小川先生のブログ。

新しい年が始まって今日で一週間。日本社会はそろそろ正月気分が抜けた頃だろうか?

さて、昨日は昼前から、法政大学大学院(イノマネ)で担当させていただいている学生の方々の修士論文の指導があった。

とは言っても、今年度は僕は副査なので、小川先生の指導に同席させていただき、来年度のための「予習」をさせてもらっている。

昨日は、計4人の方の論文指導があったが、テーマの選定は勿論、論文の構成や文章にそれぞれの個性が如実に表れる。

ところで、論文指導の合間に小川先生と雑談をしていたこともあり、昨晩は、改めて小川先生のブログを読んでいた。

ブログのテーマはもちろん、文体も含めてとてもおもしろく、読んでいて勉強になるのだが、その中でも、2つのエントリーが印象的だった。

この先の2~3年間は、事業の継承に時間を投入します。
退出のルールと組織のモラル:法政大学駅伝部は、ふたたび箱根の坂を登っていくことができるか?

実は、僕がインタースコープを退任するという挨拶メール(一斉配信メール)を送った時、一番最初に電話を下さったのが小川先生だった。

実際には、2番目か3番目だったかもしれないし、何人かのベンチャー仲間も電話をくれたが、僕の記憶に最も強く残っているのが小川先生だった。

たぶん、こうして仕事でお世話になっているから、そう記憶してしまっているのだろうが、その時以外でも、例えば、僕が「失意のどん底」にいた2009年の夏も、何でこういう絶妙な時に・・・というタイミングで電話をかけてくる方なのだ。

実際、小川先生に拾ってもらったようなものである。

ところで、インタースコープ共同創業者の山川さんに勧められて読んでいる「いまこそ、ケインズとシュンペーターに学べ(著:吉川洋氏、ダイヤモンド社)」を読んでいて、その内容とはまったく関係ないのだが、小中学校と一緒だった「佐藤禎久」君(当時は、よっちゃんと呼んでいた)のことを思い出した。

彼とは一緒にバンドを組んだりと、かなり親しくしていたが、いつも相談にのってもらうのは僕の方だった。

彼の部屋についても、なかなか本題を切り出せない僕をせつくわけでもなく、いつも雑談に付き合ってくれていた。

いい加減、アイス・ブレイキング(緊張を解き解す)は終わっただろう?というタイミングまで待った上で、「ところで、相談って何?」というふうに、話を切り出してくれた。

もうひとり、「佐藤直浩」君(なおくろとか呼んでいた)という親友がいたが、そう言えば、彼は、法政大学だった(と思う)。

彼は非常に優秀な奴で、尚かつ、高給取りなバイトをしていたこともあり、金欠になると、彼が住んでいた「和敬塾」という学生寮まで借金に行っていた。

こうして思い出しながら書いてみると、なんとも情けない少年時代と学生時代を送っていた人間だったということが分かり、少々情けなくなる。

ある時から、そのことには気づいていたが、要するに、さんざん他人の世話になって生きてきた人間だということだ。

「言うは易し、行うは難し」だが、これからは、少しは人の役に立てる人間になりたいと思う。

さて、そろそろ山川さんの「誕生日会」に出掛けるとしよう。