坂の上に雲はない?

東京は悪天候だった先週末を挟んだ数日、僕たち家族はここ数年、恒例化?しつつある、サイパンに出掛けていた。

昨年からは子供の保育園繋がりの友達3家族と一緒に行くことになり、今年も同じメンバーだった。

サイパンを選んでいる理由は「安い」「近い」「海がキレイ」「安全」の4つ。

お隣のグアムにも一度だけ行ったことがあるが、米軍の施設があり、経済が発展している反面、僕はテロのリスクを感じてしまう。

4つ目の「安全」というのは、そのリスクがサイパンにはない(だろう)という意味である(その分、寂れているのも事実)。

ハワイと較べて「半額以下」で、所要時間は「約1/3(3時間)」。

ゴージャスな気分には浸れないが、ビーチシュノーケルで「熱帯魚」が見れるスポットもある。

ところで、わざわざサイパンまで行っても、親達の会話は専ら「子育て」である。

その「子育て」の延長線上の話として、とても考えさせられたコラムが2つあった。

一つは、前参議院議員の田村耕太郎氏の「『一生現役』の時代が到来!」。
もうひとつは、河合薫氏の「企業の“オトナ買い”に振り回される若者の悲惨」。

田村氏のコラムの内容を簡単に説明すると、「国家財政上も人口動態面からも、われわれの優雅な引退を次世代が支えてくれることはない。引退したら自分を養えなくなる」ということだ。

ひと頃まで、今世紀は新興国中心の「人口爆発」が懸念されていたが、今や「人口破綻」が議論のテーマになっている。

「人類の人口急増は“労働集約型経済”の時代に起こった。今世界で広がっているのは知識集約型経済である。知識集約型経済への変化が人口急増に歯止めをかけ、人類が初めて経験する規模とスピードで人口減少社会をもたらすとみる」。

たしかに、そう思う。

「労働集約」型経済の時代には、子供は「6歳」にもなれば、農耕や家内制手工業の立派な「労働力」として「稼ぐ」存在だったが、「知識集約」型経済の時代になると、少なくとも20際過ぎまでは高度な教育を受け、尚かつ、その後はビジネススクールだのロースクールだの会計大学院等に進むケースも多く、膨大な教育費が発生する。

「労働集約」型経済の時代には、8人の子供を持つ(因みに、僕の父は6人兄弟で、内1人は幼少期に死亡。母は、7人兄弟で、内1人は幼少期に死亡)ことは大きな恵み(6歳から稼いでくれ、尚かつ、老後の面倒も看てくれた。実際、僕たち家族は、父方の両親と同居していた)だったが、それは遠い昔の話である。

これからは「農業」も、I.T.バイオ、ナノテク等を活用することになるだろうから、子供では何の仕事もできない「ハイテク産業」になる。

一方、次世代が老後の面倒を看てくれる人口構造にはないが、我々の「寿命」は「伸びる」。

日本は「GDPの2倍」の公的債務を抱えている。

「年金?」。バカなことを言うんじゃない・・・という時代になるだろう。

子供の養育費を払い終わった後、いったいどうやって食べていくのか?

では、子供達はどうだろう?

昨今の「就職難」はとても気になる話だ。

河合薫氏のコラムで初めて知ったが、最近は「一芸枠採用」なるものがあるらしい。

詳細は彼女のコラムを読んでいただければと思うが、どうやら「組織に馴染まない人材(尖った人材)」を採用しようという試みらしい。

でも、そんなものは「論じるに値しない」と思う。

何故なら、パナソニック等の国際的な企業を中心に、中国人等の「外国人学生の採用」を増やしているわけで、日本人の中で尖っただの丸いだのと言っていても始まらないだろう。

因みに、香港では、日本人学校ならぬ「日本人『補修校』」の設立が進められているという。

今までは「現地『駐在』員」として海外に赴任していたエリート社員の人達は、今後は「香港からドバイに赴任してくれ」というような具合になり、日本に帰れる保証はどこにもなくなる時代が来ようとしている。

