ディープインパクト

特に競馬が好きなわけでもない僕は、その名前は知っていたが、ディープインパクトがどれだけ素晴らしい馬であるか、そのことは知らなかった。

実は昨夜遅く、悠生が39.3度の熱を出し尚かつ吐いてしまったので、広尾の日赤医療センターの救急外来に連れていった。レントゲンを撮り、血液検査をしたところ、軽い肺炎を起こしているとのことだった。

検査結果を待っている間、待合室にあったテレビで「ディープインパクト」の特集番組が放映されていた。

残念ながら病院の待合室なので時間制限で途中でテレビが消されてしまったが、僕は、その番組をみて初めて、ディープインパクトがどれだけ凄い馬かということを知った。

そして、騎手である武豊氏のコメントを聞きながら、背中に身震いを覚えた。武豊氏は「久しぶりに凄い馬に出会った」と言っていた。

武豊氏がディープインパクトに跨がり、どこは守るのか? どこで攻めるのか?の指示を出すその映像をみていて、人間と馬が一体となっていることに強い感動を覚え、涙が出て来た。

お互いの体温を感じながら、きっと両者にしか分からない「信頼関係」で結ばれており、その信頼関係があってこそ、大きな結果を出せるのだろうと思った。

だからこそ、人々は競馬場に通い、才能あふれる馬を応援するのだろう。

たしかに、ギャンブルとしての勝ち負けがあるのは事実として、でも、それだけではない「ロマン」を感じた。

法政大学ビジネススクールと共同で運営しているオープン講座にグロービスの小林さんにゲスト講師として来て頂いた時、ベンチャーキャピタリストのモチベーションや楽しみは、才能豊かな起業家達と仕事をすることによる「刺激」だと言っていたことにも通じるような気がする。

ある米国の著名なキャピタリストが、そんな青臭いことはどうでもよく、純粋に「儲かるかどうかだけだ」と言っていたそうだが、僕はそういう人には共感しない。仮に、何百億円、何千億円を稼いでいるとしても。

一度もヨーロッパ(の馬)から出たことのない「凱旋門賞」を、何とかディープインパクトに取って欲しいと願い、何千人もの人がフランスに行き、その目で「奇跡の瞬間」を捉えようとしたという。

そういう「夢」や「ロマン」の素晴らしさを、大切にしていこうと思う。いくつになっても。

「相模原の中学校」での授業と「慶応大学ビジネススクール」での講義。

今日はこれから、タイトルのとおり、ダブルヘッダーでの講義がある。

相模原の中学校での授業は実現しかかったことがあるが、キャンセルになった経緯がある。今回は、別の中学校からの依頼である。あるNPOの方がコーディネイトをして下さっている。

大学や大学院での「講義」は何度か経験しているし、僕に依頼が来るのは「起業」をテーマにしたものが多いので、自分自身の経験を踏まえて話しをすればよく、それほど大変なことではない。

しかし、中学校の「授業」となると、さすがに勝手が分からず、少々緊張している。

今の子供達はとても現実的で「夢は夢、現実は現実」と割り切っている傾向があるらしく、その彼らに対して、強く想い続ければ(もちろん行動を伴って)「夢は叶う」ものだということを、数々の「失敗談」を交えて、熱く訴えて欲しいとリクエストされている。

そういうことであれば、自分自身の「挫折経験」をもとに、何故、頑張り続けてこれたか?(いるか?)について話せばよく、やはり、地で行くのが良さそうである。

ところで、英語で「Diversification(多様化)」という言葉がある。

僕が20代の頃に働いていたコンサルティング会社では、長年に渡り「日本人の価値観分析」を行っており、これからの日本社会は価値観の多様化が進むということをクライアントに言い続けていた。

当時の議論は「多様化する消費生活」に対して、企業として、どのように対応すべきか?(コンシューマ・マーケティング)というものだったが、ようやく、「生き方やキャリアデザイン」という領域においても「Diversification(多様化)」が起きつつあると感じている。

そして、今、中学生や高校生の彼らにこそ、そのことをよく理解して欲しい(必要がある)ということだろう。

父親歴「1年」の未熟者ではあるが、未来の日本社会、そして、世界を担う10代の彼らに対して、少しでも「勇気と自信(Dream & Vision)」を持つ「きっかけ」を提供できれば幸せである。

オプトの鉢嶺氏から学んだこと。

元アップルコンピュータの前刀さん(元祖ライブドアの創業者でもある)のセッションを皮切りに始まった法政大学ビジネススクールとのオープン講座も、先日で第4回目となった。

先日(9/25)は、ゲストにオプトの鉢嶺氏を招いた。

最初に鉢嶺氏に30分ほど話しをしてもらった後、僕がナビゲーターとなり、予め受講生の方々から頂いていた質問をもとにQ&Aのセッションを行った。

彼とは12~13年来の付き合いであるが、このようなフォーマルな場所で彼の話しを聴くのは初めてのことであり、多くの「気づき」をもらうことができた。

彼は努力家であり、とても誠実な人である。

JASDAQの公開企業となり、500人の従業員を抱える企業の社長となった今でも、決して奢り高ぶることもなく、謙虚な姿勢を失っていない。

その鉢嶺氏とQ&Aセッションをする中で、僕は、彼が成功した要因は「自分という人間をよく知っていること」「適材適所の経営チームをつくってきたこと」「社会に対する感謝と還元を忘れないこと」ではないかと思った。

