「子供の心」に生き続ける「言葉」。

昨夜は子供を寝かしつけたまま眠ってしまい、先程、1時半頃、起きてきた。

ところで、昨日の午前中、GWを挟んで約10日ぶりに耳鼻科に行ったが、アルコールのドクターストップは解除されず、会食の予定でいっぱいの来週もソフトドリンクで我慢。

でも、お酒を飲んで週4日の会食は僕の肝臓にはtoo muchで、「人間万事塞翁が馬」ってことだろう。

さて、今日は、ここ最近、目に留まった言葉を書いておきたいと思う。

日経新聞に「私の履歴書」というコーナーがあるが、今月は演劇研究家の河竹登志夫氏。

僕は河竹氏のことは存じ上げなかったが、たまたま読んだ連載4回目に、彼の母親の躾のことが書いてあった。

河竹氏が幼少の頃、諸事情があり、お手伝いさんがいたらしいが、お手伝いさんに乱暴な口を利いたところ、「あの人たちは働いて自分でお金を稼いでいるのだから、あんたよりえらいんですよ」と母親にひどく叱られたという。そして「この母の一言は、子供心に強く響き、しみ入った」と書いている。

それを読んで自分の母親(産みの母)のことを思い出した。

僕の母は小学校の教師をしていたが、僕がまだ未就学の頃、バスに乗っていた時に「あなたはお金を払っていないのだから、座ってはいけません。立っていなさい」と言われたことが今も鮮明に記憶に残っている。

子供ながらに「なるほどな・・・」と思い、それ以来、その言葉を忘れたことはない。

そんなこともあり、僕たちの子供にもその躾を実践している。

座るときは、僕か妻の膝の上だ。

また、河竹氏はご自分の母親のことに続けて、その頃に読んだリンカーン大統領の逸話を紹介している。

リンカーンが自分の靴を磨いていると執事が、「大統領ともあろう方がそんな賤しいことを・・・」と咎めると、リンカーンは静かに「いや、世の中には賤しい職業というものはない。賤しい人間がいるだけだ」と諭したという。

さて、氏のそんなエピソードを読み返しながら、昨日はドリームゲートのオフィスを訪ね、とあるMTGをした。

ドリームゲートのオフイスには、たくさんの起業家や経営者の方の「寄せ書き」がある「大挑戦者祭」というイベントのポスターが貼ってあるが、その「真ん中」に「田坂広志さん」の「言葉」が書いてあった。

そのポスターや寄せ書きのことは以前から知っていたが、なぜか、その「真ん中」に書いてある田坂さんの言葉に気づいたのは、昨日が初めてだった。

あるいは、読んではいたものの、憶えていなかったのかもしれない。気づかないはずはないので、その可能性が高いだろう。

そこには「高き頂をめざし最高の登山を 田坂広志」と書いてある。

$シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」

「頂」と言えば、昨年の秋、僕が精神的にとても辛かった時に読んだスペンサー・ジョンソンの「頂きはどこにある?」を思い出した。

ちょっとしたひと言に救われたことが何度もある。

その言葉に出会ったという事実以外、自分の人生に何の変化もないのに、たったひと言で人生が変わったり、勇気や元気をもらうことがある。

自分が亡くなった後も子供の心に生き続ける「言葉」をどれだけ残せるか?

それが親の「責任」であり「仕事」かもしれない。