つまり、現在の「駐在」先には「日本人学校」があるかもしれないが、次の赴任先でもある保証はどこにもなく、であれば、インターナショナルスクール(英語圏であれば現地校という選択肢もあるだろう)に入れることになる。

となると、日本の文化や漢字の習得等、「補修」をしてくれる学校が欲しい、ということのようだ。

そりゃそうである。

パナソニックやソニー、トヨタもそうだろうが、売上の過半を海外で稼いでいるわけで、日本の本社に大勢の社員を置く理由はどこにもない。はっ���り言って、不要である。

となると、言葉だけが一人歩きをしている「グローバル人材」なる概念が、本当にリアリティを持つ時代になると思う。

これは「不可逆的」である。

僕の友人でも、既に「7ヵ国」での「駐在?」を経験し、現在はモスクワで仕事をしている「グローバル人材」がいる。

彼以外でも、日本以外でも仕事をしていけるだろうという知り合いが、10人は下らない。

ところで、僕の妻は、今から「老後」の心配(生活費をどうするか?)をしているが、それでも子供の教育にかける想いは並々ならぬものがある。

それは、彼女に限った話ではなく、サイパン旅行の3家族とも同じである。

僕は、自分たちの子供が将来、どんな職業に就こうが構わないと思っているが、ひとつだけ大切にしたいと思っていることは、「本人の良さ」や「持って生まれた才能」を「発見」し、伸ばしてあげること。

そして、それが親の責任であり「教育」であると思っている。

事実、彼は2歳9ヶ月の時、自分からバイオリンを習いたいと言い出し(練習嫌いで上達は遅いが)、ひとりで遊んでいる時は必ずと言っていいほど「歌」を歌っている。おもちゃのピアノも楽しそうに弾いている。

でも、運動神経では、保育園繋がりの友達に逆立ちしても敵わない。

それでいいのである。彼には彼の良さがある。

「坂の上に雲はない」かもしれないが、子供達の将来に「投資」できる人間になりたいと思う。

「若者」は本当に「公務員」になりたいのか?

昨日のエントリーで、僕にとっての成功は「プライベート」なことが中心であり、仕事はそのための「手段」に過ぎなかったと書いたが、では、おカネになれば何でも良かったのか?というと、勿論、そうではない。

もし、そうだったのであれば、わざわざ起業する必要もなく、また、これほど苦労せずに済んでいるはずである。

僕が目指していたのは、下のグラフで言えば「左上」であり、自分なりに一度は成し遂げたし、一度は成し遂げるプロセスに参加した。

さらに言えば、プライベートを含めて左上のような「���き方」に拘ってきた。

つまりは、極めて「難易度が高く、成功確率は低い」選択をしてきたということだ。

妻に言わせれば「(自分の能力を顧みず)なんでわざわざ好き好んで困難な道を選んでいるのか?」ということであり、誰のせいでもなく、自分自身の「選択(責任)」である。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
※出典:「企業家とは何か(J.A.シュンペーター、清成忠男訳:東洋経済新報社)」より。

さて、前置きが長くなったが、今日のエントリーは、年初のエントリーで書いた「数字」に関するもの。

実は、その「数字」に関するエントリーについて、かれこれ10数年来の友人から、「平石さんの数字を挙げての論を読みたいとは思いません。それなら大前研一を読みます」というメールを頂戴した。

因みに、その彼は、僕のブログを初回から一度も欠かさず、すべて読んでくれているという。

彼の言いたいことは、僕の「持ち味」や「良さ」は、数字や理論にあるわけではなく、別のところにある、ということだった。

たしかに、そうなのだろう。

ところで、彼とは2~3往復ほどメールのやり取りをしたが、今度は「数字」に関するお題を頂戴した。

彼はそのメールで、ある「調査結果」を紹介し、それについて僕のコメントを求めてきた(質問設計者がどこかは分からないが、調査実施機関がマクロミルというのが何とも因縁深い)。

