いよいよ米国へご出発です。

先週から、お世話になってきた店舗から我々のファーミングユニットの撤去作業を始めた。Infarm の野菜を楽しみにしてくれていた固定客の方もいらしたようで、日本で事業を開始し、僅か2年ではあったが、Infarm の日本市場からの撤退を惜しんで下さっている方々もいるという声を聞き、とても嬉しく、そして、申し訳なく思っている。

そんなことで連日、深夜仕事の日々が続いており、50代最終コーナーを走っている人間には、体力的に厳しく、昼間の集中力を保つのが難しい。

実は、今までの生き方を改めたいと思っている。

実際、仕事に関しては、3月末で、Infarm 日本法人を解散するわけで、大きく変わるのは言うまでもない。

二人の子どもたちは、これから益々お金が掛かる年齢に差し掛かり、妻はこの先のことをとても心配している。僕も心配じゃないと言えば嘘になるが、何とかなると思っている。

Infarm の店内ファームの撤去作業に話を戻すと、行き帰りのクルマの中で、That Was The Week というポッドキャストを聴いている。

知己を得たとまで言うと烏滸がましいかもしれないが、サンブリッジの仕事で知り合い、10年以上の付き合いになる、TechCrunch 共同創業者のKeith Teare 氏が、彼の友人 Andrew Keen 氏と対談形式で毎週金曜日に行っているセッションだ。シリコンバレーやテクノロジー業界の今がよく分かり、とても勉強になる。

先日のブログに書いた長男との関係は、思っていた以上に、僕の精神状態に影響を与えている。それに加えて、ファーミングユニットの撤去が始まり、物理的に、そして、否応なしに、苦労して設置したファーミングユニットを解体する光景を見ることになるせいか、精神の平穏を保つのが難しい。

昨晩は紀ノ国屋の西荻窪駅店での撤去があった。西荻窪の街は、風情があっていい。チェーン店ではなく、個人経営の個性豊かな飲食店が軒を並べている。

撤去の帰りは、Keithのポッドキャストを聴く気になれず、YouTubeを開けたところ、一時保存リストの下に、Christofer Cross の Sailing という曲のサムネイルがあった。

僕は歌詞のある曲は必ず、どんな歌詞なのか?どんな意味なのか?を確認したい人で、Google で検索してみた。ChatGPTではなく。

すると、以前にも見つけたことのある「およげ!対訳くん」という洋楽の和訳を書いている方のブログに、Sailing という曲ができた背景と歌詞、そして、彼なりの解釈が説明してあった。

僕は仕事上のことは英語で講演したり、ブログを書いたりすることができるようになったが、歌詞の背景やそこに込められた意味を理解するまでの英語力はない。

Wikipediaによると、Christofer Cross が高校生の頃、感情面で苦しんでいた時、年長の友人であったアル・グラスコック (Al Glasscock)に、セーリングに連れて行ってもらっていたことに着想を得て書いた曲らしい。

「およげ対訳くん」に書いてある和訳を読みながら、「たしかに、そうかもね・・・」と思えて、少し気が楽になった。

ところで先程、武蔵野大学アントレプレナーシップ学部(通称:武蔵野 EMC=Entrepreneurship Musashino Campus)の教授会(Zoom)の最中に、一通の簡易書留が届いた。

This photo was taken by myself. At The Venture Cafe in CIC. Sep 24th, 2014

武蔵野EMCの仕事で、3/6 (火) から一週間、ボストンとオースティン(SXSW)に行くことになっている。その必要書類だった。

「いよいよ米国へご出発です」。

旅行代理店の方からの送り状には、そう書いてあった。

ボストンにはサンブリッジ時代、Innovation Weekend というピッチイベントを主催するため、2度ほど行ったことがあるが、オースティンもSXSWも初めてだ。

2006年に創業したドリームビジョンが上手く行かず、晴耕雨読ならぬ、晴「読」雨読の日々を送っていた時、小川孔輔先生から電話をいただき、翌年から法政大学経営大学院(MBA)で教えることになった。

その翌年には、2年半ぶりに Allen Miner と再会し、サンブリッジの仕事をすることになり、Keith をはじめとして、シリコンバレーの人たちとの交流が始まった。

