「マスターズ」に想う「仕事」と「家族」。

昨日は急な気温の変化が原因なのか?午後から激しい頭痛に見舞われ、昨夜は夕食もそこそこに20時前に床に就いた。

午前零時を回った頃、起きてきてメールの返事を書いていたうちに、マスターズのハイライトを見過ごしてしまった。

ところで、実は先週末あたりから体調を壊してしまったこともあり、ブログの更新が滞ってしまった。

いつも書きたいことはたくさんあるが、その瞬間を過ぎると、その想いは過去のものとなり、後になって書こうとすると、どうもしっくりこない。

今日は頭痛もあり集中力がないが、更新が滞るのはあまり好きではないので、思いつくままに書き綴っておこう。

まずは、子供のこと。

何日か前のエントリーだったかTwitterだったか忘れたが、以前の保育園の友達たちと一緒に始めたサッカー教室は初日で脱落。無理矢理させても良い結果は得られないだろうと思い、それは善しとした。

しかし、自分から習いたいと言って通い始めたバイオリンも最近はあまりマジメに練習しなくなっているらしく、妻がぼやき気味。

これも何度か書いたことだが、今年から保育園が変わり、新しい環境に馴染めず、精神的に不安定な状態が続いていたこともあり、少々甘やかしてしまったのかもしれないと、夫婦で反省している。

現在の保育園に対しては色々と思うところはあるが、そのことはもう暫く様子を見てから書きたいと思う。

次は、仕事のこと。

4月から法政大学ビジネススクール・イノベーションマネジメント研究科で非常勤講師として仕事を始めたことは数日前のエントリーで書いたとおりだが、学生の方からの提案で、来月初旬に学生の方々(全員だと100名を優に超える!)と教職員との懇親会をすることになった。

ビジネススクールで客員教授をしたり、ゲスト講師を仰せつかったことは過去にもあったが、今回のように学生の方々と密接に?関わるのは初めてのことで、楽しみである。

考えてみると、インタースコープを一緒に創業した山川さんは明治大学のビジネススクールで非常勤講師をしており、創業時にお世話になった熊平さんは日本教育大学院大学の学長になり、僕の周りの親しい方々は何かしらの形で教育に関わっている。

自分が当事者として遮二無二ベンチャーを立ち上げてきた僕たちもそれなりの年齢になり、後進の育成に努める立場になってきたのかもしれない。

自分自身でも何かに挑戦し続けていきたい想いはあるが、社会人の方の成長を支援するということも、それも単発ではなく、自分が担当するクラスや学生の方々を持ってというのは、僕にとっては「新しい取り組み」であり「挑戦」でもあるのも事実。

今までは自分のアイデンティティを変えることに抵抗があったが、これからは、自分に与えられた役割を素直に受け入れていこうと思っている。

最後はマスターズ。

最終日の朝、1時間ほどテレビ見たが、充実したミケルソンの表情が印象的だった。

個人的にはタイガーウッズの劇的な復活優勝を期待していたが、やはり、精神面での優劣が結果を左右したように思う。

「仕事(公)」で良い結果を出すためには、「家族(私)」との関係が大切だということを実感した。

僕たちの子供も気がついたら4歳半。あと2年も経たないうちに小学生である。

40代最後の3年間を公私共に充実した時間にしたい。

追伸:ミケルソンの帽子のピンクリボンが印象的だった。

登りたい山を決める。これで人生の半分が決まる。

午前零時を回って2010年4月1日。日本は今日から新年度。

この3ヶ月は「あっ」と言う間に過ぎた。

年度末の昨日。子供を保育園に迎えに行った。

ナーバスになっていた頃は、僕の姿を見つけると一目散に駆け寄ってきていた彼も新しい環境に慣れてきたのか、今日はすぐには寄って来なかった。

教室を出て門を出ようとすると、今日で保育園が最後の最年長の園児達が敷地内で鬼ごっこをしており、それを見た我が子も楽しくなったのか、延々と敷地内を駆け巡り、なかなか帰ろうとしない。

