子育てほどクリエイティブなものはない。

もう20年も前のことになるが、あることで知り合った10歳ほど年上の友人と彼の奥さんから、「子育てほどクリエイティブなものはない」という言葉を聞いた。

こうして今も僕の記憶に残っているとおり、当時20代だった僕にとって、かなりのインパクトがあった。

広告代理店(奥さんの方は電通)出身の夫婦が、口を揃えてそう言っていたことも、僕には意外だった。

また、僕が20代の時に勤めていた外資系企業で一緒だったある女性が、「平石さん、子供を産むのを止めてまで、する仕事はないよ」と言っていたことも、その時の彼女の表情も含めて、鮮明に憶えている。

最近になって、そのことの意味が実感としてよく理解できるようになった。

他人の子供でも、特に、小学生の男の子を見ると、その無邪気さに言葉には表現できない気持ちになる。

亡くなった父親が生前、何かあると「お父さんが幼稚園をつくってやるから、おまえは園長先生になりなさい」と言っていた気持ちも、今は理解できる。

僕の大好きな「ゴッドファーザー」も、「子供は未来だ」と言っている。

40才を過ぎるまで子供を育てる自信がなかった僕に他人をとやかくいう資格はないが、子供を産み、育てることは、人生をより深いものにしてくれると思う。

自分達のことを犠牲にして子供に愛情を注ぐことは、結果的に、自分達に返ってくる。

まだ3才の我が子が、いずれ大学生(本人が行けば)になる日が来ると思うと、不思議でならない。

いったい、どんな生活が待っているのだろう。

その日を、家族全員、心身ともに健康で迎えたい。

ゴルフは、シングルになっていたい。息子にバカにされないように・・・。

ベビーカーを押すお母さん達

東京駅の八重洲口で待ち合わせをし、ある方と久しぶりにお会いした。

その帰りの山手線で、ベビーカーを押すお母さん達と同じ車両になった。

山手線や地下鉄など、東京の公共交通機関がいつ頃、どのような思想で設計され、造られたかは僕はよく理解していないが、エレベーターがない駅がまだまだ多く、ベビーカーを押しているお母さん達にとって、電車での移動はかなり大変である。

子供が出来る前は、そんなことは気にしたことがなかった。

当事者の立場になってみなければ、分からないことがある。

そういう意味では、昨日の妊婦の方のご不幸には言葉がない。

そのような事故が繰り返されないことを祈りたい。

子供にはそれぞれ「個性」がある。

東京はそこそこの晴天に恵まれた3連休。ブログを更新することもなく、10月の青空を楽しんだ。

初日は、保育園の運動会。毎年、近所の小学校の体育館を借りて行っているが、今年は我が子も泣くこともなく、元気で様々な種目をこなしていた。親子で行った郵便配達のお遊戯(ハガキと同じ色のポストに投函する)では、わざと違う色のポストにハガキを入れようとして、周囲の笑いを誘っていた。

二日目は、「ビール坂」と呼ばれるサッポロビール本社(恵比寿)近くの坂道で、「恵比寿となりのサンマ祭り」なる、2,000匹のさんまを無料でふるまうお祭りがあった。同じ保育園の友達親子と一緒に、秋のさんまとビールを堪能した。たまたま、近所に住む友達夫婦が通りかかり、久しぶりに会話を楽しんだ。

連休最後の日は、「祖師谷公園」で弟夫婦の家族と待ち合わせて、15時過ぎまで子どもたちを遊ばせた。我が子は従兄弟と遊ぶのもそこそこに、数週間前の新宿御苑で覚えた「シャボン玉」に夢中になっていた。

運動会の時も昨日も思ったが、子供にはそれぞれ「個性」がある。

偏差値教育ではなく、ひとりひとり、その子の「個性に合った教育」をしてあげることが大切である。

「台風一過」の青空。

今日の東京は「台風一過」の素晴らしい青空が広がっている。

因みに、子供の頃、台風一過を「台風一家」と思っていて、台風の家族の青空???と思っていた。つまらない話しでごめんなさい(笑)。

ところで、その台風一過の晴天の今日は、これから家族三人で温泉に出掛けることになっている。

子供にとっては、初めての「温泉」=両親以外の人々と初めて一緒にお風呂に入ることになる。

はたして、泣かずに入れるだろうか?(笑)

父親から「1人息子」への贈り物。

つい先日、ファンコミュニケーションズ副社長の松本さんから、自作(絵は他の方のもの)による「絵本」を頂戴した。

松本さんは40才の時、初めてお子さん(男の子)が生まれたそうで、僕と同じようなタイミングで子育てを始められている。

そんなこともあり、「平石さんは、僕と似たような立場だから、僕の気持ちを分かってもらえると思って・・・」と言って、高価な絵本をプレゼントしてくれた。

「男の子」は、父親にとって「ヒーロー」である。

子供ができると、新しい自分の「存在意義」が生まれる。

神様と子供に感謝である。

夏祭り

明日は保育園の「夏祭り」。子供の成長スピードは、親が思っている以上に速い。子供に負けないように、親も頑張らないと。育児は「育自」。

もうひとつの「甲子園」。

先週は慌しい一週間だった。

ところで、昨日は子供を連れて駒沢公園に行った。

ハンドルのところに椅子が取り付けられていて子供を乗せることができる自転車と、もう一台、普通の自転車を借り、親子3人で公園内を2周した。

ちょうど甲子園大会の予選の最中で、球場にはたくさんの観客が詰め掛けており、球場の外まで熱の入った声援が聞こえていた。

本人達はもちろんだが、監督やコーチ、彼らを応援するチアリーダー、そして、家族も含めて、甲子園出場という「共通の目標」を共有し、それに向かって頑張っている姿を想像し、自転車を漕ぎながら、目頭が熱くなった。

勝ち負けがはっきりしているスポーツという存在は、逆説的だが、その勝負の結果を超えて、素晴らしい価値がある(本人達以外にとっても)ことを改めて感じさせられた。

僕も中学時代、一生懸命に部活動に取り組んでいたが、当然のことながら、当時は、そこまでの意味は分からなかった。

さて、自転車を返した後は、「じゃぶじゃぶ池」という子供を水遊びさせる施設で、子供を遊ばせた。

同じ月齢ぐらいの子供達が、とても楽しそうに小さな瀧のようなところに勢いよく入って行く姿とは対照的に、僕たちの子供は臆病なのか?持っていったジョウロで水を汲み出したりと、おとなしく遊んでいた。

親としては、何とも物足りない心境であるが、それが、彼の「ネイチャー」であり、持って生まれた「気質」なのだろう。

「本人の持ち味」を受け入れてあげることこそが「教育」であり、個性豊な人間を育てることになるのだと思っている。

育児は「育自」という名言を、またしても実感した。

追伸:妻は大のサッカー好きだが、我が子が「少年サッカー」に明け暮れる姿を見るのは難しそうである(笑)。