サンブリッジ時代に受託していた大阪市の仕事では、ロンドン、ベルリンとも縁ができ、ベルリンに関しては、ベルリン州政府が行うアジアのスタートアップエコシステムとの接点づくりの「アンバサダー」なる役職も仰せつかることになった。

幾多の失敗をしてきているが、僕は機会に恵まれている。

人生は、簡単じゃない。でも、生きていることは、それだけで素晴らしい。

そう思える人生を送れている僕は、幸せな人間だ。

Infarm 日本市場から撤退のお知らせ

諸事情により日本法人としてのプレスリリースを出すことができないので、お世話になった、そして、引き続き、お世話になっている皆さんへ、私のブログにてご報告をしたいと思います。

ベルリン発祥のVertical Farming (LED/水耕栽培) スタートアップ Infarm は2020年、JR東日本の皆様よりご出資を受け (Infarm 本体へのご出資)、2020年2月に日本法人を設立しました。

日本市場参入の経緯は、BRIDGEにて詳しくご掲載いただきました

日本でも新型コロナウイルスの感染が拡大し、足踏みを余儀なくされましたが、2021年1月、紀ノ国屋インターナショナル(青山店)、西荻窪駅店、そして、サミット五反野店へ、弊社独自開発のInStore Farmを導入いただき、日本での事業をスタートしました。

その後、紀ノ国屋の用賀店、武蔵小金井店、サミットの野沢龍雲寺店、成城店、そして、昨年6月にはTHE CAMPUS (コクヨ株式会社)にも導入いただきました。

また、Infarm Tokyo Plant Hub という生産施設で野菜を栽培し、紀ノ国屋の等々力店、国立店、また、一時期、DEAN & DELUCA 広尾店、六本木店、そして、不定期ですが、LUMINEアグリマルシェでもInfarm の野菜を販売していただいて参りました。

しかし、大変残念ながら、タイトルのとおり、Infarm は日本市場から撤退することになりました。詳しくは、Infarm 本体のウェブサイトに掲載のご案内(英文の下に日本語訳があります)をご覧いただければと思います。

Infarm 販売終了のお知らせ at 紀ノ国屋インターナショナル(青山店)

日本市場での販売終了の旨は今月初旬、各店舗にてご案内させていただきました。また、今月下旬から来月初旬に掛けて、各店舗に導入していただいておりましたInStore Farmを撤去させていただきます。

今までご愛顧いただいておりましたお客様には心よりお礼を申し上げますと共に、このような結果となってしまいましたことを深くお詫び申し上げます。

また、Infarm 本体の株主としてご支援を頂戴しておりますJR東日本の皆様、InStore Farmを導入いただきましたサミット、THE CAMPUS(コクヨ)の皆様、飲食店向けの販売チャネルをご提供下さいましたベジクルの皆様、ルミネのアグリマルシェの皆様には、改めてお礼を申し上げます。

そして、Infarm のビジョンに共感し、お互いの人生の一時期、苦楽を共にしたメンバーに感謝しています。

尚、私は3月末に開催する臨時株主総会にて、日本法人の代表取締役社長を退任し、清算人として、日本法人の清算手続きをして参る予定です。

まだ暫くの間は、Infarm 日本法人の代表者としての仕事が続きますので、日本での事業を通じて得た貴重な経験とこの3年間の総括は、3月末に、改めて申し上げたいと思います。

引き続き、宜しくお願い申し上げます。

直筆の手紙と歩きスマホ。

小田急線が地下に潜ったせいで、下北沢は、僕が住んでいた頃とは異なる街になった。

Photo from Adobe Stock

10数年ぶりに羽根木公園に行き、梅の花を見たあと、すっかりキレイになった世田谷代田駅前に行ってみた。学生時代、駅から徒歩30秒のところに、1年ちょっとだけ住んでいた。大家のお茶屋さんは建て替えたようだったが、なんと、その奥にある木造のアパートは、そのまま残っていた。お風呂も付いていないだろうに、どうやって住んでいるのだろう?

羽根木公園(世田谷区)の梅の花 Photo by myself.