まるで以前の保育園にいた頃のようだった。

ところで、Twitter上でRTされまくっていたのでご覧になった方も多いと思うが、ソフトバンクの孫さんが、来年の新卒学生を対象とした講演をしたらしい。

その時間、何と140分強。

世の中には奇特な方がいるもので、孫さんの話を書き起こしてくれており、最初はそのテキストを読んでいたのだが、それがUstreamで期間限定(3/29より一週間)で保存されていると知り、彼の肉声(Macintosh越しではあるが)を聞いてみた。

実は、2003年だったか2004年に、当時の「YEO」という組織のイベントで、孫さんがIR等を除き4~5年の沈黙を破って講演されたことがあった。

その講演、当初の予定は「30分」だったそうだが、話をされているうちに孫さんが乗ってきたらしく、結果的に「90分」の講演となった。

実は、その立役者は、主催者のある女性だった。

ノってきた孫さんに時間を提供した方がみんなのためになると思い、その後の予定を調整し、孫さんと僕たちに「90分」の時間を提供してくれた。

素晴らしい意思決定だったと思う。

僕は幸運にも、ほんの2~3メートルの距離で孫さんの話を聴いていたが、その時のことを思い出した。

実際、話の内容も、その時と同じものがたくさんあった。

それだけ、孫さんという人は「想いと行動」が「一貫している」ということだろう。

孫さんの声は柔らかく、とてもゆっくりと話をされ、エネルギーの塊という感じではないのだが、何故か、聞く人を魅了する。

彼の「有言実行の生き方」とその「スケールの大きさ」と「波瀾万丈」の人生が、聴く者の心に響くのだと思う。

詳しくは、上記のリンク先をご覧いただければと思うが、孫さんの言葉で僕が心に留めたいと思ったのは、以下のふたつ。

「出会いは突然訪れた」。
「登りたい山を決める。これで人生の半分が決まる」。

前者は、僕の人生においても、そのスケールは別として、まったく以て同感である。

しかし、後者となるとどうか?

孫さんが仰っていたとおり、「皆、一生懸命に生きている」。

「でも、自分がどの山を登るかを決めずに歩いているのでは、彷徨っているに等しい」。

「99%の人がそうである」。

「痛い質問」である。

ところで、僕が超マイナー株主のひとりとして応援している、「伝説のホテル」なる何やら怪しげなコンセプトのホテルを建てようと奮闘している鶴岡さんのメルマガに、日本人で初のパリダカールラリー総合優勝を勝ち取った「篠塚健次郎」さんのことが書いてあった。

僕もとあるご縁で篠塚さんの講演を拝聴し、篠塚さんと一緒に写真に収まったことがあるが、彼の本で読んだことが書いてあった。

<レースを勝つために必要なこと=目標をチームで共有すること>

 世界中から集まったメカニックなどのチームは、総勢50名。
 そのチーム全員で、自分たちのチームは

   ・優勝を狙っているのか?
   ・トップ10を狙っているのか?
   ・完走を狙っているのか?

 を明確にする必要がある。

 たとえば、

 ギアチェンジャーを交換するのに、
 優勝を狙っているチームは17分で交換する。
 車の下の鉄板は150度に達している。
 もし、トップ10を狙っているなら、3分くらい一服してからでもOKだ。

 完走を目指すなら、15分おいて安全に交換すべきだろう。

 何もかもが、何を目指しているかによって変わってくるんだ!

深い話である。

幸運にして「自分が登る山」を決められたなら、それはイコール、自分が目指して���る「山の高さ」を決めたことになる。

スニーカーでも登れる山か?
登山靴が必要か?
それとも、フル装備で入念な準備が必要な山か?

