「心はいつもサレンダー、人生緩やかに流浪していきたい」。

今日は「えびばで号」なる一風変わった会社名のベンチャーを訪問した。

名前の由来は「Everybody Go!」。

一瞬、ギャグかよ?という感じの社名だが、経営しているのは、とてもマジメな熱い人達である。

社長の土屋さんはSFC出身(厳密には、4年生で中退!)で、その風貌に似つかわしくない?インテリジェンスの持ち主である。

アポのきっかけは、同社の創業メンバーのひとりである大西さんが僕のブログを読んでくれ、僕と土屋さんは価値観がとても似ていると思ってメールをくれたことだった。

ところで、iPhoneでGoogle Map を見ながら彼らのオフィスに向かう途中、ちょうど彼らのオフィス近辺に差し掛かった時、僕たち家族が住むマンションの開発会社から電話があった。

トイレの水道蛇口の横が、ちょうど壁紙の「張り合わせ」になっており、数ヶ月前から壁紙が剥がれてきており、施工を担当したゼネコン経由で、そのクレームをつけていた。

僕の常識では、「蛇口の横」に「壁紙の張り合わせ」をもってくるというのは、どう考えても「購入者(顧客)」のことを考えていないとしか思えない。

だって、手を洗う度に「壁紙の張り合わせ」のところに「水がかかる」わけであり、そんなことは、ちょっと考えれば(考えな���ても)分かることである。

実は、たまたま別件の「定期点検」で「ゼネコン」の方がいらしたので、状況を確認してもらったところ、「自分ではどういう対応をすればよいか判断ができないので、上司に確認して連絡をします」とのことだった。

しかし、一週間が過ぎても電話がないので僕から電話をしたところ、販売会社と言ったか、ディベロッパーと言ったかは覚えていないが、既に「連絡をしてある」という。

それこそ「僕の常識」では、偶然とはいうものの「自分が窓口」になっているわけで、自分から「これこれこういう対応をしましたので、これこれの方から連絡がいくと思います」という連絡をするのが筋だろうと思うのだが、そうではないらしい。

因みに、僕らが住んでいるマンションは、旧財閥系の大手ディベロッパーが建てたものだが、今回の件に限らず、対応が酷い。

とにかく、対応が「遅い」。

マンションの場合、「開発会社(ディベロッパー)」→「ゼネコン(建築施工)」→「子会社の販売会社」→「孫会社の管理会社」という「重層構造」になっており、その「バリューチェーン」の「頂点」に立つ「開発会社(ディベロッパー)」としては、とにかく「手離れ」をよくしたいのだろう。

また、バリューチェーンを構成する各社が、「責任」を取りたくない(面倒を引き受けたくない)のだろう。

いつもこうである。

僕が「蛇口横に壁紙の張り合わせを持ってくる」ということ自体が「常識では考えられない(僕らだって、壁紙が剥がれてきて初めてそのことに気がついた)」ので、とにかく「修理」して欲しいと言ったところ、「保証期間の2年を過ぎていますから、それは出来ません」のひと言だった。

現場を「確認」もせずにである。

尚かつ、「我々は壁紙の張り合わせの位置の指定はしていない(ゼネコンの判断でやったことであり、我々の責任ではない)」という。

そんな細かな指示を出すわけがないのは当然である。

でも、自分達が発注したゼネコンの仕事は、発注主の責任ではないだろうか?

クルマであれば、こちらからディーラーに持って行くことができるが、「マンション」はそういうわけにはいかないのである。

クルマより「一桁」多い金額のマンションを買っているにも関わらず、現場を確認しようともしない。

「企業のブランド」に「胡座(あぐら)」をかいているとしか思えない。

「競合」にあたる他の旧財閥系だったら、対応が違ったのでは?という淡い期待もある。

ところで、僕に電話をかけてきた方は、声の感じから50代半ばと思われる男性だった。

彼と話しても埒があかないと思ったので、彼の「上司」の名前を聞き、その方に直談判をさせてもらうと言って電話を切ったが、今回の件に関しては、実のところ、僕はもう諦めている。

それだけのエネルギーをかけてまでクレームをつけること自体がバカバカしいと思ったからである。

僕に電話をかけていた男性は「一流大学」を出て「一流企業」に入ったにも関わらず、50代半ばにもなって、こんな「壁紙一枚」のことでの「クレーム」対応をさせられて・・・と思っている「気の毒な人」なのだろうと思った方が、僕の「精神衛生上」はもとより、彼の「精神衛生上」もいいわけであり、「無駄な努力」は止めた方がいい、と思うことにした。

その方の「上司」にあたる方には電話をしようと思うが、今回はそこで止めておこうと思っている。

ところで、今日のエントリーは、こんな「下らない事」を書きたいわけではない。

「えびばで号」なるベンチャーのオフィスを後にして、地下鉄の駅に向かう途中、「BIG ISSUE(日本版)」販売員の男性と遭遇した。

その瞬間、「渋谷南口に立っている、いつものあのオジさんから買ってあげたいな(彼に悪いかな・・・)」と思い、その場を通り過ぎようとしたが、いつ渋谷南口に行くかも分からないし、何となく気になって、今日初めて会った彼から、最新号を買った。

ページを捲るとリレーインタビューというコーナーに俳優の「三上博史さん」が出ていた。

僕と同い年であり、彼(僕)が20代の頃から気になる俳優のひとりだった。

その彼のインタビュー記事の冒頭に、こんなことが書いてあった。

「転機なのかよくわからないけれど、40歳を過ぎた頃から、人生流れのままにゆだねようって考えるようになってきたんですよ。人生、自分で切り拓くなんて、実は幻想に過ぎなくて、素直に流れに従った方がいいんじゃないかってね。

 これって、かつての自分とは真逆の考え方。若い時はとにかくゴリゴリしてて、人生はすべて自分の責任で、世の中には黒と白、成功と失敗しかない。やりたいことやほしいものは、自分で手に入れるーそのためなら何でもするっていう勢いでしたからね。それが空回りしてうまくいかないことも多かったですよ」。

また、俳優として最初に仕事をした寺山修司さんに、あることで愚痴をこぼした時、「何もすることないんだろう、だったらやってみろよ」と言われたことの意味が、今になってよくわかるという。

「世の中、結末なんて誰にもわからない。予期せぬ人が現れたり、はかり知れないことが起こるかもしれない。あるいは何も起こらないかもしれないーよいことも悪いことも、すべては人間の意思を超えたところで起こるんですね。やれるだけやったら後は流れに従って天命を待つだけ。結局、最後はゆだねる。サレンダーしかない」。

「心はいつもサレンダー、人生緩やかに流浪していきたい」。

因みに、英語で「Surrender」は「降伏・降参」の意味だが、三上さんにとっては「自分のとらわれている価値観を一度明け渡し、流れに身を任せる感じに近いかな」ということらしい。

ドラッガーの言う「予期せぬ成功」に通ずるものがあるかもしれない。

彼のインタビュー記事が載っているとは知らずに買った「BIG ISSUE」もね・・・。