細い路地を抜け、下北沢まで行き、コインパーキングにクルマを駐めた。対面には、学生時代から続いている「都夏」という居酒屋がある。年末に久しぶりに行った時、片岡さんと二人で写真を撮った。お互いの顔に時間の経過が見て取れる。

都夏の片岡さん Dec. 16th (Fri), 2022

弟と二人で住んでいた賃貸マンションは、外装がリニュアルされ、キレイになっていたが、 あれから40年近く経った今も、そこに建っていた。3階まで上る階段の下に、父親に内緒で買ったバイクを置いていたことを思い出す。

大学生の頃、一度だけ、父親に手紙を書いたことがある。生きる意味というか、人生の目的が分からなくなっていた。

全国的にも有名な総合病院で経営の仕事をしていた父は常に多忙にしており、忘れた頃に返事が来た。何が書いてあったかは憶えていないが、その手紙は今も取ってあったと思う。

父とは、ことごとくぶつかった。中学2年生か3年生の頃から高校時代に掛けては、険悪だった。夕飯の途中で家を出て、友達の家に行ったこともある。

いつの時代も、親と子供では、生きてきた社会環境が違うし、テクノロジーも異なる。直筆の手紙を書いていた時代と何でもiPhoneで済ませる今では、考え方も行動も違うのは当たり前だ。

但し、親としては、こういう人間になって欲しいとか、こういうことはして欲しくないとか、程度の差こそあれ、そう思うのは当然だろう。でも、子供にとっては、父親の価値観を押し付けられているということでしかなく、自分の価値観に合わないことは、それが社会の常識とは異なるとしても止めようとはしない。

話をすれば、いつも口論になるくらいなら、自分の子供とは思わず、甥っ子くらいに思った方が賢明なのだろう。親子であっても距離が必要なことは分かっている。但し、理性が感情についていくかは別問題だ。

最近、産みの両親のことを思い出す。

父は、僕の欠点を指摘することはあっても、褒めることは無かった。正確に言えば、人生で一度だけ、褒められたことがある。大袈裟でもなんでもなく、父に褒められたのは、その一回だけだった。自分自身が父親になった今は分かるが、僕に対する愛情と心配が強過ぎるが故のことだったのだろう。

その父が亡くなってから、早いもので35年になる。

父は、産みの母が亡くなった後、母が付けていた日記を読み、彼女がいかに辛い思いをしていたか、自分に対してどんな思いを抱いていたのか、彼女にとっては幸せな結婚生活ではなかったことを知り、愕然としていた。そのせいか、今の母(再婚した女性)と結婚した後の父は、別人のようになった。

家族は心の支えであり、時に難しい存在だ。最も理解し合いたい関係でありながら、最も上手く行かない。問題は僕にあるのだろう。

どうやら僕は、父の遺伝子を受け継いでいるようだ。彼のせいにしては、申し訳ないが・・・。

いつか映画を撮りたい。

太陽が南に傾くと、季節の移ろいを感じる。

※写真:パブリックドメインQ:著作権フリー画像素材集

東側に小さなベランダがある我が家のキッチンには、夏の暑い頃は朝早くから太陽の光が差し込む。朝食を作る際、その光を遮るために、妻はブラインドを下ろす。とても暑くてたまらないから。でも、秋分の日を過ぎた頃から太陽は南に大きく傾斜し、ベランダ越しには光は入らなくなっていく。年齢のせいだろうか、こうして時間が過ぎて行くことを感じると、感傷的になる。

武蔵野EMCは学部名のとおり、アントレプレナーシップを学ぶために創設された。そのために、一年目は、徹底的に自分と向き合うことを強いられる。自分が何者なのか? 自分は何に興味があり、自分の原動力は何で、何が自分を突き動かしているのか? を知るためだ。

そういう僕にとっても、自分という人間を再発見する機会になっている。

武蔵野EMCは、とても素敵な学部だ。様々なバックグラウンドを持つ個性豊かな学生たち、そして、ほぼ全員が、武蔵野EMCの教員としての仕事以外に、世の中の定義でいうところの本業を持っている多様性に飛んだ教授陣。