その調査では、職業に関する「選択肢」がいくつか並んでおり、一見するとたしかに「公務員(19.8%)」が最もスコアが高く、「若者(新成人)」は公務員を志望しているように見えなくもない。

でも、他の選択肢を見て欲しい。

「会社員(技術系)」「会社員(事務系)」「会社員(サービス系)」
「会社員(労務系)」「会社員(その他)」

「会社員」を合計すると、「35.4%」となる。

つまり、「会社員(35.4%)」v.s.「公務員(20.0%)」というのが正確な「数字」の見方である。

僕は、調査設計者の「意図」を感じた。それは、僕の勘ぐり過ぎだろうか?

因みに、調査の世界では「分析3年。(質問)設計8年」という格言がある。

また、文中にある「具体的にどのような不安を感じているのか」という、不安の「中身」に関する質問の回答として紹介されているのは、「先輩たちの就職難を見ているから」「ニュースで雇用の悪化が伝えられているから」等、不安を感じる「理由」に関するものとなっており、質問に対する答えになっていない。

ところで、ある人から「某省庁」が「求人」で苦労をしているという話を聞いた。

この話は彼からだけでなく、マスコミも含めて、よく聞く話だが、「東大卒=国家公務員(官僚)」という「構図が崩壊」し、給料の良い外資系の投資銀行やコンサルティング会社等に、彼らエリートを奪われているということだ。

「数字」は「説得力」を持つ。

だから、世論を「ミスリード」するリスクがあるし、数字を述べる際には、その「責任」を「自覚」する必要がある。

彼の意見に真摯に耳を傾けて、自分自身の良さを大切にしたいと思う。

僕にとっての「成功と失敗」。

「丸山茂樹」選手は惜しかった。一日で36ホールは、年齢的にハンディがあったと思う。

でも、大きな自信になっただろうし、これからの活躍に期待したい!

ところで、センター試験ウィークエンドとなった週末。僕は土曜日の昼過ぎから、担当させていただいている学生の方々の修士論文の指導があった。提出日まで一ヶ月を切り、緊張感が漂い出した。

皆さんが納得のいく論文を書けるよう、出来る限りの対応をしたいと思っている。

ところで、その前日の金曜日は、クレア法律事務所主催の勉強会と新春賀詞交換会に出掛けた。

勉強会のテーマはインド。僕はインドに興味があるわけではないが、ドリームゲートのアドバイザリーボードでご一緒させていただいている古田さん(クレア法律事務所の代表弁護士)からのお誘いということもあり、その後の賀詞交換会を楽しみに参加させていただいた。

賀詞交換会では、何人かの旧知の知り合いに会ったり、初めての方と知り合ったりと有意義な時間だった。

ところで、その賀詞交換会の席で、ご本人がどれだけ意識されていたかは別として、ドリームゲートの松谷さんから頂戴した「インタースコープとかはどうでもよく、平石郁生としての『成功と失敗』は何なんですか?」というひと言はインパクトがあった。

どんな文脈だったかは省略させていただくが、彼のひと言を踏まえて、今までの人生において、僕個人としての「成功」や「失敗」は何だったのか?この週末はずっと、そのことを考えていた。

僕にとっての「成功」は、

・「尊敬できる両親」のもとに生まれたこと(当然だが、僕の努力ではない)。
・「結婚」できたこと(幸いにして現在も続いている)。
・「子供」に恵まれたこと(幸いにして元気に育っている)。
・「家」を買えたこと。
・日本人は勿論、外国人も含めて「素晴らしい友人」に恵まれたこと。
・「色々な国々」へ行けたこと。ニューヨークへは約20回。その他ではタヒチ、オーストラリア、ロシア、中国、タイ、ベトナム、カナダ、トリニダード・トバゴ等(欧州にはまだ行っていない!)。
・ベンチャー企業の「創業」を経験できたこと。

