「日本人の貯蓄率」と「国債発行原資」。

今日は、大学院時代の恩師のご自宅での新年会があるとかで、昼過ぎから妻が外出し、その後は、僕と子供とふたり。

昼前はひとりで機嫌良く遊んでいた5歳児もだんだんと飽きて来て、妻が外出する前あたりから「お父さん、何かしよう?」とせがんでくるようになった。

妻を見送った後、近所の公園に行くと、保育園で一緒の友達に会う。

年末にインフルエンザに罹り、治った後は僕の実家に帰省と、体力が消耗し、尚かつ、新幹線での移動で疲れているのだろう。暫く遊ぶと、珍しく自分から「お家に帰る」と言い出した。

公園を出た後、人影まばらな銀行のATMコーナーに寄り、夕食の買い物をして家に帰ると、ソファーで眠ってしまった。

さて、元日のエントリーで、今年は「数字」にまつわるコラムを書くと書いたが、今日は「貯蓄率」に関する話。

ひと頃まで、日本人は勤勉で尚かつ「貯蓄率」が高いというのが通説だったが、その構造は過去の話である。

1990年代までは「10%」以上をキープしていた「家計純貯蓄率」は2000年を境に減少し、2008年には「約3%」まで低下。

因みに、この数字は、かの「イタリア(約9%)」よりも低い。

では、その理由はさておき、貯蓄率の低下は、一国の経済にとってどのような意味を持つのだろうか?

ひとつは、「国債の購入原資」が「枯渇」する(詳細は、野口悠紀雄氏のコラムを参照されたし)。

国債の殆どは「金融機関」経由で購入されているが、その「原資」は国民の「預貯金」いわゆる「個人金融資産」である。

貯蓄率が低下するということは、国債購入原資の「個人金融資産」が増えないことを意味するが、金融機関はどうするか?というと、企業(それ以外もある)への「貸出」を「削減」する。

因みに、1996年から2006年までの10年間に「国債と地方債」と合わせて「382兆円(GDPは約450兆円)」が発行されているが、その間、「金融機関の貸出」は「207兆円」減少している一方、「株式以外の証券(国債と地方債)」は「約300兆円」増えている。

つまり、国民から集めた「預貯金」を「企業」に貸して「金利」収入を得ていたものを引き揚げ、その分を「国債購入」に洗い替えする(した)ということだ。

尚、金融機関の貸出残高「700兆円(2009年)」の内、160兆円は「住宅ローン」であり(この引き揚げは事実上、不可能だろう)、企業への貸出残高は「540兆円」となる。

リーマンショック後、急速に増大した国債と地方債の発行額(約60兆円)が継続した場合、あと「9年」で「引き揚げる原資」も「枯渇」する。

これは「理論上」の話であり、実際には「貸出をゼロ」にするのは「不可能」だろう。

となると、国内での国債消化は困難になり、長期金利が「上昇」。つまり、国債が「暴落」=「金融機関の資産(保有国債の価格)が悪化(目減り)する」ことになり、金融危機を招くことになり兼ねない。

では、国債を「海外に販売」すればいいじゃないか?というと、そのような財政状況の「日本国債」の格付けは「ジャンク」だろうから、額面通りでは買ってもらえず、やはり「暴落」。

となると、円高改め「円安」となり、インフレとなる可能性は極めて高い。

分かりやすく、仮に、額面1ドル(1ドル=100円として)が、50セントでないと買ってもらえない場合、1ドル=200円になる。

因みに、時価総額でソニーやパナソニックを大きく上回るサムソンの母国「韓国」は、タイに端を発した1997年の「アジア通貨危機」の影響を受け、国家財政の破綻寸前まで行き、IMF(国際通貨基金)が介入する事態に陥ったが、その後、経済は回復。

現在の失業率は、日本よりも低い(2010年@韓国:3%強 v.s. 日本:5%強)。

この「歴史的事実」から何を読み取るべきか?

[世] [画像] - 失業率の推移(1980~2010年)の比較(韓国、日本)