強いて言えば、教員に外国人がいれば、さらに多様性が広がるだろう。但し、それには、学生たちにも、教員たちにも、英語というハードルがある。そういう意味でも、日本人として生まれたことは、大きなハンディを背負っている。英語教育における政府の致命的なミスだ。

武蔵野EMCで僕が受け持っている授業は、以下の2つ。

1つは、プロジェクトという科目。ビジネスアイディアを考えて、学生という立場(制約条件)であっても、何らかの形で実践することを求められる。起業したり、社会に出てから、自ら新しい価値を創造し、世の中をより良い方向に変えていける人間になるための予行演習のようなものだ。EMCのメインコンテンツと言っても過言ではない。

もう1つは、今年の夏、EMC創設後、初めて実施した「シリコンバレーツアー(研修)」。これもメインコンテンツと言っていい。僕の投資先の創業者たちに、起業に至る自分の人生や取り組んでいる事業について語ってもらい、それをもとに質疑応答(もちろん、英語で!)する。

起業家精神とは何か? 起業するとはどういうことか? ということをリアルに感じてもらうことが主目的だ。と同時に海外、特に、シリコンバレーのような「イノベーションの聖地」で生きている人たちから見た「日本(の危機的状況)」を理解することも大きな目的である。

僕が今、行っていることは、Infarm Japan の経営も武蔵野EMCの教員としての仕事も、スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式のスピーチで言った「Connecting the dots.」だ。

ところで、武蔵野EMCには「他人の夢を笑わない」という素晴らしいカルチャーがある。

数週間前、EMCの魅力を伝えるシリーズとして、計10回に渡り、僕のブログでEMCの価値観やカルチャーを紹介した。その一番最初に書いたのが、この「他人の夢を笑わない」というカルチャーだ。

それに勇気をもらって、僕がこの先の人生で実現したいことをブログに書くことにした。

そのひとつは「挫折、喪失、逃避、希望」をテーマにした起業に関する「映画」を撮ることだ。

数年前に読んだ「HRAD THINGS(原題:The hard thing about hard things by Ben Horowitz)」で、一言一句は別として、Ben Horowitz はこう言っている。

シリコンバレーの起業家は、テクノロジーで物事を『効率化』することに興味があり、それがモチベーションになっている。一方、メディアの人たちは『(人の心を動かす)ストーリー』が好きなんだということに気がついた」。

僕は10代の頃、ミュージシャンになりたかった。音楽の才能は無いことに気づき、それなら俳優になろうと思い、ある有名な劇団のオーディションを受けた。300人中5人の一人に選ばれて、オーディションには合格したものの、その道で勝負する勇気がなく、俳優は諦めた。

新人タレントを売り出すための撮影に行かなかったのは、端役でももらってしまったら、後戻りできないと思ったから。30歳を過ぎても売れなかったら、潰しが効かないし・・・。

結果的に、起業家としての人生を歩み、一時期はスタートアップへの投資会社の経営もした。

でも、僕の原動力は、人と何かを共有すること、明日を生きる勇気を分かち合うこと、人の心を動かす何かを創り出すことであり、物事の効率化ではない。エンジェル投資をしているのは、同じ起業家として、彼らの夢や想いに共感し、それを共有したいからだ。

「流浪の月」という映画を観て、改めて、自分自身に気がついた。

自主製作の映画なら、その気になれば作れるかもしれない。

でも、そうではなく、人の心を動かすことができる、その時代を映す俳優や女優の方々が演じ、一流の監督に演出してもらい映画を創りたい。

流浪の月」を製作総指揮した宇野康秀さんのように、自ら創業した会社を3社も上場させて、文句のつけようのない社会的信用力や資金力があるわけでもなく、映画の勉強をしてきたわけでもなく、年が明けて誕生日が来ると還暦を迎える僕に、そんなことができるわけがないと笑う人もいるだろう。普通に考えれば、そのとおりだと思う。

でも、僕が将来、起業するとか、投資会社を経営するとか、それも海外のスタートアップに投資し、その中の1社 Infarm がユニコーンになり、AnyRoadは前述のBen Horowitzが盟友 Marc Andreessenと一緒に立ち上げた「a16z」から資金調達をすることになるなど、小学生の頃の僕を知っている人の誰が想像しただろうか?