などなど。

では「失敗」は何だったか?というと、

・「勉強しなかった(できなかった)」こと。

自分自身の性格はさておき(それさえも勉強していれば変えられていた可能性が高い)、今までの人生でのすべての「失敗の原因」は、上記に尽きると思う。

こうして振り返ってみると、他人(社会)がどう評価・判断するかは別として、僕にとっての成功(内的成功)の殆どは「プライベート」なことであり、ビジネスに関することがメインではない、ということ。

松谷さんのひと言で、そのことを理解することができた。彼には、心より感謝したい。

では、僕にとっての「失敗」である「勉強」だが、「しなかった」にカッコ書きで「できなかった」と付け加えたことには理由がある。

僕は中学に入って初めて「英語」の授業を受けた時、「世の中にこんなにおもしろいものがあったのか!!」というほどの衝撃を受けた。

あれから30年以上が経っているので、さすがにその時の感情は風化してしまったが、20代の頃までは、その感覚を忘れることはなかった。

実際、中学時代は英語の成績は良かった。以前にもこの話は書いたことがあるが、3年生になるまでは、予習も復習もせず、単語はすべて一発で憶えられたし、発音も褒められた。

その一方、「数学」は大の苦手だった。

僕が通っていた中学は50点満点だったが、英語は「45点以上」は取れていたし、他の科目も45点前後だったが、数学だけは「25~30点」だった。

しかし(受験に合格するという目的に対しては、正しい指導である)、中学一年生の時の担任の先生には、「英語と数学のどっちが伸びシロがあるか?」と指導された。

これも以前に書いたことだが、高校に入ると「古文」と「漢文」が嫌いになった。

「古文」の先生は「偏差値」教育の申し子のような方で、成績が悪い生徒に対しては、とことん追試を課した。

僕は勉強する気になれず、悪い点数を取り続け、先生が諦めるまで待った。

そうこうしているうちに、好きだった英語も勉強する意欲が無くなり、すべての勉強ができなくなった・・・。

今でもその傾向があるが、当時は今以上に「ゼロか100か」の人間だった。

精神的に弱かったという意味では「僕の責任」であり、責任転嫁はできないが、「生徒の良さ(才能)」を引き出すという意味では、当時の教育(今もそうかもしれないが)は、間違っていたと思う。

子供を持った今、その思いはよりいっそう強くなった。

僕たちの子供と彼の友達たちを見ていると、誰ひとりとして同じ個性はなく、ひとりひとり、全然違う人間だということを身を以て実感させられる。

雑草のような子供もいれば、我が子のように繊細な子供もいるし、運動が得意な子もいれば、音楽や絵が得意な子もいる。

「工業製品」ではなく、「芸術作品」である。

さて、「勉強」に関しては、父が生前、

「いいか。世の中には、2種類の人間がいる。ひとりは、人の話や本から学べる人間。もうひとりは、自分で経験しないと学べない人間。もちろん、経験することに越したことはないが、すべてを経験していたのでは時間がいくらあっても足りない。ところで、お前はどっちの人間だ?」

と言っていた話も以前に書いたが、それともうひとつ、書いておきたいことがある。

「スペシャリスト(専門家)として能力を発揮するには、自分の専門分野だけでなく『教養』が必要である。しかし、恐ろしいのは、そのことに気づくのは、スペシャリストになってからだということだ」。

誰かのブログかTwitterでこの言葉を読んだ時は、「痛いひと言」だと思った。

本当に優秀な人は、幼少期あるいは学生になった頃から、受験うんぬんではなく、自分が持って生まれた才能を発揮して、充実した人生を送るには「勉強が大切」であることを知っているのだと思う。

