1年後の自分へのハガキ

今日は、ETIC主催の「cafe」というイベントに参加してきた。

先日のブログにも書いたが、吉持という方の意志を受け継いて行こうという趣旨で行われているイベントで、今年で8年目になる。

そこで、1年後の自分に向けたメッセージをハガキに書き、ETICに預けてきた。

昨年の僕が今年の僕に向けて書いたメッセージは「夢を実現する」であったが、その夢を実現するための一歩を踏み出した今年は、昨年とは違って、かなり「現実的なメッセージ」を書いた。

今年の自分へのメメッセージは覚えていなかったが、来年への自分のメッセージは、きっと覚えていると思う。そして、今日書いた自分へのメッセージを忘れずに、来年の夏を迎えるように努力しようと思う。

「夢」を持つこと。「目的意識」を持つこと。それがすべての始まりだと思う。

何故なら、そのことにより物事の「優先順位」が明確になるから。

来年の「cafe」に向けて、一歩ずつ、着実に前に進んで行こう。

追伸:昨夜は、ドリームビジョン初代インターンの山田くんの壮行会兼第2回交流会を行った。山田くんは、とても良い表情をしていた。彼の「夢」の実現に対して、ドリームビジョンでの約半年のインターンが何らかの形で役に立ったようであれば嬉しく思う。

すべては対話から。

ここ数日、色々と思うところがあり、ドリームビジョンとしての進むべき道を考えていた。

創業メンバー3人で議論をし、立案した事業計画であるが、僕の中でモチベーションをもって行動に移しているところと、頭では分かっているものの、なかなか行動に移せないでいることがある。

それは何故か? もう一度、自分自身に問い直してみた。誰かの本で「答えはすべて自分の中にある」というメッセージがあったが、たしかにそのとおりだと思う。

また、昨日は、僕にとっては無くてはならないパートナーである創業メンバーの安田くんと、久しぶりに、会社の現状や今後のこと、お互いの問題意識について、ゆっくりと話しをした。

彼と僕とでは、良い意味で正反対なところがあり、機能面ではとても良い組み合わせだと思っている。その一方、思考のプロトコルというかメカニズムが異なるところがあり、意思の疎通が十分に出来ているとは言えないところがあった。

定期的に時間を取り、お互いの考え方について話しをすることの重要性を再認識した。昨日のMTGは、とても有意義だった。お互いの理解が深まったと思う。

やはり、すべては「対話」から生まれるのだと思う。相手との関係においてもはもちろん、自分自身に関しても。

スティーブン・ジョブス

先週は意味のあるMTGが多かった。具体的に言えば、色々な人と会い、話しをする機会があった。そのことにより、より多くの視点を持つことができた。

しかし、それは必ずしも、プラスに働くことばかりではない。

何故なら、自分の「Intuition(直感)」を信じることを邪魔することがあるから。

有名な話しなので知っている方も多いと思うが、アップルコンピュータ共同創業者のスティーブン・ジョブスのスタンフォード大学の卒業式でのスピーチに、この「Intuition(直感)」に関する話しがある。

「その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい」。

Don’t let the noise of others’ opinions drown out your own inner voice, heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.

特に、「自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ」というひと言は、物事の本質をついていると思う。

「丁寧」に生きる。

先週の木曜日、マーケティングジャンクションの吉澤さん、ネオナジーという会社の創業者(現在は退任されている)の木戸さんと僕の3人で会食をした。

この3人は、吉澤さんと木戸さん、木戸さんと僕、僕と吉澤さんという間ではそれぞれ親しくしていたが、3人が共通の知り合いであることを知らずにいた。それで、じゃあ、3人で会いましょう!!!ということになった。

おそらく、それぞれ2人で会った時よりも、会話の内容が多岐に渡り、お互いの人生を「刺激し合い」、何かが生まれたような気がしている。他のふたりも同じようなことを感じていたと思う。

その中で吉澤さんが、とても「意味深い」ことを言っていた(吉澤さんはいつも意味深い話しをしてくれる)。

「すべての価値観と判断は、自分で生み出さなければならない」。
「迷っている、悩んでいる(=自分で考えている)ことは、尊い」。
「孤独と自由」。
「人生は短いかもしれないが、季節はまた巡ってくる」。