JASDAQ公開企業の社長となり、2年半も経てば当たり前なのかもしれないが、先日の彼には「凛」とした空気と「毅然」とした表情が漂っていた。

そして、「迷い」や「ブレ」がなく、「芯」が通っていると感じた。

彼が株式公開を実現できて、僕がインタースコープでそれを実現できなかった理由、つまり、彼と僕とを分かつものは、その点だと思った。

「自分を知ること」や「社会に対する感謝と還元」という点では、彼に勝りはしないものの、それほど大きく劣るとは思わないが、「迷い」や「ブレ」がなく、「芯」が通っていたか?と自分に問えば、そうとは言えない自分があった。

ドリームビジョンでは、過去の自分を超えていきたい。

上杉謙信と武田信玄

僕は歴史は全く詳しくないが、上杉謙信と武田信玄の話しで、とても共感を覚えた話しがある。

武田信玄の領土は甲州や信州だったため、「塩」は他の領主(領土)から「輸入」する必要があった。

信玄が塩を「輸入」していたところは、今川氏と北条氏が統治している領土だったらしいが、ある時、彼らは信玄の領土に塩を「輸出」することをストップしてしまったらしい。

そのことを伝え聞いた上杉謙信は、「武将というもの、戦場で雌雄を決するのがあるべき姿であり、塩を送ることを止めた今川氏と北条氏は卑怯である」と言って、宿敵の武田信玄が統治する領土に塩を共有したという。

話しはちょっと異なるが、インターネットリサーチの黎明期に、インフォプラントの大谷さんと僕とで発起人となり、業界全体の発展に寄与するべく、インターネットリサーチ研究会という組織を設立した。

そこで、ビジネス上の競合関係を超えて業界全体の利益を考え、様々な活動をしてきたが、そのことが結局は、インフォプラントにもインタースコープにも利益をもたらしたと思う。

その逆のパターンが「談合」であろう。

常に「大局観」を持ち、フェアな勝負をしたいと思う。

将来に対する希望と不安。

「なお」という名前で僕のブログにコメントをくれた大学生の方がいる。

(おそらく)彼女は、「自分のしたいことがみえてこないです。将来が不安でたまりません」とコメントをしていたが、僕も学生の頃、そして、社会に出た直後の頃、自分の将来に対して「漠然とした不安」を抱いていた。

何故だか分からないが、先程、家の掃除をしていて、ふっとその当時のことを思い出した。

では、何故、当時の自分は、自分の将来について「具体的」な不安ではなく、「漠然」とした不安を抱いていたのか? そのことを考えてみた。

今の日本において、生活していくお金が稼げずに「路頭に迷う」ということはあり得ない。つまり、身体的あるいは精神的なハンディキャップを持っていて働くことが出来ないというような事情がない限り、「路頭に迷うことすらできない」のが今の日本社会である。

では、それにも関らず、何故、僕は「漠然」とした不安を抱いていたのか?

それは、「自分らしく生きていく」ことが出来るのか?ということに、自信が持てなかったからだと思う。

ただ単に、世間並みの生活をするのは難しいことではないと思うが、「自分らしい生き方」をするにはどうすればいいのか?それが分からなかったのである。

では、どうすれば、「自分らしい生き方」ができるのか? 大きく「2つの論点」があると思う。

ひとつは、「自分を知ること」。
自分が何をしている時に「楽しい・嬉しい」と思い、自分の「存在意義」や「幸せ」を感じるか? 平たく言えば、自己分析である。

もうひとつは、そういう自分の特性は、どんな「職業や仕事で活かせるか?」を知ること。
そのためには、世の中にどんな職業があり、どんな仕事があるのか?を、具体的に知る必要がある。
これこそ、先日の「職業講話(中学での授業)」に通ずる話しであり、村上龍さんの「13歳のハローワーク」である。

若いうちにこれが出来る人は、なかなかいないということだろう。

では、どうすれば、上記2つが出来るか?

後者は次の機会に譲るとして、前者に関しては、学生の方々や20代の方々と話す度に、とにかく、自分が好きなことは何か?何をしている時に「楽しい・嬉しい」という「感情」が沸き上がってくるか?そして、それは「何故か?」ということに目を向けて欲しいと言っている。

恥ずかしいのを承知の上で、僕自身のこと話すと、中学の頃から音楽を始めて、大学1年生の頃まではミュージシャンになりたいと思っていた。音楽の才能がないと悟った後は、劇団のオーディションに応募して、俳優を目指したりしていた(300人中5人しか受からないオーディションに合格した!!!)。

でも、そのいずれに対しても「リスク(夢が実現しなかった時のハンディキャップ)を取る(覚悟する)」ほどの「勇気」はなかったし、そこまでしてやりたいことではなかったということだ。

しかし、それらの経験により、僕は仕事を通じて「自己表現」をしたい人間であり、自分が思っていることや自分のアイディアを「社会に提案し、具現化したい」と思っている人間だということを知った。これはとても大きな学びだったと思う。

今日はこの後、インタースコープ創業の頃からお世話になっているETICのイベントにお招き頂いて、学生のうちにベンチャー企業でインターンをすることの意味(価値)について、話しをさせて頂くことになっている。

昔の自分を思い出しながら、学生の方々にとって、少しでも有意義な話しができればと思う。

低リスク&高リターン?

そんな話しがあるか?と思う方が多いと思うが、見方によっては、一定条件を満たすサラリーマンは「低リスク&高リターン」と言えるかもしれない。