自分が受け取れるものは、自分の器以上にはならない。

今朝は久しぶりに子供を保育園に送り、帰り道にあるスタバに立ち寄った。

幸運にもお気に入りの席が空いており、そこに座ると、この前、来た時にも聴いたバーバラ・ストライザンドの曲が流れていた。

Shazamという、流れている曲を聴き取り、何という曲かを教えてくれるアプリで、彼女の曲だということを知った。

ところで、年間100冊という無謀な読書目標を立てたことは以前のエントリーで書いたが、1月に読めたのは「2冊」。

時間を捻出することが如何に大変かを痛感する。

現在読書中なのは「イノベーションへの解」。

とても勉強になる本である。

もっと早くに読んでいれば…とも思うが、仮にそうだったとしても、理解力が伴ったかどうかは分からない。

事実として、2年前、自宅にあったドラッカーの本を読もうと思った時、途中までとはいえ、まさか以前に読んだことがあったとは考えてもみなかった。

読んだどころか、ご丁寧に「マーカー」までひいてあった。

スポーツで技術を磨きたければ、まずは基礎体力をつける必要があるのと同じで、仕事や勉強においても、基本的な能力が無ければ、得るものは少ないということだ。

実務を経験した後ではバカバカしくて勉強できないものもあるが、実務を経験していないと、その本質(意味)を理解できないこともある。

「リカレントな教育(学習)」が必要な所以である。

特に、職業人としての寿命の方が、今の自分が所属している組織や産業のそれよりも長くなった今日においては…。

iPhoneからの投稿

指導者の責任:サッカー日本代表の本田選手は変わったのか?

土曜日はサッカーを諦めて24時前には就寝したが、日曜日の朝も疲れが残っていた。

日曜日は午後から友人夫妻が遊びに来ることになっており、それまでに少しでも体力を回復させようと、子供と遊びつつも断片的に仮眠をした。

そんなことで、書きかけのエントリーをアップできず、今日のエントリーはその「続き」である。

「準備不足では試合に勝てない」という話だが、20代の頃の僕は、一生懸命、仕事に打ち込んでいたし、危機感が無かったわけではない。

むしろ、危機感はあった。

平たく言えばバカだったということだが、どうすれば試合に勝てるのか?どんな準備をすればいいのか?それが分からなかった。

もっと言えば(事の本質は)、自分は「どの試合に出たらいいのか?」が分からなかった。

同じ環境で育っても、きちんと自分の「価値観」を「自覚」することができ、「自分を生かせる職業」に就いている人もいるわけで、周囲や他人に責任を転嫁してはいけないが、僕の場合、それが出来なかったということだ。

それは、それまでの僕が、自分の「良さ」を活かして何かを達成する(達成感や充実感を得ること)という「成功体験」を積んで来れなかったことが原因だったと思う。

勿論、単発というか、瞬間的な成功体験は経験してきていたが、永続的というか、これでやっていけば大丈夫だと思えるレベルにまで至っていなかった。

以前にも書いたことがあるが、僕は「教育」というものは、「相手の人生」を考えて施すものだと思っている。

同じサッカー選手でも、その人の「価値観」や「性格」によって、向くポジションと向かないポジションがあるという(たしかにそう思う)。

まずは、自分で自分のことを考えることが前提だが、「指導者の責任」は、本人が気づいていない自分に気づかせてあげることや、本人が自分の道を自信を持って進んでいけるよう助言をしてあげることだと思う。

サッカー日本代表の本田選手は変わったのか?

興味のある方は是非、このコラムを読んでみて欲しい。

「面接と面談」の違い:「準備不足」では試合に勝てない。

昨日は朝からビッシリ修論指導。

前日の深夜、誘惑を断ち切れず、イチローと糸井重里の対談番組を見てしまい、睡眠不足の頭と身体にはヘビーな一日だった。

ところで、今月は、イノマネの2年制の方々の来年度の主査(事業化プランおよび修士論文の指導教員)決定のための面談が行われているが、そのことについて、小川先生のブログに興味深いことが書いてあった。

