、個人の裁量の余地が少なく、媒体支配力など、「組織としての力」で仕事をする広告代理店という土壌が肌に合わず、結局、半年ちょっとで退職した。

でも、そのフラストレーションとストレスがなかったら、僕は「起業」していなかったと思う。

また、自分が良いと思ったことを社内で通すことが、どれだけ、どうして大変かとか?役員が朝、僕の机に来て、いきなり仕事を頼まれたり、会議への出席を要請され、苦労をして調整したアポのキャンセルを余儀なくされたりと、硬直した組織で働くことの何たるかを学んだ時期でもあった。

そして、今でも、人生に悩んだ時に相談にのってくれる貴重な「元上司」も得ることができた。

どんな出来事も、最初から意味があるわけではなく、そこに「どんな意味」を見出すか?は、個々人に委ねられている。

そういう意味では、僕にとって「田町行き」のバスは、どんな時も「腐ってはいけない」という「メッセージ」でもある。

「メッセージ」という意味では、石原都知事の政策により、財政再建のための「収入源」のひとつとして、都営バスに「広告」が掲載されるようになってから久しくなる。

話は変わるが、先日、ある投資会社を経営する方の「少子高齢化」の副産物としてプラスの側面もあるという話を聞き、世の中は、常に、多面的に見る必要があることを痛感した。

どんな局面にあっても、「広い視野」と「ポジティブな気持ち」を持てるようになりたいと思う。