それによって、集める必要のある仲間も違ってくるし、仲間を集めたからには、自分に降り掛かってくる「期待と責任」も違ってくる。

そういう僕は、自分にとって「3度目の起業」であるドリームビジョンでは、その「期待と責任」に応えられていない。

でも、幸いなことに、まだ、時間はある。

一方、孫さんの話を聴くために集まった21~22歳の若者と較べると、僕のバッテリーの残存時間は、それほど長くはないのも事実(25~26年も違う)。

今から準備できることには限界がある。

しかし、僕もこの25年を無駄に過ごしてきたわけではない。

ドラッガーの言うとおり、「成果を生むために、既存の知識をいかに適用するかを知るための知識がマネジメントである」ならば、僕が今までの人生で会得した材料を、言ってみれば「冷蔵庫にある食材」を確認した上で、「何がつくれるか?(何をしたいのか?)」ということだ。

足りない具材が皆無ということはないだろうから、多少の材料なら、スーパーに買いに行けばいい。

「思いがけない材料」と出会えることもあるかもしれないが、その場合も、どんな「料理」をつくるかを予め、ある程度は決めておいた方がいい。

そうじゃないと、その材料が自分のメニューに使えるかどうかを判断できないだろうから。

ところで、スーパーで思い出したが、中目黒の東急ストアの地下の食料品売り場で、iPhoneが使えるようになっていた。

孫さんの「創業30周年記念の電波改善宣言」のひとつの成果だろう。

さて、自分自身のことに話を戻すと、2010年の最初の3ヶ月は、それなりに充実した時間だった。

次の3ヶ月をどう過ごすか?

ここ数日、よくよく考えようと思う。

「人生は短い」。

追伸:話は変わるが、このエントリーを書きながら、久しぶりに、YOUTUBEで「ホテルカリフォルニア」のライブ(アコースティックVersion)を聴いていた。

歌詞に出てくる「1969年」は、伝説のロックイベント『ウッドストック』が開催された年でもあるが、その年から「ロック」が商業主義に染まっていったらしい。

その暗喩として、「1969年以来、お客様の指定される『スピリッツ(お酒の種類=純粋なロックという意味で使っているのだろう)』は当ホテルにはございません」というフレーズが出てくる。

「ホテルカリフォルニア」は、僕が中学浪人をしていた頃(だったと思う)、親父に質問しながら、初めて訳した洋楽だった。

郡山駅前にあったマルイで、たまたまイーグルス詩集なる本を見つけて、自分の訳がほぼ正しかったことを知った時は、とても嬉しかった。

僕にとっては、それもひとつの「小さな成功体験」だった。

「自分は自分にしかなれない」。

「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉とは裏腹に、一昨日あたりから寒さがぶり返してきた東京は金曜日の夜。

僕は「檸檬の白い帖(めもん)」なる「芝居」を観に、新宿西口まで出掛けた。

一瞬、話は逸れるが、来週月曜日(3/29)は、「日本フォーム印刷工業連合会」なる印刷関連の業界団体での講演を頼まれており、今日は一日、その資料をつくっていた。

僕の講演後、朝日オリコミの鍋島裕俊さんという方とのパネルディスカッションがあり、僕が何を話すかを鍋島さんに事前にインプットするため本日18時過ぎ、完成度60%の資料を主催者に送付した。

劇場に向かう途中、iPhoneでメールをチェックすると、僕が送った資料を確認したとの返事が来ており、主催者の期待値は何とかクリアしていることが分かり、ホッとした。

ところで、3/27(明日)は、僕が最初に会社を設立した日(1991.03.27)で、僕にとっては「起業記念日」のようなものだ。

あれから19年。

「思えば遠くへ来たもんだ」という台詞?があったような気がするが、我ながら、よくまあ今までやって来れたと思う。

さて、話を「檸檬の白い帖(めもん)」に戻すと、その芝居には、ドリームゲートの仕事を通じて、ここ2年前ぐらいから急速に親しくなった「影山さん」がプロデューサー兼「台詞は殆どない役(と言っては失礼だが、本人がそう言うので・・・)」として出演するということで、何としてでも月曜日の講演資料の目処をつけなければならず、久しぶりに朝から気合いを入れて資料づくりに励んでいた。

