「愛情」という資本。

アポとアポの合間に、ある駅のネットカフェに入った。厳密に言うと、普通のカフェに「ネット接続」用のパソコンが置いてあるコーナーがあり、その席に座った。

つい数週間前までは、外出時はいつもノートブックを持ち歩いていたが、右肩に負担がかかっていたらしく、ある時から右肩が痛くなり、最近はPCは持ち歩いていない。

急ぎの用件ならケイタイに電話がかかってくるし、身体も頭も、少しスローライフにしてみようと思った。

このエントリーは、その「ネットカフェ」コーナーで書いている。

ところで、今日は、ランチタイムに事業再生やベンチャー投資をしている会社のパートナーの方、その後、つい先日までベンチャーキャピタルの役員をされていた方と久しぶりにお会いした。

それぞれの方との話で記憶に残ったのは、「成長産業」「中長期」「育成」という単語だった。

今の日本には、10数年前にインターネットが出現した時に匹敵するような「成長産業」が見当たらないということと、何かを「育てる」には「時間」が必要であり、その過程で発生する多少の問題にうろたえず、それを受け入れていくことが必要だということ。

そして、中長期的に物事に取り組むためには、育成に携わる人たちの「評価」も中長期的に行う必要があるということ。

日本におけるベンチャー企業を育てるには、中長期的に「新興市場」を育成していくことが欠かせないと、ベンチャーキャピタルの元役員の方は仰っていた。

そう考えると、ドッグ・イヤーと言われたような時代は、そもそも無理があったのかもしれないし、人間、何年も何年も、そんなスピードで働けないのは間違いない。

話は変わるが、フランスの知識人、ジャック・アタリ氏は、自身の著書「21世紀の歴史」の中で「博愛の精神が世界を救う」と語っている。

そこまで崇高な話は別として、親が子供を思うような気持ちで「愛情」を持って物事に取り組めば、大きな成功は無理だとしても、そこに何かがあるような気がする。

そういう意味で「ライフワーク」と言えることがある人は幸せである。