20代の頃の僕を知っている人でさえ、僕が今、こういう人生を送っていることを想像した人は誰もいないだろう。

まずは「流浪の月」の脚本を購入した。

すべては「夢」と「想い」を持つことから始まる。

僕はそう信じている。

Eric Clapton. Tears in Heaven.

今日はちょっと嬉しいことがあった。近所のスーパーに買物に行った時、iPodsで音楽を聴こうと思い、いつものようにYouTubeを開けた。

Tom Cruise と Jennifer Connelly のインタビュー動画が表示されたが、その横の Eric Clapton の Tears in Heaven のサムネイルが目に留まった。

正直、そういう気分ではなかったが、Liveバージョンの曲を聴いてみた。

すると、完全ではないが、Claptonの言葉を聴き取ることができた。

Claptonがこの曲を書くきっかけになった悲劇のことは知っていたものの、歌詞は知らなかった

その時の Clapton の気持ちを考えると涙が出た・・・。彼のような天才には、こういう悲劇が訪れるのだろうか。そして、こういう曲を書かせるのだろうか?

Top Gun Maverick を観て以来、YouTubeでセリフの解説動画を観たり、Tom Cruise と Monica Marbaro のインタビュー動画を何度も見て、彼らの会話を聴き取ろうとしたり、ここ数ヶ月はヒアリングを努力してきた成果なのか、Clapsonの言葉が自然に耳に入ってきた。

一方、9月14日、ベルリン州政府主催のAsiaBerlin Summit で、Infarm の日本市場参入の舞台裏に関するインタビュー(対談)に招かれた時の録画を見た時は、あまりの下手くそな自分の発音に自己嫌悪に陥った。

その反省を活かして、Tim Romero が運営するPodcast “Disrupting Japan”に2度目のインタビューに招かれた時は、少しでも滑舌良く、そして、キレイな発音を心掛けた。

幼少期に英語圏に住んでいたわけでもなく、完璧な発音を身につけることは無理でも、この歳になっても、ヒアリング能力は向上させることができることを実感し、嬉しくなった。

ところで、僕はクラプトンと同じ誕生日だ。ちょっと嬉しい。

洗濯機、テスラ、Infarm。

今さら何を言っているんだ・・・と言われるかもしれないが、我が家のドラム式洗濯機の中で水しぶきが上がっているのを見て、人類はテクノロジーを開発する(進歩させる)ことで生き延びてきたということを再認識した。

洗濯機が出来る前は、洗濯板なるもので手洗いをしてわけで、重労働極まりなかったということだ。それも、女性が行っていたことを考えれば、尚更だ。

農業も同じだ。中学生の頃、焼畑農業というものを教わった。そして、灌漑という技術も。ビニールハウスで温室栽培をするようになり、今では、品種によってはロボットでの収穫もできるようになった。

でも、地球温暖化による相次ぐ台風による農作物の被害には、今のところ、有効な対策がない。

でも、LED/水耕栽培はどうだろう? 自家発電設備を備えれば、台風による停電の心配もない。

Infarm を含めた「LED/水耕栽培」市場は、国内外を合わせると、何百社という企業がひしめいている。

日本では、我々Infarm 以外に、老舗と言っていいスプレッドの他、レスターホールディングス(子会社で運営)、ファームシップ、PlantX等が凌ぎを削っている。

海外では「Vertical Farming」といい、単位面積当たりの収穫高を高めるため、縦に伸ばす、つまり、天井高を高くし、野菜を作るトレイを何段にも重ねる企業が多い。

投資効率を考えると、不動産コストの安いエリアで敷地面積を広げるより(その分、物流コストが高くなる)、建物の天井高を高くする建築コストの方が安いということだろう。

ところで、先週の水曜日(9/14)、ベルリン州政府が主催する AsiaBerlin Summit という、ベルリンとアジアのスタートアップエコシステムを繋ぐことを目的とした記念すべき25周年イベントで、大変光栄にも、Infarm の日本市場参入に関する話をする機会を頂戴した。