「講演資料を完成させた方がよいだろうか?」という想いが過らなかったわけではないが、でも、影山さんへの義理立てとは別に、自分でも理由はよく分からないが、僕の直感として、「この芝居は観ておいた方がいい」という気がしていた。

18時半に自宅を出て、開演5分前に会場に着くと、笑顔が素敵な受付の女性スタッフが迎えてくれた。

劇場に入り、客席の一番上の席に腰を下ろして周囲を見渡すと、そこそこのお客さんが入っていた。

でも、一列3席の座席が3列。満席でざっと100人強ぐらいの劇場だろうか。決して大きな劇場ではない。

3/25(木)から28(日)までの計7回公演。

毎回ほぼ満員の100人ぐらい入ったとしても5,000円×700人=350万円。

本番までの稽古代(会場費)、公演中の会場費、美術・衣装、立派なパンフレットの製作費等を考えると、役者さんたちを含めたスタッフの人件費は出るのだろうか?という収益構造(僕がシミュレーションするのは大きなお世話だが/笑)である。

ここ最近は何だかんだと慌ただしくしており、パンフレットを読む余裕もなく(余裕があっても読まなかっただろうけど/笑)、いったいどんなストーリーの芝居が始まるのか・・・と、少々不安な心境で開演を待った。

しかし、公演が始まるとすぐに、僕の下世話な収支シミュレーションなどバカげたことだということが分かった。

そんなことはどうでもいい。とても素晴らしい芝居である。

因みに、この「檸檬の白い帖(めもん)」なる「芝居」に出ているのは、一部の人を除き、殆どが素人か素人に毛が生えたぐらいの人達で、約半数はこの劇団の主催者が経営する「マメヒコ」という喫茶店のスタッフである。

自分で言うのは烏滸がましくて恐縮だが、僕はテアトルアカデミーという、そこそこ著名な劇団のオーディションを受けて合格した過去(笑)もあり、それなりの見る目を持っているつもりだが、役者さん達は、素人とは思えない存在感があった。

特に、本職は大手ハウスメーカー勤務という主演女優の「小菅佳代子さん」は、その端正な顔立ちと通りの良い声もあり、芝居に「ハリ」を与えていた。

ところで、この芝居の舞台は「22世紀の日本」。

「自殺志願者」が急増し、政府は止むなく、トリハヤメンという安易に自殺できる薬を配布することにした。

主人公の「檸檬(小菅佳代子さん)」は、トリハヤメンを飲んだものの死にきれず、この世と地獄の狭間に迷い込む。

そこはなぜか株式会社になっており、迷わず働くことを命じられる。

「迷わず」に働き且つ「帖(めもん)」と呼ばれる生前に関する申請書に何一つ「嘘」を書かなければ、この世に戻してもらえるという話になっている。

そして、中国が日本に対する「エネルギー封鎖」を仕掛けてくるという設定(この先のアジアは緊張感が高まると思う)を含めて、今の日本社会が抱える問題点とリスクが随所に織り込まれており、脚本・演出・役者であるカフェ・マメヒコ店主の井川啓央氏の才能が感じられた。

さて、物語が始まってまもなく、主人公の「檸檬」が死に損ねて、常世(とこよ)と現世(うつしよ)の狭間に迷い込んできたのだが、僕は彼女を見ていて「人間には『女性』と『男性』がいるんだな・・・」という、極々当たり前なのだけれど、僕にとっては「異性」である「女性」という性の存在を再発見させられたような、何とも表現しきれない感覚に捕われた。

そして、実は「檸檬」の父親は、彼女が5歳の時、事業が上手くいかなかったことで自殺をしてしまっており、そのことで彼女は苦しんできたこと、父親の顔も声も憶えていないことなど、人間の営みというものの本質を考えさせられる物語で、また、バックに流れる音楽が素晴らしく、知らぬ間に「感情移入」させられてしまっていた。