なかでも最後の言葉には、感じるものがあった。

ここに挙げた最初の3つに関しては、常日頃から僕もそう思っていることだが、4つ目の言葉に関しては、マジメな話しで考えさせられた。

というか、「人生は短い」と主張してきかない僕に対して、「でも、季節はまた巡ってくる(でしょ!?)」と言ってくれたことは、僕の心に響いた。

たしかに、2度と同じ時間は巡ってこないし、昔の自分には戻れない。

でも、それだからこそ、今の自分の「意味」を感じることができ、そして、違う「夏」を生きることができるように思う。

シャンプーか何かで「あの頃の自分がいた。でも、今の自分の髪が好き」というCMがあったと思うが、そんなことにも通じるような気がする。

やはり、僕にとっては「人生は短い」し、2度と同じ時間は訪れないが、毎年、夏(春夏秋冬)はやってくるので、以前の夏にはできなかったことを「チャレンジ」しようと思えるのかもしれない。

前回のゴルフでは目標スコアを出せなかったが、また、ゴルフをする「チャンス」はあるのである。

焦ること無く、今日の自分に出来ることを着実に行っていくことが、明日の自分を創るということだろう。

物事の原理原則は、極めて「シンプル」に出来ている。

今日の夜は、前刀さんをゲストにお招きしての「オープン講座(初日)」だ!!!

その「瞬間」を楽しみたい。

追伸:吉澤さんが「平石さんは丁寧にやってきたよね」と言っていた。僕は釣った魚に餌をやらない傾向があるので、その言葉をそのまま受け取ることは出来ないが、「生き方」という点においては、たしかに七転び八起きで「丁寧」にやってきたと思う。これからも、その姿勢を忘れずにいようと思う。吉澤さん ありがとうございました!!!

生きる力(その2)

どうにも気になって、先週の日曜日の新聞をひっぱり出した。

盛田幸妃氏は手術を受けた翌年(1999年)の10月7日、本拠地、藤井寺球場での「シーズン最終戦」に、リリーフで登板したという。

手術前、医者から「(マヒや痺れが残る恐れがあるから)野球の世界に戻るのは考えない方がいい」と言われていたにも関らず。・・・。

バカな奴だと思われるかもしれないが、僕は最初の起業の時、「もう(会社を経営するのは)やめよう」と何度となく思ったことがあるが、その度に、会ったこともないアイルトン・セナやカズや伊達公子が頑張っている姿をみて、励まされ、勇気をもらい、諦めずに頑張ってこれた。

そんな思いから、逆境に挫けずに頑張っている人達を紹介することで、人々に勇気や自信を持つ「きっかけ」を提供できたらと思うようになった。

ドリームビジョンで色々な人の生き方を紹介しているのは、そんな想いがあってのことだ。

少しでも読者の方々が「勇気と自信」を持つ、あるいは、持ち直す、お役に立てればと思う。

生きる力

今日はとても重要な用件があり、久しぶりに名古屋を訪問した。何年ぶりかも覚えていないほど久しぶりだった。

行きの新幹線の中で読んでいた新聞に、元近鉄バッファローズ投手の「盛田幸妃氏」のコラムが載っていた。

彼は現役時代、脳に腫瘍ができて、大手術をしたらしい(その後、マウンドに復帰したのかどうかは書いてなかった)。

その彼が手術後、右半身に痙攣が起こったり、手足にしびれが出たりすることに落ち込み、ヤケを起こして右手を壁に叩き付けたことがあったそうだ。横にいた奥さんは、「やめて!」と言って泣きながら病室を出て行ったという。

その時、彼は、テレビの上に立ててあった、わずか5才の時にリンパ肉腫というガンで命を奪われた弟さんの写真に、「ごめんな。お前は2回もお腹を切ってしんどかったろう。それに比べればおれはまだ楽なのに・・・」と話しかけたという。

彼は甲子園に出た時もプロになってからも、常に、弟さんの写真をポケットに入れてマウンドに立っていたらしい。

満塁のピンチの時に手をやったその写真を見て、病気と戦う闘志が湧いたという。

実は、今日のエントリーのタイトルは、先週の金曜日の夜、僕が初めて創った会社のパートナーだった堀水という奴と久しぶりに食事をした時に、彼が言っていた言葉である。

どういう展開だったかは覚えていないが、僕達兄弟が早くに両親を亡くしたことに話しが及んだ際に、「平石にとっては、早くに両親が亡くなったという逆境に立ち向かうことが、『生きる力』になったんだと思う」と言っていた。

盛田氏のコラムを読んで、堀水の言葉を思い出した。

そして、人間は、今現在生きている人だけでなく、亡くなった人も含めて、多くの人に支えられて生きているということを改めて考えさせられた。

すべての人に対する「責任」があるということだろう。