なぜ、ベンチャーに元気がなくなったのか?

ここ最近は、子育て等の私生活に関するエントリーが多かったので、今日は久しぶりに「ベンチャー企業」に関することを書いてみたい。

日経ビジネスオンラインに「なぜ、ベンチャーに元気がなくなったのか?」というコラムがあった。

そのテーマに関することで、今日までに計3回のコラムが掲載されており、その内容には僕も概ね同感である。

筆者の主張は、要約すると、

1. 上場がゴールになってしまっており、その時点で疲れ果てているベンチャー企業が少なくない。従って、その後の業績の伸びに勢いがなく、株価も低迷する。

2. 粉飾決算等の不祥事が相次ぎ、投資家のベンチャー離れが加速した。

3. その対応策という趣旨は理解できるが、J-SOX等の大企業向けの「内部統制」を新興市場に上場するベンチャーに適用するのはナンセンス。コーポレートガバナンスは、別の方法で対応できる。

4. ベンチャー行政?に関わる人達が、ベンチャー企業を立ち上げた経験もなく、ベンチャーの実態を知らない。机上の論理になりがち。

5. 10億円程度の売上と、1~2億の利益で上場するのではなく、50~60億円の売上と10億円以上の利益が出るぐらいの体力をつけてから上場した方がよい。

というものである。

3. J-SOX、4. ベンチャーを知らない人がベンチャー行政に関わっている という2点に関しては、特に共感する。

ところで、つい先日、ある方のお誘いで、未上場のベンチャー企業の経営者の集まりに参加した。

但し、その会合に集まったベンチャー企業の経営者は、その殆どが、ベンチャーキャピタルからの出資を受けていない。でも、中には、数十億円規模の売上があると思われる会社の経営者もいた。

自分が創業した会社を「上場」させるというのは、間違いなく「名誉」なことだし、キャピタルゲインというかたちで「富」も手に入れることができ、インタースコープ時代の僕も含めて、ネットベンチャーに関していうと、多くの経営者が「上場」を望んでいた(いる?)と思うが、彼らの場合、必ずしも上場は望んでいないように見受けられた。

マスコミに取り上げられたり、様々な賞を受賞したりということは少ないかもしれないが、見方によっては、彼らのような経営者の方が「実利」は多いとも言える。

殆どの場合、自分とその関係者が株主であり、会社が儲かれば、社員にいくらボーナスをだそうが、自分の役員報酬をいくらにしようが、どんなクルマに乗ろうが、誰かに叩かれることはない。

但し、限られた資金の中で事業を行っていく必要があり、成長のスピードは限定される等、制約もある。

結局は、何を善しとするかである。

話をベンチャーの元気の有無に戻すと、1990年代後半のインターネット黎明期のように、これからの社会を変えるようなテクノロジーが登場し、新興市場も整備され、それによって、VCからリスクマネーが供給されるようになり、その結果、上場して行ったベンチャー企業が多かった時代がいつまでも続くわけはない。

ソフトバンクの孫さん曰く、あの頃は「戦後の原っぱ」のような状況で、先見の明があり且つ実行力がある人たちが、一時代を築いた。

それから約10数年、ネットビジネスもひとつ成熟期を迎えつつあり、画期的なテクノロジーが出現しない限り、あの頃と同じようなことを期待するのは無理がある。

そういう意味では、DeNA、mixi、GREEの御三家は、SNS、モバイル、ゲームという要素を上手く活用し、インターネット初期のビジネスモデルとは異なる収益構造を実現したと言える。

また、インターネットに続くフロンティアとして、「クリーンテック(環境技術)」に注目されているが、それがインターネットと異なるのは、サービス業やコンテンツプロバイダーではなく、「製造業」的なビジネスモデルになりがちだということである。

つまり、多額の「初期投資」が求められ、ネットベンチャーのような形での創業は難しい。

そう考えると、不祥事等による投資家の新興市場離れは別として、ある意味、今の時代環境は当然と言えば当然とも言える。

また、「ベンチャー企業=新興市場に株式公開」という図式を当然と考えるのではなく、ベンチャー企業にも「多様性」があって然るべきと考えてもよいように思う。

因みに、キリンと経営統合しようという「サントリー」も「未公開」である。

ただ、ひとつだけ言えるのは、今の日本社会は、リスクを取った人達が報われる仕組みが脆弱だということである。

そこを何とかできれば、少子高齢化に悩む日本社会であっても、活力が生まれるはずである。

「人参」がなければ、馬車馬は走らない。そして、その「人参」は、人によって異なる。

成熟した社会では、「多様性」が重要である。

追伸:僕が社会に出た1980年代後半は、戦後の高度経済成長期の仕組みが成熟する一方、新しいテクノロジーは出現せず、享楽的・刹那的な雰囲気が漂っていたように思う。その10年後、I.T.革命により、千載一遇のチャンスが訪れたわけだが、そのまた10年後の今の日本社会を見ると、若者の就労意識にも、若い女性の髪型やファッションにも、1980年代後半に通ずるものがあるように思う。何らかの「ブレイクスルー」が必要である。