これは、最後の舞台挨拶で聞いた話だが、バックに流れる音楽はCDではなく、すべて生演奏だったらしい。

ところで、僕にとっての「起業記念日」の明日は久しぶりのゴルフで、帰宅後すぐにでもブログを書きたいという逸る想いを抑えるべく(そうするとお風呂に入らなくなってしまうだろうと思い)、まずはお風呂に入り、気持ちを鎮めてから、このエントリーを書き始めたのだけど、今回に関しては、想いに任せて書いた方が良かったと、少々後悔している。

何故なら、冷静になったせいで、文章の構成を考えながら書いており、その分、僕の心のリアルな感動を上手く表現できていない気がしている。

スタッフの皆さんが出入り口でお客さんを見送ってくれている時、僕は影山さんに、「ブログに書きます」としか言えなかった。

それ以外に、今日の感動を表現する言葉が見当たらなかった。

明日が早いので、パンフレットを送ってくれた時に同封されてい影山さんの手紙のある一節を紹介して、このエントリーを終わりにしたいと思う。

「とことん、時間をかけてつくります。特別な才能や技術がない者が人を感動させようとするのであれば、一生懸命努力するしかない。器用なものづくりを目指すのではなく、役者やスタッフが、研ぎすました肉体と精神とを使って、お客さんと時空を共有した中、ひとつの舞台をつくる。お芝居には、映画やコンサートともまた違う、特別な感動があると信じています」。

「自分は自分にしかなれない」。

「檸檬の白い帖(めもん)」を観て、僕が感じたことである。

追伸:明日は、良いスコアが出ますように!!

「合格発表」と「初めての挫折」。

「暑さ寒さも彼岸まで」と昔の人は言ったらしいが、今日の東京は、春がもうすぐそこまで来ていることを実感させてくれる陽気だった。

ところで、毎週火曜日は、妻の仕事が朝早いので、親子3人で家を出て、まず、子供を保育園に送った後、彼女を仕事場まで送っていくのだが、ここのところ、家族旅行だのインタースコープ10周年イベントだの、子供が昨年まで通っていた保育園の遠足(OBOGも遠足に参加可能な、とてもフレンドリーですばらし保育園である!)だのと、かなり予定が盛りだくさんな日々を送っており、ガソリンを入れにいく暇がなく給油マークが点灯していたので、彼女を送った後、いつものスタンドまでガソリンを入れに行った。

青山学院の西門前を通り、並木橋の交差点を過ぎ、八幡通りを代官山方面に向かう辺りから、サンルーフと窓を開けてみたところ、とても心地よい風が入って来た。

話は変わるが、今日(3.16)は、僕にとって、人生で初めての「挫折」を味わった日だった。

「早生まれ」の僕は当時、まだ「14歳」だったが、高校受験の「発表」が今日(3.16)だった。

実際に「年齢」を書いてみると、まだまだ幼かったということを再認識させられる。

「14歳の少年」にとっては、何度見直しても自分の番号だけが「飛んで」おり、高校受験に「落ちた」ことを理解した瞬間は、それこそ、人生そのものが終ったような気にさえなり、自分の顔を周囲に晒すことが耐えられなかった。

一昨日のエントリーで「中退予防研究所」の取り組みについて紹介したが、意中の高校に落ちた僕は、定員割れで二次募集をしていた高校に入学したものの周囲の友人と話が合わず、3ヶ月で「中退」した。

つまり、僕自身が「中退」経験者であり、当時から「時代の先端」を行っていたとも言える(笑)。

あれから32年。でも、こうやって何とか「幸せな人生」を送っている。

ところで、僕たちの子供は、今年から「新しい保育園」に転園した話は何度か書いたが、一時期はだいぶ慣れてきたように思えていたのも束の間、最近は、また、毎朝、大泣きするようになった。

理由はともかく、彼にとっては「アウェイ」な環境なのだろう。

そういう僕も、幼稚園の頃、仮病を使って「登園拒否」をしていたことがあり、彼の気持ちはよく分かる。

「親ばか」で大変恐縮だが、2歳10ヶ月の時に、自分からバイオリンを習いたいと言い出す(とにかく音楽が好きである)くらい感受性の豊かな子供なので、逞しい子供たちには何ともないことでも、彼は敏感に感じてしまうのだろう。

でも、この先の彼の人生を考えた時、これは「必要な試練」だとも思う。

ところで、「子供手当」法案が衆議院で可決されたとか・・・。

おカネをバラまくよりも、もっと効果的な政策がたくさんあるはずである。

「財源」を無視すれば、おカネを配るのは簡単だが(その結果がどうなるかは別として、一万円札を刷ればいいのだから)、おカネで解決しようとするのは「能がない」からだと思うのは、僕の性格が悪いせいだろうか?