詳しくは、小川先生のブログを読んでいただければと思うが、何事も「準備」が大切ということである。

因みに、僕は学生の方から面談を申し込まれた際は必ず、学生名簿にあるプロフィールを読み、面談相手のバックグラウンドや人となりを理解してから会うようにしている。

アポの前に、その会社の基本情報をチェックしておくのと同じことで、何事も「予習」をした方が得るものが多いということだ。

でも、そういう僕も、20代の頃は、その手のことに「疎い」人間だった。

その理由は色々あるが、「自分に自信が持てなかった」ことが大きかった・・・(次のエントリーに続く)。

【続】「黒澤 明」にはなれなかったけれど・・・。

今日は昨年末に行けなかった「お墓参り」に行った後、明治神宮に「初詣」に出掛けた。

七草も終わり、お正月は終わったにも関わらず、三連休で尚かつお天気も良いこともあり、境内は大勢の参拝客で賑わっていた。

参拝の列に並んでいると「なんて言えばいいの?」と子供が聞いてきたので、「今年は何をしたい?」と聞くと、「なるほど・・・」という答えが返ってきた。

5歳児は単なる子供(単純)だと思ってはいけない。充分に「社会(人間関係)」のことを考えている。

ところで、大した仕事もしておらず悠長に芝刈りをしているような身分ではないのだが、景気づけに「初打ち」に行きましょう!ということで、昨日はドリームゲートのアドバイザリーボードの面々でゴルフに出掛けた。

コースは「富津ブリストルヒルズ」

Gated Community なるコンセプトで、敷地内に「分譲住宅」があるプライベート倶楽部のようなゴルフ場だが、金融危機(リーマンショック)のせいもあってか分譲が順調に進んでいないらしく(リーマンショックがなくても、順調に進んだかどうかは疑問である)、ゲスト登録すれば一般客もプレーができるようになっている。

因みに、ゴルフ場の従業員は否定するが、「石川遼」選手は分譲住宅を購入したひとりらしい。とても難しいコースで、練習に最適なのだろう。

その難しい「ブリストルヒルズ」だが、フェアウェイを外すと、すぐに「ペナルティエリア」にボールが入ってしまう。

フェアウエイは広くも狭くもないが、ラフが狭く、そのラフが終わると「草ぼうぼう」となり、とてもボールを探せる状況ではなく、ロストボールは必至。

これは僕の邪推だが、開発費がもたなかったのだと思う。

あの「草ぼうぼう」のエリアをボールを探せるように整備するには、相当なお金がかかるだろう。

さて、昨日は、その超難関コースにも関わらず、一緒に回った松谷さんの意向により、なんと「フルバック」からラウンドした。

因みに、3番ホール(ロングホール)は「615ヤード」。尚かつ、途中から打ち上げ。

全米オープンじゃないんだからさ・・・���いう感じである。

でも、そのホールは、何とかボギーで切り抜けた。

ドライバーを辛うじてフェアウェイ右のラフに留め、2ndをユーティリティで打ち、打ち上げとなる第3打は無理をせず、7番アイアンで刻んだ。

4打目(アプローチ)をピンそば2メートル弱に付け、下りのパーパットを慎重に打ったが、カップの直前でフックし、僅か左を通り抜けた。

我ながら上出来なパットだったので、まあ仕方ない。

このホールはまずまずだったが、前半:54、後半:64で、トータル:118。

散々なスコアだった。

ところで、昨日のゴルフを通じて、僕は大切なことを学んだ。

それは「自分の限界を『認める』」ということだ。

今日のエントリーで書こうと思っている内容は、タイトルこそ違えど、以前にも何度か書いている。

例えば、今から4年半前、「すべてを受け入れる」というタイトルで書いたことがあった。

何を言いたいかというと、分かったつもりが、実は「分かっていない」ということだ。

順番が逆になったが、一緒に回ったメンバーは、プロジェクトニッポン(ドリームゲート運営企業)の松谷さんクレア法律事務所(代表弁護士)の古田さんと僕の3人。

松谷さんとは7回目のラウンドだったが、昨日で「3勝3敗1分け」。

でも、ゴルフのレベルは、松谷さんの方が格段に上である。

実は、初回は僕の負けだったものの、その後は引き分けを挟んで僕の勝ちが続いていたが、それは、松谷さんが途中で大叩きをして自滅してくれたからであり、実力差は必ず現れるもので、ここ3回は3連敗で、遂にイーブンになった。

最近はレッスンにも行かず練習もしていなかったという事情はあるが、5年もレッスンに通っていながら、レッスンは受けたことのない(僕の推測)松谷さんの方がスウィングもキレイだし、飛距離もナイスショットの確率も高い。

