「首相」は「選挙の看板」か?

鳩山首相が辞意を表明した。

因みに僕は、Twitterでその事実を知った。

今日のエントリーは「法人税率と国民感情」というテーマで書くつもりだったが、思いがけない展開に、内容を変えることにした。

昨日のエントリーで「事実追求」という「百度(Baidu)」のカルチャーと、その解説文である「事実は傾きが生じるものであるが、常に『事実の根源』に戻ろうとする。すなわちそれは、事実を求めるために」という文章を紹介したが、今回の「首相辞任」という「事実の根源」は何だろう?

マスコミの報道のとおり、鳩山首相のままでは「参院選」に「勝てない」からというのが「事実の根源」だとすれば、選挙に勝てるのであれば「首相は誰でも構わない」ということになる。

政策でも理念でも国のためでもなく、「自分の当選のために首相を選ぶ」のだとすれば、あまりに有権者を蔑ろにしているとしか言いようがない。

鳩山首相率いる民主党では選挙に勝てないというのなら、民主党を離党して「無所属」で出るというのはどうだろう?

それこそ、誰に気兼ねすることなく、自分の「理念」や「政策」を訴えられる。

僕は鳩山首相を支持していたわけではないし、鳩山首相の指導力には問題が多々あったと思うが、自分達が所属する組織の長を尊敬できなければ、その組織は上手くいく筈がない。

選挙に勝たなければ理念も政策も実現できないという「現実」は分かるが、それにしても「首相は選挙の看板ではない」はずだ。

「寄り合い所帯」である民主党の求心力は「政権を獲る」だけだったわけで、そもそも共通の「理念」や「政策」があったのか?という問題もある。

ところで、ある人がTwitterで「国民がバカだから、首相がコロコロ変わるんだよ」と書いていたが、そのとおりかもしれない。

僕ももっともっと社会に関心を持ち、世の中を良い方向に変えることに繋がる発言ができるよう、勉強を続けたい。