ベルリン州政府にとっては、日本人の僕がベルリン発のスタートアップの Infarmに投資し、尚且つ、日本市場へ参入したというのは、分かりやすいサクセスストーリーなのだろう。

でも、そんな簡単な話じゃない。とてもチャレンジングな仕事だ。

僕はネットバブル以降、自分たちでスタートアップを創業したり、スタートアップに投資する仕事をしたりと、かれこれ四半世紀、インターネット関連の世界でビジネスをしてきた。

でも、製造業や農業など、生産現場が伴うビジネスには一度も携わったことがない。

Infarm はインターネットは勿論、A.I.、IoT、メカニカル・エンジニアリング、Crop Science、Bio Technology等、事業を運営するために必要な知識や技術が極めて多岐に渡る。ダイナミックレンジが広い。

簡単に言うと、ハードウェアとソフトウェアの両方の技術とKnow-Howが必要ということだ。自動車産業で言えば、TESLA(テスラ)のようなモデルである。

もうひとつ言うと、connected ということ。つまり、ファーミングユニット同士がCloudで繋がっており、どこにいても内部の設定やモニタリングが可能だ。

ドラッカーが言うところの「新しい知識に基づくイノベーション」の典型である。

「新しい知識に基づくイノベーション」に共通することは、開放期と呼ばれる大勢のプレイヤーが挙って参入してくる時期があることと、整理期と呼ばれる時期を経て、極少数だけが生き残るということだ。そして、その市場は必ずグローバルになり、生き残った者はグローバルプレイヤーになる。

Infarmは幸いにして、ユニコーン(未公開企業で時価総額US$1B以上)と呼ばれるスタートアップになった。でも、まだまだ先は長い。

僕にとって、Infarm のようなスタートアップに投資する機会に恵まれ、日本法人を経営し、50ヶ国籍以上の従業員で構成され、10ヶ国で事業展開するスタートアップの幹部の一人として仕事ができていることは、とてもありがたいことだ。誰にでも訪れるチャンスではない。

申し上げるまでもなく、欧州と日本では、社会の構造も流通業界の商習慣も、そして何より、食文化が大きく異なる。

つまり、欧州で出来上がったビジネスモデルをそのまま日本にコピーしても上手くいかない。日本市場の特性に合わせて、カスタマイズする必要がある。

今から40年以上前、マクドナルドが米国本国とは異なる戦略とポジショニングで日本市場に参入することで成功したように、我々も日本版 Infarm を創り出す必要がある。

大変だが、やりがいのある仕事だ。そんなチャンスは滅多に無い。

先週のベルリン滞在中、とても光栄なことに、西村経済産業大臣が、Infarm Growing Center という我々の生産施設の視察に来られた。

最新鋭のFarming Unit をご覧いただいた後、様々な野菜を試食していただいた。「イチゴ」を試食された際、「美味しいですね!」と言っていただいた時は、素直にとても嬉しかった!!

西村大臣に「美味しい」と言っていただいたイチゴを、一日も早く、日本の皆さんに食べていただけるよう、事業を前に進めたい。

流浪の月。

窓の外から日本語が聞こえた気がして、カーテンを開けてみた。

すると、バックパックを背負った若い日本人女性が友人と話しながら歩いていた。パリの方がベルリンよりも日本人が多いんだろう。住んでいる人も訪問者も。統計を見れば明らかだが、実際、通りを歩いていても、パリの街では日本人を見掛ける。

当たり前だが、異国の地にいれば、僕は異邦人だ。どことなく、心許ない気持ちになる。僕の場合、出張で尚且つ一人で来ることが多いこともあり、余計にそういう心境になるのかもしれない。

ところで、久しぶりに飛行機の中で映画を見た。コロナ前は2ヶ月に一回は海外出張をしており、映画は殆ど飛行機の中で観ていたが、ここ2年半はどこにも行けずにいた。

今年6月、Infarm の幹部会議でアムステルダムに行き、8月は武蔵野大学アントレプレナーシップ学部の学生29人を連れて3年ぶりにシリコンバレーに行った。訪問前、人生が変わるよ!という僕の言葉に半信半疑だった彼らは、初日から、僕の言葉の意味を理解した。