勿論、大概のことは「おカネ」で解決できるのは事実であり、僕はそれを肯定こそすれど否定はしないが、問題は「おカネの使い方」である。

要するに、おカネを配った方が「簡単」なのである。

「教育制度」や「保育園・幼稚園」の仕組みを改革するには、相当な「覚悟」がいる。

今日(3.11)開港した「茨城空港」って何?

僕が初めて New York City(マンハッタンのことで、NYCと略すのが一般的)を訪れたのは、1986年2月。今から24年も前になる。

こうして文字にしてみると、随分と時間が経ったんだな・・・と思う。

当時のNYCの観光名物でもあった「graffiti(落書き)」満載の地下鉄にアメリカ人の友人2人と一緒に初めて乗った時は、白人、黒人、東洋人と、この地球上のすべての人種が乗っていたと言っても過言ではない状況に「唖然」とし、物凄い「恐怖感」を覚えたその感覚が、今も僕の中に残っている。

あの頃のNYCはジュリアーニ氏が市長に就任する前で、とても治安が悪く、Lower East Side、特に「アルファベット・アベニュー」辺りは滅茶苦茶ジャンキーなエリアで、真っ昼間からドラッグでラリッた奴らが蛇行しながら歩いていた。

そんなNYCを訪れた理由は、僕を「社会見学」の一環として地下鉄に乗せてくれたアメリカ人の友人2人の1人がNY出身(NYCからクルマで40分のPearl Riverという閑静な住宅街に実家があった)だったということと、このブログで何度も紹介している元H2Oの赤塩正樹氏がNYCに移住していたことだった。

僕にとってはセンセーショナルな地下鉄に乗り、その赤塩氏が住んでいたEast Villageのアパートを訪ねた日は、2月のNYCとは思えない「小春日和」の暖かい日だったことまで憶えている。

さて、そんなジャンキーなNYCにすっかり魅せられてしまった僕は(I was addicted to NYC at that time…)、それからの10年で10回以上、今までに20回以上、NYCを訪れた。

一時期は、ファッション雑誌の編集者がNYCのトレンディなスポットはどこ?と僕に尋ねてくるほど、NYCの「今」に詳しかった。

そういう「今」は、何にも知らないけど・・・。

最後にNYCを訪れたのは、9.11があった2001年の4月である。

さて、タイトルのとおり、ここまでの文章は「前置き(伏線)」であり、今日の「本題」は、僕が好きな「自助努力」と「予期せぬ成功」である。

まず、「自助努力」であるが、「280億円」だかを注ぎ込んで今日(3.11)開港した「茨城空港」については(http://twitter.com/kazesaeki 茨城空港の開港に際して、当初、年間90万人の利用見込みのところ20万人に下方修正。前原大臣が地元の自助努力を期待すると述べたのに対し、県知事が、国が自助努力すべきと反論していたが、国の自助努力って、いったいなんぞや。(続)”国”という言葉を簡単に口にするが、人間の集合体の活動と税金が”国”という形になっているにすぎない。ならば、まずそれらの持ち場に関わっているものが、そこで危機感を持って努力するところから始めろよ、と言いたい)、こうしてブログで紹介するぐらいしか対応のしようもない。