さらに言えば、そのことを知っていて、尚かつ「努力」した人だけが、持って生まれた才能を発揮し、充実した人生を送れるのだろう。

過ぎたことは仕方ないが、ドラッカーを読むようになって「あの頃、もっと勉強をしておけば・・・」と思うことが多く(強く)なった。

さて、僕にとっての「成功」の話に戻ると、結婚して、地方出身の僕が都心に家を買い、子供を育てることができているのは(結婚はさておき)、それは取りも直さず、自分の実力以上に「仕事が上手くいった」からである。

ソフトバンクの孫さんのような方を除き、大多数の人間にとって、その中身は違っても、人生の目的は「充実した人生」を送ることであり、仕事はそのための「手段」だということ。

そして、その手段を通じて、結果として「世の中がより良くなれば」それに越したことはない。

父親が生前、「目的と手段を履き違えるな」と言っていたが、そういうことだったのかもしれない。

仕事に関して言うと、山川さんと一緒に創業したインタースコープは勿論だが、大谷さんとふたりで設立した「インターネットリサーチ研究会」での活動は、自社(インタースコープ)の利益だけでなく、インターネットリサーチ業界の発展に大きく貢献できた(と思う)という点で、僕にとっては「大きな成功(誇りに思っている)」だった。

プライベート(子供の教育と旅行とゴルフ?)を充実させるためにも、もう一度、「自分にとっての成功」を成し遂げられるよう、「勉強」に勤しもう。

松谷さんとの「3勝3敗1分」の勝負もまだまだ続けられるように!

「三度目の奇跡」と「強さの条件」。

先日のWBS(ワールドビジネスサテライト)では、番組の趣旨に合致していたのだろう、ほんの3~4秒、「差し障りのない」僕のコメントが紹介された。

今後は、いつ何時、誰に何を聞かれてもよいように、自分の考えを整理しておくように心がけたい。

ところで、一昨日から「企業家とは何か(J.A.シュンペーター、清成忠男 翻訳)」を読み始めた(これまた、山川さんの推薦)。

シュンペーターの文章は「回りくどく」て読み難いとは聞いていたが、そのとおりだった。

さて、その本であるが、88/190ページ(進捗率:46%)まできた。

今週中に読み終えたかったが、それは無理そうである。

ところで、今日のタイトルは、日経新聞1面の「連載」のタイトルである。

「三度目の奇跡」は元旦から11日まで。「強さの条件」は今日(1/14)が3日目。

「三度目の奇跡」は、構造改革を断行できずにいる日本社会へ警鐘を鳴らす「批判的」内容だが、「強さの条件」は、日本経済の「強さ」にスポットライトを当てている。読んでいて、勇気が湧いてくる内容である。

スマイルズの「自助論」のとおり、「天は自ら助くる者を助く」。

元社員からもらった「勇気」。

僕も今日から仕事始め。

とは言っても、決められた時刻に出社する、いわゆる「通勤」というものがない僕は、自分で仕事を始めれば、それが仕事始め。

今日は朝、子供を保育園に送った後、メールの返事を書いたり、雑用を済ませた後、お世話になっている小川教授への挨拶に市ヶ谷まで出掛けた。

小川先生と10分ほど話をした後は、青山のオフィスに行き、年賀状をチェックした。

ところで、話を今朝に戻すが、子供を保育園に送っていく、いつものルートは、クルマの往来も少なく、まだ閑散としていた。

官公庁や金融機関は今日から仕事始めだが、他の業種はまだ正月休みで、本格稼働は明日からなのだろう。

そんなこともあってか、保育園も園児が少なく閑散としていた。

同じ組の子は我が子を入れて3人。大の仲良しの友達も休みらしく、彼の姿も見当たらない。

あまりの閑散さに唖然とした我が子は、「○○くんは、どうして休みなの?」と訊いてきた。

どうにも心細くなったらしい。他の子は元気で散歩の準備をしているのに、我が子だけは僕にしがみついたままだ。

でも、幼稚園の初日、園庭の門のところで、走って家に帰りたい・・・という衝動を必至に堪えていた人間が父親なわけで、彼を責めることはできない。

昨年のエントリーにも書いたが、受け継いで欲しくなかった僕の遺伝子を受け継いでいる、ということだ。

しかし、そんな僕でも、起業し、今年で20年になろうとしているわけで、彼も何とかやっていくだろう。

彼の欠点や弱点(言ってみれば、僕の欠点と弱点なので当たり前だ)をよく知っている僕が、彼が僕のアドバイスを理解できる年齢まで元気でいることと、その時、アドバイスを受け入れようと思ってもらえる父親でいることが、僕に課せられた責任だと思っている。