要するに、「才能が違う」ということだ。

昨日のゴルフを振り返りながら、プロゴルファーの「藤田寛之」選手のことを思い出した。

藤田選手のことは昨年12月のエントリーでも書いている。

彼は「クルマに例えれば、自分はポンコツ。(タイガー・ウッズやフィル・ミケルソン等)あっちはスーパーカー。でも、そのポンコツでどこまで勝負できるか?トコトン挑戦したい」と言っており、そのことを引き合いに出し「努力の人」なのだろうと書いたが、実際には、その「本質」を理解していなかったということを、昨日のゴルフで知った。

冷静に考えて、ポンコツでスーパーカーに勝てる訳がない。

でも、藤田選手は諦めずに「挑戦し続けている(努力をし続けている)」。

スーパーカーもミスをするし、調子が悪い時もある。

その時(チャンス!)、自分がの調子が良ければ、ひょっとしたら勝てるかもしれない。

才能がないと言って「努力まで諦めて」しまったら、そのようなチャンスが巡って来ても勝つことはもちろん、競ることもできない。

また、努力を続けられるのは「ゴルフが好き」だからなんだろうし、努力が出来なかったという自分を「見たくない」のだと思う。

才能がなければ、人一倍「努力」するしかない。

それが出来ないのなら、さったと止めた方がいい。

才能溢れる相手の何倍も努力せずして、勝てる可能性はない。時間の無駄である(好きなこと、自分が続けられること、努力が苦にならないことを仕事にした方がいい。そうでなければ、結果は出せない)。

僕ぐらいの人間が、ビジネスの世界で起業家として生き残っていくには、それこそ、他人の何倍も努力する必要がある。

話は変わるが、ゴルフの前日、インタースコープ共同創業者の山川さんの誕生日会で久しぶりに会った、バーチャレクスというベンチャーを経営する丸山勇人さん(ゴルフのハンディは「5」)から、とても為になる話を聞いた。

「ラウンドも勿論ですが、ドリル(練習)もイメージが大切なんですよ。だいたい、ピッチングを打って、7番を打って、5番を打って、スプーンを打って、ドライバーを打ってって感じでしょ。それじゃダメなんですよ。アプローチだったらアプローチだけ、一日中練習するんですよ。仕事だって何だってそうじゃないですか?ある時期は、それこそ『あいつ、変だよ!』って言われるぐらい、徹底的に集中しないとダメなんですよ」。

おっしゃるとおりである。

年男の今年(もう後がない)は、とにかく「徹底的に『本』を読む」こと(つまり、勉強すること)と、僕にとって2冊目の本の「原稿を書く」こと。

これに「絞る」ことにした。

本は、目標「100冊」。3.5日に1冊。

数えたことはないが、今までの人生では、年間せいぜい「20冊」である。

つまり、読書量を「5倍」にするということだ。

これは、生活を変えない限り達成不可能である。

でも、才能がなければ、努力をするしかない。

結果を出したければ、それしかない。

ところで、バックナンバーを探していて、「黒澤 明にはなれなかったけれど・・・。」というエントリーを見つけた。

前半はさておき、自分で言うのも何だが、後半はなかなかいいことを書いている。

自分が欲しかった才能を持って生まれなかったことを悔やむのではなく(悔やんでも、欲しかった才能が手に入るわけではない)、「持って生まれた才能を100%発揮する」ことにエネルギーを集中することが大切。

これも、このエントリーを書いた時には、知識や理屈としては知っていても、その「事実」を受け入れられてはいなかったということだ。

一説によると、殆どの人間は自分が持って生まれた才能の20%程度しか発揮していないらしい。

本当の意味での「理解する」ということは、「行動が変わる」ということである。

小川先生のブログ。

新しい年が始まって今日で一週間。日本社会はそろそろ正月気分が抜けた頃だろうか?

さて、昨日は昼前から、法政大学大学院(イノマネ)で担当させていただいている学生の方々の修士論文の指導があった。

とは言っても、今年度は僕は副査なので、小川先生の指導に同席させていただき、来年度のための「予習」をさせてもらっている。

昨日は、計4人の方の論文指導があったが、テーマの選定は勿論、論文の構成や文章にそれぞれの個性が如実に表れる。

ところで、論文指導の合間に小川先生と雑談をしていたこともあり、昨晩は、改めて小川先生のブログを読んでいた。

ブログのテーマはもちろん、文体も含めてとてもおもしろく、読んでいて勉強になるのだが、その中でも、2つのエントリーが印象的だった。

この先の2~3年間は、事業の継承に時間を投入します。
退出のルールと組織のモラル:法政大学駅伝部は、ふたたび箱根の坂を登っていくことができるか?