まあ、元を質せば、現県知事に直接の責任があるわけではなく(但し、上記のTwitterのとおりの発言をしたのであれば、それは論外である)、自民党「長期政権」時代の「政官財のトライアングルの談合政治」の「産物」であり、旧運輸省なり現国土交通省の「利権の巣窟」に過ぎず、そんな「業界団体」のような「国政」を続けて来た結果が「財政赤字」ですと言って「赤字国債」を発行する「政治家(もちろん、尊敬すべき政治家の方々もたくさんいらっしゃいます。現に、僕の友人にも)」なのか、実質的には「財務官僚」のシナリオなのかはわからないが、この狭い国土の日本に「98個」もの「空港」を造り続けてきたことで「恩恵に被ってきた人達(「空港」以外も含めて、同様な人達)」に、その国債を「買い戻して欲しい」という話である。

我々「経営者(今の僕は、実質的には経営者とは言えないが)」は、「ビジネスと経営者に対する与信能力が無い」銀行に「個人保証(融資を受けている場合)」をさせられていたり、「株主代表訴訟」のリスクに晒されていたりと、つまり、下手を打ったら、その「損失」は「自腹を切って返せよ!」と言われているわけだが、どういうわけか「公共の資金」つまり「税金」を使って仕事をしている「政治家」には事実上、その「リスク」はない。

あるのは、地元と支持母体である業界団体への「利益誘導(そういう意味では、一部の国民は利益に与っている)」と「落選」だけであり、然るに、最も「利益誘導」に走ってきた「長老」が、この国を支配してきたとも言える(そうではない尊敬すべき方々もいる)。

「JAL」は、その「総決算」である。

そう、すべてが「最初から終っている」。

※「関係諸氏&組織」にリンクを貼ることさえ時間が勿体ないので止めた。

次は「予期せぬ成功」の話。

正確には「成功」という定義とは少々異なるが、僕がNYCの魅力に取り憑かれ、そのお陰で英語も多少は話せるようになり、幾ばくかは国際感覚が身に付いたのは、前述した「友人たち」に恵まれたお陰である。

1986年2月、いわゆる「卒業旅行」にNYCを選んだ際、実はその「競合」として「L.A.」があった。

そして、L.A.にも「友人」がいた。

その時、もし、L.A.を選んでいたら、僕の人生はまったく違ったものになっていたかもしれない。

すべては「予期せぬ成功」であり、と同時に、すべての出来事には「原因」がある。

「種」のないところから「芽」が出ることはなく、「人生」も「世の中」も、すべて「必然」の結果である。

今日の営みが、明日と10年後を決める。

「ナイスショット」も「ミスショット」も含めてね。

「スティーブ・ジョブス」と「劣後順位」。

僕のブログを読んで下さいっている方々も、さすがにもう、浅田真央ちゃんの話は食傷気味だと思うので、今日は別の話。

アップル創業者の「スティーブ・ジョブス」のスタンフォード大学卒業式での「スピーチ」は、ご存知の方が多いと思うが、その中で彼は、こう言っている。

「朝、鏡の前に立ち自分の顔を見て、『今日が人生最後の日だったとして、今日の予定はそのまま実行したいことだろうか?』と自分に訊いてみる。毎日毎日そんなことをしていると、ある日、今日の予定は自分にとって本意ではない、と気づくときがある。そんな日が数日続くようなら、それは、そろそろ人生を変えた方がよいというサインかもしれない」。

彼が言わんとすることは理解できるが、それが「どういう心境なのか?」はイメージできなかった。

それが最近、ホント、ここ最近、「こういうことなのかもしれないな?」と思う出来事があった。

誤解の無いように説明しておくと、僕は今の自分の生活がつまらないと言っているのではない。

このアポは、自分にとって、本当に必要なものなのか?と考えることがあったという意味である。

もちろん、不要なアポを入れることはなく、すべてが何らかの意味があるアポなのだが、どこかで妥協をしていたり、動機にやや不純なものが混じっていたりと、ピュアではない要素があるということだ。