ところで、今年は、プライベートの年賀状はいつもどおり出したが、仕事の年賀状は、とある考えがあり、敢えて出さなかった。

実は「寒中見舞い」として、近いうちに出す予定である。

会社宛に頂戴した年賀状を見ていたら、昨年からマクロミルとなった旧インタースコープ社員のひとりからの年賀状に、心に「じ~ん」と来ることが書いてあった。

昨年8月、実質的にはマクロミル、インフォプラント、インタースコープの3社が合併した形となった際、そのキックオフMTGのビデオで、大谷さんや僕の写真が流された話は別の元社員から聞いていたが、「平石さんの写真も流れ、熱い気持ちになりました」というひと言を読み、新年早々、小さな「勇気」をもらった。

僕は幸せ者だ。

自分の子供のためは勿論だが、彼のような元社員の期待に応えるためにも、あの頃とは「生き方」は異なっても、まだまだ頑張っていかないと・・・。

中国でもベトナムでもインドネシアでも行けばいい・・・。

妻はインフルエンザではなかったのは良かったが、なんと「副鼻腔炎」だった。

僕が今年4月から8月ぐらいまで医者通いをしていたヤツである。

彼女はアレルギー鼻炎の持ち主で、花粉症もひどく、ここ2~3ヶ月もひどい鼻炎に悩まされていたが、実は単なる鼻炎ではなく、副鼻腔に炎症を起こしていたということらしい。

掛かり付けの耳鼻科で「これは副鼻腔炎じゃないですか?」と何度も訊いたらしいが、その度に「アレルギー性の鼻炎です」と言われていたが、さすがに「これはおかしい・・・」と思い、近所の(こちらは家族で掛かり付け)の小児科医(事実上は内科も兼ねている)のところに行ったところ、「その疑いが強い」ということで、総合病院に行き、CTを撮ると、やはり、副鼻腔炎だった・・・。

まあ、この話の続きはまた書くとして、今日はシンガポールに住むある人がTwitterで書いていたことを読んで考えたことを書いてみる。

「日本にいい仕事無ければ、中国でもベトナムでもインドネシアでもどこでもさがして行けば良い。そうなって欲しいがシンガポール人のような言語リテラシーと文化への包容力がひつようだ」。

ところで、僕の親しい友人のひとりは現在、モスクワである商社の現地子会社の社長をしている。

リーマンショック後に急速に低迷したロシア経済もここ最近は持ち直し、彼が着任後、今までの業務運営方法(特にマーケティング)を総点検し、新たなオペレーションを構築してきたことが奏功したらしく、業績は絶好調。お陰で、殆ど家に帰れない(帰っても寝てまた出勤)という状況という。

彼は帰国子女で英語が堪能なこともあり、様々な国に駐在して来た。

今までに住んだ国は「7ヵ国」。

おそらく、人生の半分ちかく、もしかしたら、半分以上、海外で生活しているのだろう。

それは、彼が単に英語(仕事ができるのは当然)ができるからではなく、その国の「文化」を理解し、それを「受容」する姿勢があるからである。

今までは、彼のような人や生き方は、商社や金融、クルマや家電メーカーといった極一部の人達に限ったことだったが、ジャック・アタリが「21世紀の歴史」で指摘したように、これからの世界経済を考えると、「仕事で活躍する人=彼のような人」になっていくだろう。