実は、僕がインタースコープを退任するという挨拶メール(一斉配信メール)を送った時、一番最初に電話を下さったのが小川先生だった。

実際には、2番目か3番目だったかもしれないし、何人かのベンチャー仲間も電話をくれたが、僕の記憶に最も強く残っているのが小川先生だった。

たぶん、こうして仕事でお世話になっているから、そう記憶してしまっているのだろうが、その時以外でも、例えば、僕が「失意のどん底」にいた2009年の夏も、何でこういう絶妙な時に・・・というタイミングで電話をかけてくる方なのだ。

実際、小川先生に拾ってもらったようなものである。

ところで、インタースコープ共同創業者の山川さんに勧められて読んでいる「いまこそ、ケインズとシュンペーターに学べ(著:吉川洋氏、ダイヤモンド社)」を読んでいて、その内容とはまったく関係ないのだが、小中学校と一緒だった「佐藤禎久」君(当時は、よっちゃんと呼んでいた)のことを思い出した。

彼とは一緒にバンドを組んだりと、かなり親しくしていたが、いつも相談にのってもらうのは僕の方だった。

彼の部屋についても、なかなか本題を切り出せない僕をせつくわけでもなく、いつも雑談に付き合ってくれていた。

いい加減、アイス・ブレイキング(緊張を解き解す)は終わっただろう?というタイミングまで待った上で、「ところで、相談って何?」というふうに、話を切り出してくれた。

もうひとり、「佐藤直浩」君(なおくろとか呼んでいた)という親友がいたが、そう言えば、彼は、法政大学だった(と思う)。

彼は非常に優秀な奴で、尚かつ、高給取りなバイトをしていたこともあり、金欠になると、彼が住んでいた「和敬塾」という学生寮まで借金に行っていた。

こうして思い出しながら書いてみると、なんとも情けない少年時代と学生時代を送っていた人間だったということが分かり、少々情けなくなる。

ある時から、そのことには気づいていたが、要するに、さんざん他人の世話になって生きてきた人間だということだ。

「言うは易し、行うは難し」だが、これからは、少しは人の役に立てる人間になりたいと思う。

さて、そろそろ山川さんの「誕生日会」に出掛けるとしよう。

既に起こった「未来」。

さて、いよいよ今日で2010年もお終い。

僕は実家のリビングで、紅白を見ながら、このエントリーを書いている。

僕のブログを読んで下さっている皆さんはいかがお過ごしだろうか?

2009年は、ひと言で言うなら精神的に辛い一年だったが、2010年は、精神的な「抑揚」があった一年だった。

2009年の夏に一旦、すべてをゼロリセットして、それまで殆ど読んだことがなかったドラッカー、ミルトン・フリードマン、ジャック・アタリ、スマイルズ、ミンツバーグ等の本を読み出し、今までの人生を振り返った。

また、つい先日は、エドガー H. シャインの「キャリア・アンカー」なる概念に関するワークブックを読み、期せずして、自分のアイデンティティについて再確認することができた。

具体的なテーマはまだ見つけられていないが、やっぱり僕は「イノベーション」が好きだし、「新しい社会的価値」を生み出す人生を送りたい。

但し、シュンペーターが言うとおり、常に「新結合(イノベーション)」を行っているというのは非現実的であり、「企業者であることは職業ではなく、通常一般には永続する状態ではない」。

企業家(起業家)は、自らは変化を起こさないかもしれないが、変化を利用する。

新しい年は「変化」を探し、「変化」を利用できるよう、精進を続けたい。

皆さんにおかれましても、良い年になりますように!!

おばあちゃん家はどこだ?

子供のインフルエンザで帰省どころではないと思っていたら、今朝にはすっかり元気になり、一度はキャンセルした新幹線の切符を取り直し、先程、実家に到着した。

郡山駅からタクシーに乗り、10分程してクルマを降りると、料金を払っている間に、「おばあちゃん家はどこだ…。あっ、ここだ!」と言って、実家の玄関に向かって走っていった。

5歳にもなると、地理感覚も場所の記憶力も一人前なんだということに、新鮮な驚きを覚えた。

今年も実家で新しい年を迎えられることを幸せに思う。

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