「偏差値」教育。

昨日は、保育園つながりのBBQパーティに出掛けた。

当初は今日の予定だったが、天気が下り坂という予報により、急遽、昨日に繰り上げになった。

僕たちが住んでいるエリアは、場所柄、外国人や国際結婚の家庭が多く、昨日、お招きいただいたお友達のご両親も、国際結婚のカップルである。

ご自宅には、BBQができる小さな庭があり、そこで、スペアリブやハンバーグ、鶏のもも肉、野菜などを、外国人のご主人が焼いてくれた。

彼は、日本に住み始めて11年半。日本語は上手だが、それでも「おしゃべり好き」なママ達の早口とスラングについていくのは難しい。

また、言葉の問題はなかったとしても、共通のテーマが無ければ、会話は成立しない。

そんなことで、庭でひとりBBQをしている彼のところにいき、彼がどういう経緯で日本に来たのか?また、どんな仕事をしているのか?等を聞いていた。

ところで、保育園の子供たちを通して「交流」が生まれたことで、ドラッガーの言う、現代社会には「新たなコミュニティ」が必要だという意味を、身を以て理解できた。

以前、例えば、日本がまだまだ農業社会だった頃は「地域のコミュニティ」というものが機能しており、向こう三軒両隣は勿論、地域の住民のことは、家族構成も職業も、そして、人となりも理解しており、冠婚葬祭に関しては、皆を招き合い、特に、不幸があった時には「隣組」なる組織で手伝っていたが、現代社会では、極々一部の地域を除き、そういったコミュニティは崩壊している。

しかし、人間は、生きていく上での「精神的な拠り所」として「コミュニティ」を必要としており、それは、同じ価値観や境遇でない限り成立しない。

平たく言えば「話が合う(価値観や生活様式が合う)」人たちの輪を、我々人間は求めている、ということだ。

高度経済成長期の日本においては、不文律の「終身雇用」と「年功序列賃金」により、職場がコミュニティの役割を果たしていた時期もあったようだが、今はそれは望むべくも無い。

ところで、だいぶ前置きが長くなったが、昨日のエントリー「落ちこぼれ」の続きを書きたいと思う。テーマも「落ちこぼれ」というものを追加した。

さて、念願叶って安積高校に入学したはいいものの、僕は学校にも学業にも馴染めず、いわゆる「落ちこぼれ」になっていった。

そんなことは最初から分かっていただろうと言われてしまいそうだが、一年浪人イコール義務教育でいえば一年下の人間と同学年になるわけで、儒教的価値観でいうところの「年齢(自分は一歳年上)」が邪魔して、どうしても、クラスメイトと仲良くなれなかった。

それはまだ良い方で、僕にとって最大の問題は、進学校=「偏差値がすべて」という教育方針にあった。

さらに言えば、それは安積高校に限ったことではなく、進学校に共通の価値観であり、日本の教育方針として「当たり前」のことだった。

冷静に考えれば、16歳の頭でも、事前に分かっていたリスクだったが、しかし、それに気づいていたとしても、当時の僕には、一度入った高校を中退し、もう一度、安積高校を受験すること以外の選択肢は、選べなかったと思う。

話は変わるが、僕は中学1年生で初めて「英語」の授業を受けた時、「世の中にこんなにおもしろいものがあったのか?」と思ったほど、英語が好きになった。

中学2年生までは、単語は予習も復習もせず、すべて一発で憶えたほど英語が得意だったし好きだったが、安積高校入学後は、「古文」の「先生」のお陰?で、その英語も含めて、勉強意欲を無くしてしまった。

最近の高校がどういうシステムになっているかは知らないが、当時は、模擬試験なるものがあり、福島県内では、僕が入学した安積高校と福島高校、いわき高校という3つの高校が「偏差値」のトップを争っていた。

僕らのクラスの「古文」を担当していた「橋本祐一郎」という先生は、偏差値の総合順位で他の2校に負けたとしても「古文・漢文」で負けることは許さないという方針?の持ち主で、成績の悪い生徒には「追試」、その追試も成績が悪いと「追追試」、それでも悪いと「追追追試」と、彼の設定するハードルをクリアするまで延々と「追試」が続くという、さながら「追試地獄」のような制度?があった。

何かひとつ嫌なことがあるとすべてが嫌になってしまう性格の僕は(イマチュアと言われてしまえば、それまでだが)、そのお陰で「勉強」のすべてが嫌になった。

それでも、その先生に、生徒への「愛情」が感じられれば僕の反応も違ったかもしれないが、彼は、自分の「プライド」のために、出来の悪い生徒に追試を課しているとしか思えなかった。

「愛情」という欠片も、僕には伝わって来なかった。

そんなことで、入学当時は、432人中、150番ぐらいだった成績は、ストップ安を繰り返し、最後は、380番とか、420番とかまで落ちていった。

そもそも人間は誰でも得意、不得意があり、英語が得意な人もいれば、数学が得意な人もいるわけで、その生徒の「得意なこと、好きなこと」を伸ばしてあげるのが、本来の教育だと僕は思う。

今この瞬間に、橋本先生が僕の目の前にいたら、ロジックで反論する自信があるが、当時の僕は、勉強を放棄し、彼が僕に「追試」を受けさせる「戦意」を喪失させる戦略?をとることでしか、抵抗することができなかった。

そんな僕にとって唯一の救いは、「バンド」だった。

そのバンドも、自ら企画したコンサートを、学校側の圧力により、開催当日、中止させられた。

「おカネ」を取ることと、人が集まると何か問題が起こるかもしれない・・・(しれない、というだけで中止である!事なかれ主義、ここに極まれり)というのが、学校側の理由だった。

そのバンドは、その後、間もなく解散したが、僕はそんな「圧力」にメゲズ、しばらくして、新しいバンドを結成した。

「カネを取るのがダメだというなら、無料でやればいいんだろう?」ということで、会場費も機材費も含めて、すべてバンドのメンバーで負担して、遂に、コンサートを開催した。

17歳の少年の「権力に対するささやかな反抗(犯行?)」だった。

もちろん、学校側はそのことを知っていたが、「無料」ということで、さすがに「文句(中止させること)」は言えなかったらしい。

そんな高校生活を送っていた。