そのことに気づいた。

ドラッガーの言う「劣後順位」でもある。

ところで、我が子が新しい保育園に移ってから、丸2ヶ月が過ぎた。

昨日は、保育園でダダをこねることもなく、初めてすんなりと母親とバイバイできたという。

今朝は僕が妻と彼を送って行ったが、今日も泣いたりせず、元気に登園したらしい。

さて、子供を保育園に預けた後、今度は、妻を仕事場まで送っていった。

目的地に向かう車中で、彼女がおもしろい?ことを言っていた。

それは「人間は、締切がないと、時間を用意しない」ということである。

彼女は「臨床心理士」を目指すと決めた後、予備校に通い、大学3年への「編入受験」をし、大学院の「受験」をし、その次は「臨床心理士」の「資格試験」に合格するための勉強と、常に「締め切り(試験日)」があり、子育てと仕事の合間を縫って、とにかく「まとまった時間」を創ることに一生懸命だったのだが、昨秋、めでたく臨床心理士の試験に合格した後は、日々の仕事と子育てに追われて、春休み(大学で働いてる)になったらやろうと思っていたことが「何もできていない」と言っていた。

「春休み」になってからの方が「時間がある」のは間違いないのに・・・である。

人間は「締め切り」がないと、時間を有効に使えないのかもしれない。

考えてみると、当たり前のことかもしれない。

何故なら、何事も「有限」だと思えば大切にするし、「無限」だと思えば浪費しがちになるだろうから。

「セナ v.s. プロスト」&「キム・ヨナ v.s. 浅田真央」

ここ数年、公私ともに密な付き合いのドリームゲートの松谷さんが出演するということで、年甲斐も無く?「朝まで生テレビ」を観ていたお陰で、土曜日は体力的にキツい一日だった。

それでも、渋谷でランチを食べた後、1年半ぶりぐらいに「子供の城」に行き、子供と一緒に遊んだ。

途中で、孫泰蔵さんのTwitterにあったNew York の写真を我が子に見せたところ、「どうして、New Yorkは夜なの?」という質問を受け、「地球儀を買ったら教えてあげるよ」と答えたところ、「地球儀が欲しい」となり、以前から買ってあげようと思っていた地球儀を急遽、買いに行くことになった。

その前に「入院中」だったクルマを取りに行き、妻が iPhoneで検索した「地球儀専門店」で、我が子にとっての「My First 地球儀」を買った。

店内で、地球の自転と太陽の位置関係を説明し、何故、New York が夜なのかを教えた。

ところで、先程まで、NHKで「フィギュアスケート特集」を見ていたが、女子も男子も「総合力」というか、「完成度」が問われる競技なんだということが、よく分かった。

でも、浅田真央ちゃんの「トリプルアクセル×3回」は「神の領域」であり、それに対する「加点」がもっとあって然るべきという想いもまた、強くなった。

そして僕は、F1の「セナ v.s. プロスト」の時代を思い出した。

中嶋悟が「僕が言うのは不遜かもしれないけど、プロストの走りはイメージできる。でも、セナの走りはまったくイメージできない」と言っていたが、ポールポジションとファステストラップの獲得数では断トツのトップだったセナに対して、優勝回数ではトップだった(戦歴が違うので一概には比較はできない)プロストという構図が、フィギュアの世界でも当てはまるのだろうと思った。

その「速さ」と「才能」においては、セナとプロストを論じる意味はないことは、誰でも知っていたことである。

しかし、F1であれば「タイム」だし、フィギュアであれば「スコア」を争う競技だということだ。

僕がテレビの映像を見ながらどんなに心を動かされようが、ブログで何を書こうか、それこそ、真央ちゃんの心境は想像すらできないが、4年後のソチでは「(目指すのは)金メダルしかないんですけど」と言っていた彼女が、バンクーバーでの雪辱を晴らすことを祈ろうと思う。

因みに、バンクーバーには2度ほど行ったことがある。とてもキレイで「おとぎ話」の中にでもいるような錯覚さえ覚える街である。

僕には、ちょっと刺激が足りないけど・・・。

追伸:浅田真央ちゃんが踊った「鐘」は、圧倒的存在感のある曲だ。その曲にのって踊る19歳の真央ちゃんの表情が、印象的だった。