今回のヨーロッパ出張はアムステルダムでのInfarm幹部会議、ベルリンではAsiaBerlin Summit 25周年記念イベントでの講演、そして、西村経済産業大臣のInfarm Growing Center 視察のアテンドと、盛りだくさんだった。

オマケに、フランス管制官のストライキにより、パリ経由の帰国便が欠航になり、予定外の一泊二日のパリ滞在を楽しんだ。

帰りの機中で見た映画は「流浪の月」という日本映画。普段は英語の勉強を兼ねて、洋画一辺倒なのだが、観たい映画がなく、消去法だった。

その「消去法」で観た「流浪の月」という映画に、今までに感じたことのない、形容できない感情を覚えた。

ネタバレで申し訳ないが、父親は病で早逝し、母親は恋人と新しい生活を始め、少女は叔母の家に引き取られる。そこでは、中2の従兄弟に性的虐待に合う。雨の公園でベンチに座ったまま本を開いて帰ろうとしない少女に傘を差し出した大学生に、少女は「家に帰りたくない」という。

世間では「誘拐事件」として報道され、2ヶ月間に及ぶ共同生活の後、通行人に警察に通報され、彼はロリコンの誘拐犯、少女は被害者となる。

人間は常識という名の偏見のもと、社会のマジョリティに適合できない人たちを差別してしまう。男か女か、白人か黒人か黄色人種か、既存の分かりやすい基準で人々をラベリングする。たしかに、その方が楽だろう。

そういう僕の中にも差別の念がある。国家間のイデオロギーに根付くものや歴史的経緯、また、価値観の相違によるものもある。その根底にあるのは、自己防衛本能だろう。何故なら、誰しも、社会の例外として孤立したくないから。

でも、この「流浪の月」という映画は、そのような「安全地帯」に住んでいる自分に対して、大きな疑問を投げ掛け、それまでに感じたことのない感情をもたらした。

話は変わるが「止まらぬ円安。縮む日本」。今朝の日経新聞の一面には、とても落胆した。そんなことは、10年前から分かっていた。遅いんだよ、警鐘を鳴らすのが!

競争力を失った産業を温存。新陳代謝を忌避し、リスクは先送り。

「賞味期限切れ」になった産業に終身雇用という美辞麗句で従業員を縛り付け(縛り付けられた人たちも、そのマヤカシを幸せと勘違いしていたんだろうけど)、新しいスキルを身につける機会を奪い、挙句の果てには「希望退職」という形で放り出す。当然、今の、そして、これからの世の中で必要とされる筈がない。

何が優しくて、何が厳しいのか? 表面だけを見ては、判断を間違える。

リフレ派政策で量的緩和を行い、円安誘導し、輸出型の製造業は「為替」による利益を上げ、株高や不動産価格は上昇したものの、ファンダメンタルズ(産業構造)は何も変わっていない。

欧米諸国は量的緩和の出口を探り、金利を上げ、安全資産と言われた「円」との金利差が生まれた。そこに偶然にもウクライナ危機が発生し、原油価格を始めとする様々な資源高が追い打ちを掛け、あっという間に、1ドル=140台後半に突入した。

資源が無い日本にとって、購買力が強い「円高」の方がいい。議論の余地はない。

1980年代、1990年代は、海外のホテルに泊まると部屋にあるテレビは日本製だったが、2000年以降、サムソン、LGといった韓国製に取って代わられた。

日本は「安い国」「二流国」に成り下がった。

facebookで、日本は「何かあったらどうする」病と揶揄する人を見掛けたが、言い得て妙である。ゴルフで言えば、バーディを取りに行くのではなく、ボギーを叩かないようにプレーする。

一方、シリコンバレーでは、失敗をしていないことはイコール、新しいことに挑戦していないと見なされる。

映画の話と日経の記事は脈絡の無い話に思われるかもしれないが、既存の枠組みに拘泥してはいけない、ということだ。大昔は地球は回っていないことになっていた。

学生たちと一緒に行った3年ぶりのシリコンバレー、そして、今回のヨーロッパ出張を通じて、これからの人生を考えた。

そして、伊藤羊一さんを見習って、年齢は忘れることにした。