さて、赤字国債の発行額は、またしても「40兆円」を超えるらしい。

こんなことを繰り返していても、結果は見えている。

日本経済の「余命3年」。

竹中平蔵氏と池田信夫氏らが書いた書籍のタイトルである。

ゴルフのレッスンは止めたので、来年からは、英語の勉強を再開しようかと思っている。

その手始めとして、ドラッガーの「イノベーションと起業家精神」の原書に挑戦するつもりである。

「ポジティブな修羅場」。

つい2ヶ月前まで記録的な「猛暑」に悩まされていたことが嘘のように、ちゃんと「冬」は来るらしい。

自宅のベランダ越しの借景には、黄色く色づいたケヤキや赤く染まった桜の木が見える。

ところで、いつから読み始めたか?憶えていないが、524ページというページ数に加えて専門的な内容で、かなり時間がかかったが、ミンツバーグの著書(かなり刺激的なタイトルである)を先週、ようやく読み終えた。

読み進めるには根気がいるが、経営に携わっている(&携わった経験のある)方、部下を持っている方には是非、読んでみていただきたい本である(そのような経験がないと、得るものが少ないと思う)。

さて、ミンツバーグ教授の後は、法政MBAでお世話になっている高田朝子准教授(組織論がご専門)にご献本をいただいた著書(人脈のできる人~人は誰のために「一肌ぬぐ」のか?~)を読了した。

「人脈」というタイトルから、正直、あまり気が進まず、頂いたままになっていたのだが(高田先生、ごめんなさい!)、ミンツバーグの本を読みながら、マーケティングやファイナンス、テクノロジーだけでなく、何をするにしても「組織」のあり方を学ぶ必要があるという至極当然のことに思い至り、ご献本いただいた著書を捲ってみた次第である。

「はじめに」を読んでいる間は、あまり興味を持てずにいたが、第一章の終わりあたりから、高田先生が何を言いたいのか?ご自身の研究成果の何を伝えようとしているのかを理解でき、その後は一気に読み進めた。

詳細は高田先生の本をお読み頂くとして、「人間関係」を、「自分が相手を助けることができる」という自信(その有無)と「相手が自分を助けてくれる」という自信(その有無)という2軸で整理されている。

前者を縦軸、後者を横軸とすると、左上から時計回りに「目下の知り合い(左上)」「対等人脈(相互の信頼に基づく関係/右上)」「シンデレラ人脈(親分・子分の関係/右下)」「脆弱な知り合い(左下)」という4つの象限に分けられる。

高田先生が約70人の方々へインタビューされた結果、「人脈」(上記の象限でいう「対等人脈」)というのは、「困難な仕事や局面を共有し、共に乗り越えること」で出来上がることが分かったそうだ。

また、その関係は、相手に助けられたり、相手を助けたりという「相互扶助的」(最近の政治風に言えば「戦略的互恵関係」?)なもので、尚かつ、長期的な関係であるという。

たしかに、自分自身の経験を振り返ってみても、相手が自分を必要とする時には喜んで協力したいと思っている相手というのは、何らかのシンドイ仕事を一緒にやったことのある人が殆どである。

更に言うと、30代半ばまでの僕は、高田先生のマトリックスでいうと「右下」の象限(シンデレラ人脈)、つまり、自分よりも「年上」且つ「社会的地位の高い人」に可愛がっていただいたことで何とかやって来れたが、インタースコープ創業前後あたり以降に知り合った人(一緒に仕事をした人)で、今も尚、関係が続いている人(&続けたいと思っている人)は、「右上」の象限(相互の信頼に基づく関係)に入る人が殆どである。

つまり、僕の中に今も残っている「充実感」や「達成感」、そして、これからも大切にしたいと思っている人達は、いずれも、高田先生が著書の中で定義されているところの「修羅場(困難な仕事)」をくぐり抜けたことによってのものである(と気がついた)。

これからの人生で、もう一度、出来ればそれ以上、「ポジティブな修羅場」に出会いたいと思う。